9月での網干雑学塾で、姫路地名研究会の田中先生が「地名の話-省己橋から西国街道そして縄手の下-」の話をされた。
本日はその現地を雑学塾のメンバーで訪ねた。
先生の話をあまりメモしていなかった為、姫路市教育委員会発行の『文化財見学シリーズ』と先生のブログ『姫路の地名色模様』から孫引きしながらの孫引きブログの始まりだ。
最初は琴丘高校東にある大井川分水堰(おおゆかわぶんすいぜき)に行った。
写真は無し。宅地化がすすみここ2年程で以前の状態ではなくなっていた。
明治9年から20年以上にわたった大井川水論和解の分水堰。
この大井川の源流は山ではなく湧き水のようだ。
省己橋(せいこばし)
琴丘高校前に架かる橋。別所という小字の土地。
琴丘高校があるところは元々県の豚や牛の種畜場だったようだ。
縄手の下(なわてのした)踏切り
今宿にある小字「縄手の下」が踏切名に用いられている。
「縄」の付く地名は全国にあるようで、幹線道路沿いにつけられた特徴ある地名のようだ。
国道2号線と並行して北側に走る西国街道と呼ばれる道が、縄手道だったようようだ。
その『西国街道』の石碑
最近できたような石碑だ。岳神社の秋祭りの太鼓の音が聞こえてきていた。
西国街道の石碑の東側にある旧高岡村道路元標
旧高岡村役場のあった所。路線の起点・終点・経過地を示す標識で、大正9年(1920)兵庫県告示によって飾磨郡内の27ケ所に設置された。
岳神社道標(たかおかじんじゃどうひょう)
西国街道の西今宿3丁目の公園のすぐ東にある。
正面に「式内岳神社」 左に「北在五丁」
背面に「庚午閏年(明治3年)10月 姫路藩庁」 右に村民30人の名が刻まれている。
岳神社は「延喜式」に記載されている式内社。
茶屋の地蔵さん
西今宿3丁目の公園で祭られている道祖神
神子岡の髭題目塔
右側に「元祖第四百遠忌報恩徳建立之」と刻まれ、日蓮の四百遠忌にあたる延宝9年(1681)に建てられたもの。同宗では各地で盛大な報恩会が行なわれたようで、同じ月日付の題目塔が白浜町宇佐崎や坂田町にもみられる。
タイトル写真にもある今宿の牛市
先生が到着した時に「家がない」と言われた。その場所には新しい家が建っていた。かつて先生が訪れた家の屋根には牛市を示す牛の瓦があがっていたとの事。
そこで興ちゃんは勇気をだしてその家のインターホンを押した。
今日のその時、平成20年10月12日11:50
家の方が出て来られ、玄関先に大切に残してある瓦を見せて頂いた。
今宿の牛市
戦前に神子岡のふもと、今宿の街道南側に牛市があった。戦後取引所は北側に移った。この牛市は明治のはじめのころより開かれているようだが、記録に出てくるのは明治16年。株式会社になったのが明治36年。牛は主に岡山や鳥取・九州・四国の農家から集められ市はすこぶる賑わったが、昭和32年を頂点に衰退していった。
田中先生から屋根の上にあった時の写真を頂きました。
面白山(おもじろやま)
帰り道、網干の喫茶店に立ち寄った時、垣内の檀尻の試し曳きと遭遇。