昨日掲載の列車を追いかけて犀川駅の発車を撮影。
後補機は油須原で切り離しています。

この跨線橋付近はGMのSVで見られますが、今でもあまり変わらない風景のようです。(跨線橋の真上は何故かSVが見られません)
風景は変わっていませんが、田川線は平成筑豊鉄道田川線と名前が変わり、犀川~豊津間には新しい駅が出来ているようです。
昨日掲載した内田(信)~油須原間にも「赤」という名前の新駅が出来ているようです。「赤」一字という駅名も珍しいですね。
田川線 犀川~豊津
7494レ、59647+29612(DH)
1973年8月1日撮影
後補機は油須原で切り離しています。

この跨線橋付近はGMのSVで見られますが、今でもあまり変わらない風景のようです。(跨線橋の真上は何故かSVが見られません)
風景は変わっていませんが、田川線は平成筑豊鉄道田川線と名前が変わり、犀川~豊津間には新しい駅が出来ているようです。
昨日掲載した内田(信)~油須原間にも「赤」という名前の新駅が出来ているようです。「赤」一字という駅名も珍しいですね。
田川線 犀川~豊津
7494レ、59647+29612(DH)
1973年8月1日撮影
大分出張時に、行橋で平成筑豊鉄道の線路が見えますが、枯れ鉄の目にはC11やキューロクが、映ります(笑)
こうして眺めると何んとも長閑な印象です。
今にもキューロク独特の汽笛が聞こえてきそうです。
確かに重連が良く見えなく勿体ない感じですが、この時は何故か望遠レンズで撮りたかったんですね。(^^ゞ
この時以来、筑豊の線路には行ったことが有りませんが、もう一度行ってみたいものです。
石炭や石灰石の輸送で、未だ96が沢山活躍していた頃ですね。
当時は当たり前でしたが、こんな風景が毎日見られていたのは今から思えば何とも贅沢です。