“人身事故でさぁ…”
遅れてきた方が顔色ひとつ変えずに言う。
あまりにも毎日、あちこちで起きるために、私たちはそれを日常の“些細な”こと、単なる迷惑話にしている。
“人身事故ってさあ、やっぱ飛び込みとかなのかなぁ?”
“そうなんじゃない”
都心部に住んでいると(町田が都心かは置いといて)日々起きる人身事故。
そう、日本は自殺大国。
ここまで来ると、国も改革が必要なんじゃないかって思うよ。
私も深く考えちゃう方なんで、悩みは尽きない。
だから呼んでしまうのか?自分の悩みも多いのに、人に相談されて仕方ない。
そう言う人は、閉店間際、閉店後、定休日に顔を出すことが多い。
仕事、就職、恋愛、生き方…
聞き流せたら良いのだけど、一緒に悩んでしまう。
やけ酒も明け方まで付き合ったことも多々ある。
精神科、占いでさえお金取ってるのに、水商売は割に合わない。
気持ちも分かるし嫌なんじゃない。
そうして心から親身になって何とか助けようとしてしまう。
しかも口が固いので自分の中にたまっていくばかり。
ところが、そうして私を悩ませた方に限ってプイと居なくなる。
私の中に蟠りだけが残る。
もうどうしていいのか分からないよ
昨日、行きつけの珈琲店でそんな話したっけ…
ここのオーナーは全然話を聞いてない。
しかも、必ずバラす( ̄▽ ̄;)。
“マスターに相談するのは拡散希望を意味するよねぇ”
彼の奥さんもそれを笑って聞いている。
彼女も愉しい人で、某ビアバーの店主の物真似をしてくれたことがある。
“うんうん”
“なるほど”
聞いてるようで聞いてないって皆で笑う。
聞き流し講座開いてくれよぉ…(´;ω;`)
いかんいかん。前置きが長いね( ̄∇ ̄*)ゞ。
死にたいほど悩むこと、消えてしまいたいと思うこと、誰だってある。
でも、私には救いたい命がたくさんある。
話すと完全にアウトな壮大な妄想。
“自殺したい人たちを集めて安楽死させてくれる施設”を作りたい。
場所は富士山が目の前に見える空気の良い所。隔離施設ではあるけれど、とても広い敷地。
入所には資格は要らない。
まず、面接があって、重度によってランク分けされる。
重症患者は個部屋で、執行日まで一月くらいの猶予を与えられる。
執行もベッドで寝たまま。
眠っているうちに逝かせてあげたい。
そうでない患者はランク別に共同生活をさせる。
断っておくが、刑務所ではないし受刑者でもないから、色彩のない世界にはしたくない。
壁は濃いめのアイボリー。
なるべく木材を使いたいなぁ。
食器も陶器でスペイン辺りの模様が入っているのがいい。
庭には芝生、大きな樹がいくつもあって、その下にはベンチがある。
ブランコも欲しいなぁ。
一日三食、栄養のある食事が与えられる。
低アルコール…ビールもいいねぇ。
夜明けから消灯まで自由にしていて構わない。
毎日美しい富士山を見てゆっくりする。
それだけで、生きる希望をもらえるかもしれないって思うんだ。
そうでなくとも、同じ苦しみを持った仲間がいるってことは、スゴく心強いんじゃないかって思うんだ。
また、社会復帰して頑張ってみようって思えないかなぁ…
悩んでいる時、誰もかれもスゴく眩しくみえる。
自分だけ取り残された気がする。
自分なんか居なくてもいいんじゃないかって思う。
自分なんか死んだ方がいいんじゃないかって思う。
“生きていれば必ずいいことあるよ”
って言われてもスゴく嘘っぽく聞こえる。
実際、いいことあるかもしれないが、悪いことだってまたやって来る。
誤魔化す、耐える、気にしない
それしかないのだよ。
それしかない。
人の見た目、声、表情筋に私たちは左右される。
話した、書いたワードに騙される。
逆に、自分もそうしているはずなのだ。
明日はないかもしれない。
今そこにいる人は二度と会えないかもしれない。
やっておけば良かったと思うかもしれない。
だから、言えるうちに言う。
嫌われたって誤解されたって仕方ない。
やれるうちにやる。
失敗したってやりなおせばいい。
私はそうやって生きている。
生きたかった人の分まで…
遅れてきた方が顔色ひとつ変えずに言う。
あまりにも毎日、あちこちで起きるために、私たちはそれを日常の“些細な”こと、単なる迷惑話にしている。
“人身事故ってさあ、やっぱ飛び込みとかなのかなぁ?”
