おいしい朝ごはん

おいしい朝ごはん食べましたか 私はまだです

石に住まう

2006年02月23日 22時34分33秒 | Weblog
聖堂列柱は古代の神殿を思わせる岩肌だった。
その聖堂の奥深く、あの方は眠っておられた。

石切り場で働き、演劇を志し、対話を好まれた。
硬い石の文化の中で柔らかい言葉を話された。
冷たい石の時代に暖かい心について語られた。
そのとき、石は和らぎ暖かくなった。

今、聖堂の石は冷たく硬い。
冬が来たのだ。
片隅では慌しく新年の準備が始まった。
古い太陽は沈み、新しい太陽が昇る。

しかし、彼の前で祈る婦人の真摯な姿を忘れることはないだろう。
たとえ、私が木の家に住む者であっても。

もやし

2006年02月23日 22時32分07秒 | Weblog
もやしだけしか買わない客も、お店の客だ。
いつか、きっと他の品物も買ってくださる。
だから、もやしは新鮮なものを並べなきゃいけない。

男にはかつて、飢えた記憶があった。
男は、それを何も話さなかった。
しかし、腹が減るつらさを誰よりも知っていた。


新鮮なもやしで作るもやしシチューは以外においしい。
晩秋の一皿にどうだろうか。

2006年02月23日 22時28分56秒 | Weblog
けして広くない店の中央に店長専用のカウンターを作っていた天ぷら屋が銀座にあった。ほかの店員たちは壁際のカウンターで揚げていた。
迷わず店長が揚げるカウンターにすわった。ところが、店長は天かすをすくっている。なんで店長がてんかすを作るのか。
店長はてんぷらのネタを氷水と小麦粉の中に漬け、引き上げるとき、水切りをしない。ぽたぽたとたれているまま熱い油に入れている。これでは、小麦粉が粘りようがない。そのかわり、切れていない小麦粉水の汁が瞬時にてんかすとなって鍋を覆う。店長の天ぷらを揚げている時間のほとんどは、上がってくる天ぷらかすをすくうことに費やされる。だから店長がてんかすを作っているように見えたわけだ。
本職は天ぷらの衣はこうやってつくるのか。家庭では、こんなわがままな揚げ方はできない。
が、揚がったてんぷらをいただくと、たしかに衣にまったく粘りがない。当たり前だ。本当に一度も混ぜていない天衣無縫の天ぷらなのだから。

さる方のドレスの姿を拝見したとき天衣無縫の言葉が浮かんだ。確かに回りはたいへんであろう。しかし、いい仕事を期待するのであれば手間と暇を惜しんではならなぬ。天ぷら屋の店長は納得の行く仕事をするためにはてんかす作りをいとわない。そうでなければいい衣はつくれない。いい衣がなければいいてんぷらにならない。
だから、彼女のドレスの姿に毅然たる決意と強い意気込みを見出したのだ。