今回2週間スイスを回り最後の計画として難関のメンヒとユングフラウの挑戦した。
私は過去2004年に単独でメンヒに2008年にはOAC所属のタマチャンとモンブラン登山の後ユングフラウに登りました。
その時はグリンデルワルトを朝1番にたちヨッホ9時30分着、10時位から歩き出したが、勾配が急になる頃から雪が腐り(柔らかくなり)体力を消耗した。
そしてRottalhornの横を通過する辺りから下山して来るガイドさんから登頂を諦めるようにアドバイスを頂いた。
それでも諦めず、暗くなる前にヨッホに戻ることが出来る限界まで登山を続け標高が4050mを越えた辺りで登頂を諦め、引き返すことにした。
そして何とか明るいうちにヨッホに帰ることが出来ましたが、今回その反省を元に、メンヒヨッホ小屋に泊まり、早朝歩き出す作戦でした。
しかし残念なことに添付した通り、我々の体力、技術そして気持ちの面が特に重要ですが、メンヒですら登頂できずに終わりました。
報告書に書いた通り、メンヒ登山では、アイゼンを外さず岩場を登り始めた判断ミス、そして何度も登山ルート判断ミスを行い、無駄なロープワークを行った。
再チャレンジする時には私がリードし(先頭を歩き)ロープを下し2人の安全を確保する登山をすれば、かなりスピードUP出来たと思った。
2004年私は単独でしたから、ロープ無しで登山出来たのです。
私は過去2004年に単独でメンヒに2008年にはOAC所属のタマチャンとモンブラン登山の後ユングフラウに登りました。
その時はグリンデルワルトを朝1番にたちヨッホ9時30分着、10時位から歩き出したが、勾配が急になる頃から雪が腐り(柔らかくなり)体力を消耗した。
そしてRottalhornの横を通過する辺りから下山して来るガイドさんから登頂を諦めるようにアドバイスを頂いた。
それでも諦めず、暗くなる前にヨッホに戻ることが出来る限界まで登山を続け標高が4050mを越えた辺りで登頂を諦め、引き返すことにした。
そして何とか明るいうちにヨッホに帰ることが出来ましたが、今回その反省を元に、メンヒヨッホ小屋に泊まり、早朝歩き出す作戦でした。
しかし残念なことに添付した通り、我々の体力、技術そして気持ちの面が特に重要ですが、メンヒですら登頂できずに終わりました。
報告書に書いた通り、メンヒ登山では、アイゼンを外さず岩場を登り始めた判断ミス、そして何度も登山ルート判断ミスを行い、無駄なロープワークを行った。
再チャレンジする時には私がリードし(先頭を歩き)ロープを下し2人の安全を確保する登山をすれば、かなりスピードUP出来たと思った。
2004年私は単独でしたから、ロープ無しで登山出来たのです。
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