50年前の今日は、会社の同僚2名、大学時代の親友と4人で会津へ遠征でした。記憶が曖昧ですが、前夜に車で埼玉を出発、夜通し運転して行ったような...
既に公開済みの写真がほとんどですが、例によって新しいソフトウェア(PhotoLab7)で再現像、レタッチしています。
最初に撮影したのは日中走らぬ日中線、朝一の下り列車です。
朝靄の中から現れ、また朝靄の中へ消えて行きました。
マイクを手に持って録音中の人が居ますね。
以上、日中線 会津加納~熱塩、混621レ、C11204
熱塩からの上り列車も迎え撃ちます。C11のバック運転。
以上、日中線 会津加納~上三宮、混622レ、C11204
この列車は会津若松行きなので、追いかけて磐越西線内でも撮影しましたが写真は省略。
その後は只見線へ転戦、1491レを滝谷の鉄橋で撮りましたがイマイチなのでこれも省略。
少し戻って1493レを磐梯山バックで撮影、門デフの254号機がやって来ました。
只見線 新鶴~若宮 1493レ、C11254
南下して会津線へ、車だと大変効率的です。
国道からの大俯瞰ですが、煙が無くてちょっと残念。
会津線 弥五島~湯野上 1390レ、C1180
ほぼ同じ場所からカメラの向きを変えて8393レも撮っていますが、これも省略。
最後は8393レを追いかけて会津田島へ行き、牽引していたC11をスナップ、記念撮影もしていました。
C11は写真でみると小さく見えますが、こうして人間と比べてみるとかなり大きいことが分かりますね。
会津田島 C11197
1974年9月21日撮影
日中走りま線とも言われましたが、皮肉なのに本州最後の蒸気牽引旅客列車でしたね。
会津線は山間を走る割には桑原付近しか煙が望めないという路線でしたが、眺めは良かったですね。
最後の記念写真、お一人だけ機関車に引けを取らない背丈の方が、、、
本州では山陰本線の下関口で、同じ頃まで客レが走っていましたね。でも、撮れませんでした。
当時の身長はC11の動輪径よりは高かったです。今は少し縮みました。(^^ゞ
会津線とか日中線とか、記憶も朧気なのに加えて、大きく変わったので、調べても、なかなか分かりづらい。
このころ会津線は会津川口方(?)と会津滝之原方とか呼んでいたような記憶があります。只見線は、小出から大白川で、どちらも全通して名前が変わって、なかなか辿れませんでした。
播但線ではC11のPPも有りましたね。姫路から乗っていったことがありました。
この頃は只見線と会津線に呼称が変わっていましたね。会津線は会津鉄道に変わり、一部は線路が付け替えになって、地図を辿っても記憶が甦りません。(^^ゞ