“そうなんじゃない”
都心部に住んでいると(町田が都心かは置いといて)日々起きる人身事故。
そう、日本は自殺大国。
ここまで来ると、国も改革が必要なんじゃないかって思うよ。
私も深く考えちゃう方なんで、悩みは尽きない。
だから呼んでしまうのか?自分の悩みも多いのに、人に相談されて仕方ない。
そう言う人は、閉店間際、閉店後、定休日に顔を出すことが多い。
仕事、就職、恋愛、生き方…
聞き流せたら良いのだけど、一緒に悩んでしまう。
やけ酒も明け方まで付き合ったことも多々ある。
精神科、占いでさえお金取ってるのに、水商売は割に合わない。
気持ちも分かるし嫌なんじゃない。
そうして心から親身になって何とか助けようとしてしまう。
しかも口が固いので自分の中にたまっていくばかり。
ところが、そうして私を悩ませた方に限ってプイと居なくなる。
私の中に蟠りだけが残る。
もうどうしていいのか分からないよ
昨日、行きつけの珈琲店でそんな話したっけ…
ここのオーナーは全然話を聞いてない。
しかも、必ずバラす( ̄▽ ̄;)。
“マスターに相談するのは拡散希望を意味するよねぇ”
彼の奥さんもそれを笑って聞いている。
彼女も愉しい人で、某ビアバーの店主の物真似をしてくれたことがある。
“うんうん”
“なるほど”
聞いてるようで聞いてないって皆で笑う。
聞き流し講座開いてくれよぉ…(´;ω;`)
いかんいかん。前置きが長いね( ̄∇ ̄*)ゞ。
死にたいほど悩むこと、消えてしまいたいと思うこと、誰だってある。
でも、私には救いたい命がたくさんある。
話すと完全にアウトな壮大な妄想。
“自殺したい人たちを集めて安楽死させてくれる施設”を作りたい。
場所は富士山が目の前に見える空気の良い所。隔離施設ではあるけれど、とても広い敷地。
入所には資格は要らない。
まず、面接があって、重度によってランク分けされる。
重症患者は個部屋で、執行日まで一月くらいの猶予を与えられる。
執行もベッドで寝たまま。
眠っているうちに逝かせてあげたい。
そうでない患者はランク別に共同生活をさせる。
断っておくが、刑務所ではないし受刑者でもないから、色彩のない世界にはしたくない。
壁は濃いめのアイボリー。
なるべく木材を使いたいなぁ。
食器も陶器でスペイン辺りの模様が入っているのがいい。
庭には芝生、大きな樹がいくつもあって、その下にはベンチがある。
ブランコも欲しいなぁ。
一日三食、栄養のある食事が与えられる。
低アルコール…ビールもいいねぇ。
夜明けから消灯まで自由にしていて構わない。
毎日美しい富士山を見てゆっくりする。
それだけで、生きる希望をもらえるかもしれないって思うんだ。
そうでなくとも、同じ苦しみを持った仲間がいるってことは、スゴく心強いんじゃないかって思うんだ。
また、社会復帰して頑張ってみようって思えないかなぁ…
悩んでいる時、誰もかれもスゴく眩しくみえる。
自分だけ取り残された気がする。
自分なんか居なくてもいいんじゃないかって思う。
自分なんか死んだ方がいいんじゃないかって思う。
“生きていれば必ずいいことあるよ”
って言われてもスゴく嘘っぽく聞こえる。
実際、いいことあるかもしれないが、悪いことだってまたやって来る。
誤魔化す、耐える、気にしない
それしかないのだよ。
それしかない。
人の見た目、声、表情筋に私たちは左右される。
話した、書いたワードに騙される。
逆に、自分もそうしているはずなのだ。
明日はないかもしれない。
今そこにいる人は二度と会えないかもしれない。
やっておけば良かったと思うかもしれない。
だから、言えるうちに言う。
嫌われたって誤解されたって仕方ない。
やれるうちにやる。
失敗したってやりなおせばいい。
私はそうやって生きている。
生きたかった人の分まで…