SSF 光夫天 ~ 詩と朗読と音楽と ~ 

◆ 言葉と音楽の『優しさ』の 散歩スケッチ ◆

「雪山の朝」 ~瞬間の生涯回顧と孤高の心~ パイプを口に、蠟マッチをはげしく擦った・・・

2016-02-27 17:00:54 | 「尾崎喜八を尋ねる旅」
「美ヶ原の山本小屋」でヒントを得た、尾崎喜八は、「孤高(ここう)の心」を持って『雪山の朝』を書きました。

この詩は、富士見へ帰る汽車の中で書き上げたものです。

****************
第一聯 「きれいな純粋孤独の歌」

第二聯 「空は世界の初めのような・・・」

第三聯 「まるで虹いろの波」

第四聯 「孤高の心」

****************
【孤高(ここう)】 孤独で超然としていること。
ひとりかけはなれて、高い理想をもつこと。「―を持する」

美ヶ原の山本小屋へは、2014年(平成26年)夏に、「演奏会の後の一人旅」で訪れたことがありますが、冬の時期に訪れたことがないので、「雪山の朝の景色」を残念ながら見たことはありません。ネット検索で引用させていただきました。


富士見駅(JR中央本線:2015年8月29日撮影)




「雪山の朝」 自註 富士見高原詩集(尾崎喜八)より

服装をととのえて 小屋を出て

小屋から遠く 堅い靴で

堅い雪を踏みしめて行った。

クラストした雪面はきしんで鳴り、

強くぱりぱりと放射状に割れるが、

その響きやその呟きが

その皓々(こうこう)たるしじまの中では

きれいな純粋孤独の歌だった。


空は世界の初めのように

まろく 大きく あおあおと、

晴れわたった積雪の高処のながめは

透明に燃えて 結晶して

きびしく寒くよこたわっていた。


薄赤い朝日の流れ、紫の影、

きらきらと木花に重い樅、唐檜、

はるかに向うにも同じ氷雪の山々が

まるで虹いろの波だった。


瞬間の生涯回顧と孤高の心ーーー

パイプを口に、

私は蠟マッチをはげしく擦った。


【自註】
美ヶ原の山本小屋でヒントを得て、富士見へ帰る汽車の中で書き上げた詩である。

今でこそ立派なホテルになっているが、美しの塔で私の詩と背中合わせになっているあのリリーフの肖像は現在のホテルの主人の父親であり、その頃はまだぴんぴんしていた。そして泊まる処と言えば彼の小屋がたった一軒、言わば観光地美ヶ原草分けの人でもあれば宿でもあった。

その雪山の朝の景色は書いたとおりだが、「瞬間の生涯回顧と孤高の心」は、その時の私の心境を煮詰めたようなものである。

外観は平静のようでも内面は波瀾に富んだ過去の思い出と、それを乗り切って孤独に強く生きている現在の自覚。

パリパリに氷った早朝の山の雪の上で、
しっかりと口にくわえたパイプのために、

蠟マッチを「はげしく擦った」私の気持は、
或はわかってもらえるかと思う。