じーちゃん死んでほぼ4年半。
今になって思うことは、じーちゃんってやっぱり酒乱だったんだにゃ。
じーちゃんは自分が酒乱だって認めなかったけど、ばーちゃんをいびり倒し、にゃんを蹴り飛ばし、黄色の歯を欠けるほどぶったたいて、「酒を飲ませないなら働かねえ」なんて暴れてたもんにゃ。
黄色も被害者><。
一時ばーちゃんが、早くに瓶が空っぽになれば少しは飲み過ぎたかって思うかもって、じーちゃんのお酒を料理酒代わりに使ってみたけど、ペースなんてちっとも考えてなかったみたいで、全く変わらず潰れるまで飲んでたから、料理酒より高いことになっちゃって、ちょっと損した気分になって辞めちゃったにゃ。^^。
結局死んだとき、肝機能がほぼ働かなくなっちゃってて、肺に水がたまり、腎臓の働きも駄目になって、多臓器不全ってことになっちゃったのにゃ。
でも本人は、しばらく入院しているうちに、アルコール分が抜けて肝臓復活でよみがえるつもりだったみたい。
お友達には『時間はかかるけど、元気になったらまたよろしく』なんてみんなにメールを送っていたくらいだからにゃ。
でも、お医者が言うには、『生きているのが奇跡!』くらいの内蔵の駄目っぷりだったみたい。
緊急入院するまでは、自転車をやめてとことこお隣の駅まで歩いて吹き矢のせんせをやりに行ってたし、都内の教場にもせんせの資格をもっていて、強制入院させられたのに、次の日に、『今日だけ行かせろ』って担当医にゴネていたんだけど・・・。
実際は、ひとりで行けなくって、たまたまばーちゃんが、東京のあんよのお医者の定期診療日だったので、おかーさんがばーちゃん優先にしちゃったんでじーちゃん諦めたみたい^^。
そんなじーちゃん、暮れに入院して、『正月は、家は寒いからここにいる。』と病院に居続け。
ばーちゃん曰く、
「息子や娘や孫たちがお年始に来て、お酒を飲むのを見ていたくなかったんでしょうよ^^。」
多分、それ、当りにゃ^^。
年が明けると一気に弱って来て、一週間ほどで鼻チューブの酸素吸入が始まり、1/8のおねーさんの成人祝いの晴れ着を喜んでくれて、はしゃぎ過ぎたのか、次の日には鼻を覆う酸素マスクに代わっていてちょっとびっくり。
ばーちゃんが、お医者に呼ばれて状態説明を受けると、非常に厳しく、あまりもたないと言われちゃったみたい。
でも、次の日にシャワーを許可されてばーちゃんがシャワールームまで手助けに行ったんだけど、斜め向かいのシャワー室までが足がもつれて歩けない。
半分担いでいったような感じだったけど、ばーちゃんよりずいぶん軽そうに感じちゃったんだって。
そこから2日でICUに移ることになって、酸素吸入も顔面を覆う状態。
そこでも携帯を後生大事に握りしめてたじーちゃん、看護師さんに、
「ここは精密機器がある場所だから、携帯はご家族に預かってっもらってね。」
で、ばーちゃんが受け取ろうとしてもしっかり握って放さない。
看護師さんの言葉を繰り返したら、
携帯をぎゅって握りしめたまま発した言葉が
『うるせ~!ばかやろ!』
その時看護師さんが意識を取るための麻酔をちっくん><。
じーちゃん、それっきり意識を戻さずに、5日後お亡くなりに・・・。
だからばーちゃんに最後に残した『遺言』が、『うるせ~!ばかやろ』なのにゃ。><
ばーちゃんは、亡くなるまでの4週間、一日も欠かさずにお見舞いに行って、じーちゃんを見送ったから、
「化けて出てくることはないでしょ^^。」
・・・でも、ほんとは、にゃんが背後霊になる前から、じーちゃん、ばーちゃんの背後霊やってたんだよ。
生きてた時あまりメチャクチャやっちゃって迷惑かけたから、死んでから守ってるんだって^^。
にゃん、先を越されてたにゃ^^。