柏ふるさと公園脇に北千葉北導水路の導水管のオブジェがあります。
導水管実物の大きさを体感してもらうためのオブジェだと思います。
利根川から始まり、手賀沼を経由し、江戸川につながる導水路は、大規模で難工事だったろうと推測します。
柏ふるさと公園脇に北千葉北導水路の導水管のオブジェがあります。
導水管実物の大きさを体感してもらうためのオブジェだと思います。
利根川から始まり、手賀沼を経由し、江戸川につながる導水路は、大規模で難工事だったろうと推測します。
Google Map を見ていて不思議に思う場所を見つけました。
柏市呼塚町という場所のようですが、Google Mapには、JR常磐線の線路を挟んだ両側に旧水戸街道という表記があります。
そのうちの一本は途中で無くなっています。
どうなっているのか気になり、現場に行って確かめることにしました。
駅方面から我孫子に向かって歩きました。
国道16号を渡ってしばらくすると道路が二つに分かれています。
真っ直ぐ進むと JRの線路を跨ぐ陸橋になています。
右側は線路と平行しています。
どちらも旧水戸街道で、途中で消えているのは右側の道路です。
確かめたいのは右側の旧水戸街道なのでそちらに進みました。
道路は広いのですが、ガードレールはメンテナンスされてなく錆びついたままです。
しばらく歩くと、出入りできる開き戸はありますが、道路は塞がれていました。
踏切はありますが、全く使用できない状態です。
奥には陸橋があり、かろうじて歩行者だけは線路を渡ることができます。
おそらく、旧水戸街道は、ここが踏切になっていて、線路を渡ったのだと思います。
利便性、事故防止を考慮し、旧街道が二つに分かれた陸橋の場所からここまで新道を作ったのだと思います。
今まで使用していた道路もこの踏切まで残しておいたということのようです。
今でも国道だと思いますが、利用しているのは、この道路に面して住んでいる方達だけのようです。
今回は「鼻喰い田」の石碑を紹介します。
「鼻喰い田」とは何なのか?
碑文には次のように刻まれています。
鼻喰い田
昔 大井に追華城という小
さな城がありました ある時
大津川を挟んだ対岸の戸張城
と戦いになりました 時の追華
城主は坂巻若狭守 対する戸
張方の大将は戸張弾正 大井
勢が劣勢となり 弾正が追華
の城山まで登ってきました
そして 両将の一騎打ちとな
り 組合ながら下の田んぼ
に落ちて行きました 田んぼ
の泥の中で苦しさのあまり
相手の鼻に喰いついたことか
らこの田んぼを「鼻喰い田」
と呼ぶようになったそうです
今日では 鼻喰い田付近に
は住宅が建ち並んでいます
おはようございます。
手賀沼自然ふれあい緑道には、沼やその周辺にまつわる伝説の碑が設置されています。
今回は「黄金の亀」の碑を紹介します。
この碑には次のような文言が彫られています。
黄金の亀
昭和3年3月7日東京
毎夕新聞によると、同年
3月5日午後3時頃風早
村大井の森さんの庭先で
全身純金色の直径約8寸
の亀を子供が発見、これ
を捕獲しました。
昔から手賀沼の深い所
には浦方の亀と称する
「黄金の亀」が棲息して
いると言い伝えられてい
たそうです。
皆様、今週もどうぞよろしくお願いいたします。
日立台公園前の交差点脇に「小金原の野馬除土手跡の碑」があります。
この近くに小生が通った小学校があり、道路でなく土手の上を歩いて通学したことを思い出します。
碑には次のような文章が彫られています。
小金原の野馬除土手跡
柏市は古くから下総の牧として軍馬の産出地でもあり、 江戸時代には、市の大半が幕府領小金牧となり、ここはその東寄りに位置するところである。
近隣農民に野馬除土手を築かせ放牧馬を山犬や野火から保護し、多くの騎馬が養産された。
また、この野馬除土手沿いには遊水地があった。
明治2年に牧が廃止された後に入植開梱が行われ、柏市地域では豊四季、十余二の新しい村が生まれるに至ったのである。
平成3年7月27日
名戸ヶ谷郷士会