SSF 光夫天 ~ 詩と朗読と音楽と ~ 

◆ 言葉と音楽の『優しさ』の 散歩スケッチ ◆

冬の詩 「朝のひかり」

2015-12-19 12:13:41 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
空気は冷たくとも 陽射しに ホッ!(大阪府豊中市)


『ああ 冬の赤貧のためにいよいよ広く神々しい朝々の空が大河のように青く流れる。』(尾崎喜八)



「朝のひかり」 ~ 自註 富士見高原詩集(尾崎喜八)より ~

朝々の白い霜のうえに

人に知られぬ貧しい者らの

夜明けのいとなみを物語るような

ちいさい足あとを見出す土地に私は生きる。


はだしの雉(キジ)は富まないし、

旅のつぐみはあのように瘠せて赤貧だ。

それに見よ、けさもまた

山の伐採地からあの小娘がおりて来る。

貧しさのおさない王女のように、

拾いあつめた枯枝を背に

霜を踏んでよろめいて来る。


私は彼等とそのひそやかな生をわかつ。

少女も 鳥も、

悲しげな彼等は遠くまじめで、

近づけばしんそこは快活で、

ひろびろと撒きちらされた真実を

枝としては軽くつかみ、

枝としてはこまかくついばむ。


冱寒(ごかん)の地にも遠い春のように咲きながら、

孤独に 純に

みずからをちりばめる彼等の上を、

ああ 冬の赤貧のためにいよいよ広く神々しい

朝々の空が大河のように青く流れる。


【自註】
氷点下十度を測る毎朝の霜を踏んで私のする日課の散歩。

その厚い真白な霜の上には必ず何か小さい獣か野鳥の足跡がついている。

彼らは私よりもずっと早く起きて、自分たちの生きてゆくために、食うために、この高原の道や畑を歩いたのだ。

そしてこの小娘の可憐な足跡にしてもそうである。

幼い彼女の朝の日課は私のするような散歩ではなく、親から命じられた枯枝集めの労働なのだ。

それを憐み悲しむな、私の心よ!

むしろ彼らを讃美するがいい。

そして彼らのために、彼らと共に、霜の荒野の教会で歌うコラール(衆讃歌)を書くがいい!




キジ (雉・雉子)

キジ (雉・雉子) - キジ目キジ科の鳥。日本の国鳥に定められている。(ウィキペディアより)

つぐみ




<コラール(衆讃歌)>
コラール(独:Choral)は、もともとルター派教会にて全会衆によって歌われるための賛美歌である。
現代では、これらの賛美歌の典型的な形式や、類似した性格をもつ作品をも含めて呼ぶことが多い。

概要:
コラールの旋律は多くの場合単純で、歌うのが容易である。
これはもともと、専門の合唱団ではなく、教会に集まった会衆の人々が歌うものとして考えられていたからである。
一般に韻を踏んだ詞を持ち、有節形式(同じ旋律に歌詞の違う節をあてて繰り返す形式)で書かれている。
歌詞の各連のなかでは、ほとんどのコラールがドイツのバール形式としても知られる、A-A-Bの旋律パターンをとっている。(ウィキペディアより)