コツコツ歩き隊!

散策!札幌(66)「あいの里」を歩く

<札幌市北区「あいの里」散策プラン>
北海道に引越しが決まった時、うれしくて早速、地図を買い、散策計画を立てました。
「篠路(しのろ)」と「あいの里」は、早い段階で立案できていた地域であります。
ところが、実行には至りませんでした。
(途中でコロナ禍がありましたしね。)
今回、JR 学園都市線に乗ってみようということになり、ようやく実行の運びとなりました。
お邪魔したのは「あいの里」エリアの方。
明治の開拓期に、付近一帯で藍の栽培が盛んだったところで、「あいの里」 名前の由来は、藍と「人々に愛される街になること」の願いから来ています。

ウォーキングの経験を重ねるうち、興味を持つポイントもちょっとずつ変わっていき、初期の計画と違うものになってしまいましたが、久しぶりの散策、 大いに楽しみました。

【散策マップ】
・かなりの距離を歩きます。良い飲食店もありますので、営業時間や電車の時間など予め調べておき、よく計画を立てて足をお運びください。
・強風の日に札幌大橋を歩く時は、くれぐれもお気を付けください。無理をせず、場合によっては端折っても良いと思います。

【見どころ】
1.JR あいの里公園駅

散策のスタート地点を JR学園都市線「あいの里公園」駅とします。
1時間に2~3本くらいある電車。
札幌駅からだと約26分くらいで到着します。

駅から出ると、大きな彫刻作品が出迎えてくれます。
國松明日香氏作「クレイオ」であります。
「クレイオ」はギリシャ神話の女神で、歴史と叙事詩を担う神とのこと。
JR「あいの里教育大」駅前にある彫刻作品「ミューズ」との姉妹作品となっています。

さて、「あいの里公園」駅。
赤レンガと蒸気機関車をイメージして造られた、比較的新しくて綺麗な駅舎でありますが、その歴史は意外に古く、昭和9年(1934年)11月まで遡ります。
当時は国鉄(現・JR)札沼(さっしょう)線の「釡谷臼(かまやうす)」駅 という名前でした。

 「釜谷臼」の由来は土地の特徴から。
アイヌ語の「カマヤウシ(平たい岩のあるところ)」から来ています。

 昭和33年7月に駅舎(現在地より360m 西の位置)ができましたが、地元民の寄付金と札幌市の助成金によるものでした。
新しい駅名に変わったのは平成7年3月16日。
これに伴い、「釜谷臼」という地名も消失しました。
旧地名を残すのは、この駅の歴史を記す上写真の説明版のみ。
とても貴重であります。

ところで、札沼線は、札幌の「札」と、石狩沼田の「沼」からなる名前で、 最盛期には「石狩沼田」駅まで伸びていました。
しかし、1972年に新十津川駅~石狩沼田駅間が(2020年に北海道医療大学駅~新十津川駅間が)廃止となり、名前が実情に合わなくなってしまったことから、平成3年(1991年)3月、一般公募で決まった「学園都市線」という愛称が使われるようになりました。

地名うんちくが大好きな私、スタートからテンションが上がりました。
しかし、車を持たない私にとって、旅をするには鉄道が重要な役割を果たしているものですから、北海道に住み始めて路線廃止の話が出るたびに暗い気持ちになっており、ここでも非常に残念な気持ちとなりました。
(石狩沼田まで電車に乗って行ってみたかったですね。)



🌟散策・こぼれ話
初めて歩く地は方向が捉えにくく、方向音痴の私は、しょっちゅう道を間違えます。(涙)
「あいの里」でも道を間違えまして、「あいの里公園」に向かって歩いたつもりが、なぜか「あいの里公園」になっておりました。(苦笑)
萩の花が見ごろを迎えておりました。
まぁ、いいか、ということになりました。(喜)

葉っぱの先端がとがってる。何という名前の萩かな。

つづく≫
<参考資料>
  • ウィキペディア「あいの里」、「あいの里公園駅」、「札沼線」
  • 「釜谷臼駅の歴史」説明板

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