連載してきた旅日記も昨日で終わり、今日からまたいつもの日記に戻ります。
しかし、今回の旅日記、いわゆる"鉄分"が多過ぎた感は、やや否めない。
福岡ソフトバンクホークス、2年ぶりのパ・リーグ優勝を決めました。
昨年はぶっちぎり1位からのまさかの展開でしたが、今年はまさしく逆の立場になった。
セ・リーグは広島東洋カープが優勝を決め、連覇を果たしました。
ここはやっぱり、"ホークス"対"カープ"の日本シリーズが観たいところです。
メキシコでは相次ぐ大地震により、甚大な被害が発生しています。
天災は、いつどこで発生するか分からない。明日は我が身なので、気を付けたい。
倉敷 929 -【山陽本線】- 1044 糸崎
糸崎駅の駅名標。
岡山方面の列車と、広島方面の列車は、ここか隣の三原で乗換となります。
JR西日本227系電車。
広島地区に、2014年に登場した新型車両。
糸崎 1053 -【山陽本線】- 1306 岩国
瀬野駅では、二日前に乗ったスカイレールサービスの線路?を、パチリ。
タイミングが悪く、真ん中に正体不明の線が入ってしまいましたが。
実は、スカイレールサービスについては、
当初、最終日の倉敷からの帰り、ここで途中下車して乗る予定でした。
予定を変更して、急遽、三日目の夜に乗ったため、この日は、そのままパス。
実は、このいくつか手前の駅から隣に座ったおっさんが、脚を広げて座り、
私のテリトリーにまで侵入してきていました。
旅の荷物もあるし、途中下車するには、かなり勇気が要る感じだった。
三日目のうちに乗っておいて良かった、と思った瞬間でした。
しかし、どの地域でも、おっさんはマナーが悪い。
広島を過ぎ、終点の岩国まで乗車。
岩国では途中下車し、駅前の食事処でランチ。
岩国駅の駅名標。
岩国から先は、再び国鉄型車両となります。
国鉄115系電車。
岩国 1412 -【山陽本線】- 1609 新山口
岩国を出てしばらくすると、列車は瀬戸内海沿いに出てきます。
窓越しなので、なんとなく色が霞んでしまいますが。
周防大島が、見えてきました。
本土と周防大島を結ぶ、大島大橋。
大島大橋の架橋により、それまで本土の大畠駅と周防大島の小松港とを結んでいた
国鉄大島航路が廃止されました。
徳山駅の駅名標。
乗務員の交代などの関係で、ここでは数分間停車しました。
カラオケを搭載した特別列車が決して運転停車しなかった、と噂される駅。
‥‥どこにそんな噂が立ったのかは、謎。
富海駅の駅名標。
駅名が示すとおり、この辺りでも、列車は海岸線の近くを走ります。
そんなこんなで、次の乗換駅、新山口に到着。
新山口まで乗ってきた列車と同様、新山口から先も、またまた国鉄115系電車です。
山口県内は、広島寄りの区間で新型車両が走る以外は、ほぼ国鉄型車両しか走っていません。
新山口駅の駅名標。
新山口 1613 -【山陽本線】- 1719 下関
下関駅の駅名標。
いよいよ、九州が近づいてきました。
下関 1724 -【山陽本線/鹿児島本線】- 1738 小倉
小倉では途中下車し、チャチャタウンまで徒歩移動。
チャチャタウンのマクドナルドに立ち寄り、バッテリーが切れかかっていた携帯電話を充電。
まさか、こんな形でチャチャタウンに初めて立ち寄ることになるとは‥‥。
再び小倉駅に戻り‥‥。
小倉 1843 -【鹿児島本線・準快速】- 2125 大牟田
こうして、倉敷から大牟田まで、ほぼ12時間かけて、すべて在来線で帰ってきてしまいました。
岩国と小倉で途中下車した時間を差し引いても、10時間近く、列車に揺られていたことになる。
最後の最後で、お疲れ様~な旅となりました。
これで、今回の旅日記、おしまい。
しっかり鉄分を補給し、清々しい気分で、またいつもの日常に戻る私なのでありました。
さて、次回は、どこへ行こうかな‥‥。
最終日。
倉敷駅。
雨は上がったものの、この日も天気はイマイチ。
なので、美観地区など、倉敷市内の見物は、またの機会に回すことに。
ただ、このまま引き返すのでは、わざわざ倉敷に宿をとった意味がない。
今回、倉敷に立ち寄ったもうひとつの目的は、こちらです。
JR倉敷駅に隣接する、水島臨海鉄道・倉敷市駅。
上階は駐輪場となっています。
歴史を感じさせる、倉敷市駅の駅名標。
倉敷市駅のホーム。
右側には、山陽本線の線路も見えます。
なんとなく。
水島臨海鉄道MRT300形気動車。
水島臨海鉄道の大半の列車は、この形となっています。
倉敷市 800 -【水島臨海鉄道水島本線】- 828 三菱自工前
朝の通勤・通学ラッシュの時間帯だったので、それなりに混雑していました。
なんとか、座れましたけど。
水島臨海鉄道は、倉敷市の中心部と、臨海部の水島地区を結ぶ鉄道です。
もともとは貨物線として敷設されましたが、
昭和23年、その一部区間で旅客営業が開始されました。
一つ手前の水島で大半の乗客が降りた後、列車は終点の三菱自工前へ。
三菱自工前まで乗ってきた列車。
三菱自工前の駅名標。
三菱自工前駅の周辺は、水島臨海工業地帯の工場群となっています。
人家や商店などは見当たらず、歩く人の姿も皆無。
ただ、なんとなく。
三菱自工前のベンチ。
