本日は、檀尻の前を艶やかに進む興浜流しの紹介。平成14年と19年の原稿。
平成に入ってから、檀尻の奉納演芸は『興浜太鼓集団 一擲』と『興浜子供会6年生の太鼓』がほとんどであるが、それまでは女性による『踊り』であった。
さらに時代をさかのぼると、専門の演芸集団が檀尻の奉納演芸を行っていたのだろう。21日朝、出立ちの時に興浜金刀比羅神社において舞台をひろげ演芸を披露したあと舞台をしまい西の馬場に向けて出発。その時檀尻の先導役が演芸集団の方々による流し行列であったのだろう。現在も興浜流しが『博多どんたく』の曲を奏でながら歩く事が唯一今に残る興浜流しの姿ではないだろうか。
昭和3年の魚吹八幡神社1600年大祭の時の文書にこうある。
1 檀尻芸ハ各40分以内トスルコト。
2 楼門前ニテノ檀尻芸ハ各同時ニ行フコト、其時間ハ1時間以内ノコト。
1は、22日における西の馬場において檀尻奉納演芸は各村40分以内で行うという事。
2は、楼門前では出場した全ての檀尻が奉納演芸を1時間以内で行うという事。のようだ。
昭和時代の後期に檀尻奉納演芸を参加した檀尻村が一斉に行っていたのはこの時の流れであろう。