ご退位、ご即位にともなう、祝日の設定に、カレンダーや手帳の業界が、困っているそうだ。
『…全国カレンダー出版協同組合連合会は19年の祝休日を早急に決めるよう自民党に陳情。通常なら19年分は今年12月から印刷を始めなければならず、同会事務局は「カレンダーの赤(祝休日)と黒(平日)を間違えるわけにはいかない。早く決まってほしい」と話す。…』
えっ、再来年のカレンダー、今年から印刷するの???
企業でも配らなくなったし、ずいぶん減ったはずだけど…。
昭和64年・すなわち平成元年になったとき、ワタシはもはや大人だった。
昭和63年、昭和天皇が「いつ、お隠れになるか、わからん」時期が、結構長かった。
「歌舞音曲を控えて」とまで、たしか、官房長官が言った。
多くのイベントが中止になったが、それは、控えるというより、多分、
「突然、その日にお亡くなりになったら、どう対応していいか、わからない」
からだった。
30年たった今では、だいぶ空気がちがうのだけど、なにしろ、戦後初めて、天皇陛下の崩御と譲位が近づき、何が起きるかわからない、と思った人は多かった。
学生運動世代は、ワタシより10歳くらい上。
そのくらいの年齢だと、本当に何か起きるのではと、妙に期待してる人もいた。
(そんな話を聞きながら、ワタシは、「テレビはきっと、『ゆく年くる年』みたいになるだろーな」と思っていた…)
昭和天皇は、下血と大量の輸血が続き、まー、なんというか、Xデーが本当に自然に来るとは、思えない感じだったが、では、いつなのか?
毎日のように、ご様子が報道され、
「変動の範囲内です」
と、毎日のように医師が言い。
夜中、NHKは二重橋をバックに、「何かあれば臨時ニュースを流します」と文字を映し続けていた。もはや、マスコミには、過労死が出ている、という噂だった。
そのとき、いろんな雑誌の発行日が、元号ではなく、西暦になったそうだ。
いつ、どうなっても、西暦なら、だいじょうぶ。
それにしても。
1月7日、土曜日とは!
すごい日だった!
土日、役所や多くの企業は、もともと休み。
学校も、まだ冬休み。
崩御にあたり、国民が喪に服するか? どこまでやるか、悩まなくて済む日!
株式市場も休み!
お隠れになって、まもなく年末年始になるタイミングだと、また、喪の問題が出そうだが、丸1年後なら、日本人は悩まない。
さて…そんなことを覚えているのに。
あの年末年始、手帳やカレンダーをどうしたか、覚えていない!
どうしたも、こうしたも、平成64年のを1年間使ったに違いないのだが…。