今年も今日でお終い。
2024年は、個人的には身内に不幸があり、鉄友を失ったりして、あまり良い年とは言えないですね。
元旦早々の地震や夏の豪雨災害、巷には強盗が横行し、政権が変わって少数与党は良いのか悪いのか?...世界的には戦争は終わらず、先行きの見えない激動の世の中でした。
来年は良い年になりますように...
さて、今日から一週間は丁度半世紀前の北海道撮影行です。会社の年末年始の休みを利用して、同僚二人と一緒に三人での遠征でした。
写真はほとんど再掲ですが、例によって最新のソフトウェアで再現像し、綺麗になっています。
1974年の大晦日は大雪の留萌本線で撮影していました。
12月29日の夜、上野から急行八甲田に乗車、乗車整理券(通称着席券)を買っておいたお陰で座ることは出来ましたが、通路まで大混雑でトイレに行くのも一苦労。良く眠れない一夜を過ごし、翌朝6時過ぎに青森に到着。
青函連絡船351便で函館、15Dおおとりで苫小牧、室蘭本線のローカルDCと乗り継ぎ、追分には夕方4時頃の到着。
既に薄暗く、結局写真は撮らずにバスで岩見沢へ、急行かむい8号で深川に着いたのは夜の7時過ぎ、上野を出てから丸一日の旅程でした。深川泊。
そして1974年の大晦日。
深川7時45分発の731Dに乗車。大雪で列車は遅れていて、最初の獲物7770レとは峠下で交換になるとの車内アナウンスが有り、乗っていた大勢のカメラマンは皆恵比島で下車。
自分たちも下車しましたが、雪が深いので遠くへは行けず、7770レの到着を待って駅で発車を撮影。
後部補機の煙が見えています。
以上7770レ、D51347+D51147PP
一度留萌へ行って昼食、その後は峠下へ戻りました。
記憶が定かでは有りませんが、峠下で6783レと交換になり、急いで発車を撮影したような...
峠下 6783レ D51147+D51PP
峠下もやはり雪が深くて遠くまでは行けず...次の貨物列車は駅から少し歩いた線路際での撮影になりました。
峠下~恵比島 1792レ D514
峠の上の方まで撮りに行った人の話では、首まで埋まる深い雪だったようです。また、後で聞いた話ですが、留萌本線は翌日には無煙化されたようで、本当に最後の撮影となりました。
この日は深川へ戻って旭川へ移動、旭川泊。