‥‥どうやって座るんですかコレ?って、一瞬、分からなかった。
少し考えて、ああ、こうか、と思ったけど、やっぱり座りづらかったです。
三菱自工前駅に入線してきた、水島臨海鉄道MRT300形気動車。
先ほどの列車とは外観が違いますが、形は同じです。
線路はこの先、貨物線と車両基地への引込線の兼用となっています。
三菱自工前 843-【水島臨海鉄道水島本線】- 915 倉敷市
三菱自工前を出た時点で、乗客は私ひとり。
次の水島までの一駅限りでしたが、列車の"独り占め"状態になりました。
水島駅の駅名標。
駅の周辺は、水島の市街地が広がっています。
三菱自工前を出た列車は、まもなく高架区間に入り、そこからしばらく高架区間が続きます。
それなりに歴史のある地方鉄道で、これだけ長い区間高架が続くのは、珍しいかも。
地上区間に入り‥‥。
福井駅。
もちろん、北陸にある福井駅ではありません。
水島臨海鉄道の沿線は、三菱自工前周辺を除けば、
都市化が進んで市街地が途切れない感じで、地方鉄道っぽさはあまり無いかも。
そんなこんなで、倉敷市駅に到着。
JRの倉敷駅に移動し、駅のキヨスクでお土産を買い、そのまま改札へ。
倉敷駅のホームに入線してきた、国鉄115系電車。
ここから、できるだけ新幹線を使わないで、九州まで帰ることにしました。
三次 1443 -【芸備線/福塩線】- 1632 府中
三次から塩町までは、芸備線。
ここも、前日に通ったところを逆に進む感じです。
八次駅の駅名標。
"三次"は"みよし"ですが、"八次"は"やよし"ではなく"やつぎ"。
中国地方の山間部を走る路線でよく見る、25km/h制限の標識。
この標識がある区間では、一般道路を走るクルマに、余裕で追い抜かれます。
神杉駅の駅名標。
ある意味、"神"な名前の駅です。
塩町駅。
ここから、福塩線に入ります。
余談ですが‥‥。
芸備線で塩町より備後落合方面に一駅進むと、下和知。
ローマ字に直すと、"Shiomachi"と"Shimowachi"。
ちょっぴり紛らわしい。
三次を出た時点でそれなりにお客さんは多かったのですが、
塩町に着くと、さらにお客さんが乗り込んできて、それなりの混雑具合となりました。
私が座っていたボックスシートも、塩町ですべて埋まりました。
18きっぷの利用者というよりは、どちらかというと地元客の方が多かった印象があります。
そんな中で写真を撮りまくるのは、さすがに憚られた。
上下駅の駅名標。
これだけは撮っておきたかったので、望遠機能を使って無理やり撮りました。
そんなこんなで、府中に到着。
4番のりばの駅名標。
車止めがあるため、この4番のりばからは、塩町方面に向かうことはできません。
こちらは、3番のりばの駅名標。
3番のりばからは、福山方面へ向かうことも可能ですが、
現在、塩町方面の列車のみが発着しています。
2番のりばに停車中の、国鉄105系電車。
府中駅の跨線橋に張り付けられた、駅名標。
2番のりばからは、福山方面と塩町方面、双方の列車が発着します。
府中駅の写真、もう1枚。
府中 1641 -【福塩線】- 1727 福山
福塩線は、府中駅を境に、がらりと雰囲気が変わります。
塩町から府中までは非電化区間で、山間部や田園地帯をのんびり走るローカル線、
府中から福山までは電化区間で、住宅街を走る都市近郊路線、という感じ。
部分廃止前の可部線も、きっとそんな感じだったんだろうな‥‥。
さて、府中からはロングシートだったので、またまた写真はありません。
さらに、到着した福山でも、乗り換えで時間的余裕がなかったので、写真はありません。
福山 1730 -【山陽本線・サンライナー】- 1806 倉敷
倉敷に到着。
サンライナーに使用されていたのは、この国鉄117系電車でした。
倉敷駅・伯備線のりばの駅名標。
雨の倉敷駅。
今回の旅ではじめて、傘の出番となりました。
そこまで大した雨ではなかったんですが。
四日目の夜は、この倉敷に宿をとりました。
この時点で、五日目の予定は、ある鉄道に乗ることを除けば、完全に"未定"でした。
そんなこんなで、三次駅に戻ってきました。
三次駅に停車中の、国鉄キハ40系気動車。
"三次"は"みよし"と読みます。
‥‥私の中ではそんなの常識、なのですが、読めない人も意外と多いらしい。
三次駅の駅名標、その1。
三次駅の駅名標、その2。
2番のりばから、1番のりばに停車中の国鉄キハ40系気動車を望む。
国鉄キハ40系気動車、三次からは、広島方面へのみ運用されています。
ホームに微かに残っていた、"急行のりば"の文字。
下半分が、点字ブロックに隠れてしまっていますが。
かつては、三次駅には"ちどり"、"たいしゃく"など、数多くの急行が停まっていました。
平成19年、最後まで残っていた"みよし"が廃止され、急行はすべて姿を消しました。
3番のりばに停車中の、JR西日本キハ120形気動車。
三江線、口羽行。
廃線まで半年あまりとなったためか、そこそこの乗車率となっていました。
私は過去に2回乗ったので、今回は乗りませんでした。
電光掲示板の乗車案内。
2番ホームに、府中行の列車が入線してきました。