やっち@十月祭とビール好きの部屋

町田の老舗麦酒屋さんを畳んだ店主のその後奮闘記です(笑)

最期の夜

2011-08-18 05:49:57 | 日記
祖母との最期の夜を過ごしてます。


告別式に出された食事には全く手を着けられず。食欲はないけどビールや酒やらやけに入る。
なのにちっとも酔えない自分が悲しい。



みんな寝静まって、若い従兄弟(全部男)3人と飲んでいたんだけど、1人寝て、2人寝て…
さっきまで起きていた最後の1人もとなりで寝てしまった。

全くの独り…





葬儀場に到着したのはお昼前。
一年前に出来たというここは高級なホテルのよう。
陰惨な全くないのが助かった。
化粧をしなかった祖母は、綺麗にお化粧されて生前より美しいくらいだった。

綺麗にしてくれた方に感謝した。


そのせいか、意外と冷静に現状を受け止め、昔のアルバムなんか見たりして。





告別式が始まったのは夕方。
親族として参列。


読経が始まると…

突如、私の古い記憶の扉が開けられた。

祖父の時と同じお寺、同じ声…
一気に記憶が遡り、私は24の娘にかえってしまった。



あの日、勤務中に危篤の連絡を受け新幹線に飛び乗った。


広島駅に着いて、改札に迎えに来た叔父はすでに泣いていた。

間に合わなかった。

広島は遠かった…



宅に着いて、安置された祖父の遺体を見るのが怖かった。認めたくなかった。

涙が枯れるほど泣いて、その晩は手をつないで隣で寝た。


葬式でもお棺にすがってただ泣いていた。

出棺では、お棺閉めないでってワガママ言った…。

どうしようもないワガママ、駄々っ子だった。







あれから十数年。


いい年した女が、焼香する壺が見えず、手がふるえ、足がもつれた。

何とか参列者に挨拶して席に着いたものの、心臓が飛び出るくらい激しく鼓動し、涙が溢れて止まらなかった。溜めに溜めた巨大なダムの決壊は止まることがなかった。

あの日と何も変わってなかった…。




社交的で世話好き、華やかで努力家だった祖父の葬儀は近くの公民館でやった。
地味にやろうとしたのに、参列者の列が絶えず、花輪の数がすごかった記憶がある。

“葬式なんかせんでええ、わしゃ軽騎兵かけてくれりゃええ”

そう話していた彼の口癖通り、私が買ってきたCDをかけた室内は、トランペットが鳴り響き、異様に勇ましかったっけ。

厳しく、激しく、熱く、大きくて、とてつもなく優しい。

スゴい人だった。



そんな祖父と対照的に、祖母の葬式は慎ましく淡々としていた。
家族、親族以外は本当に僅かな参列者しかいなかった。
何一つ変わったことはなかった。
派手なことを好まない彼女らしいと思った。

生きてきた全てがここにあった。



そして、厳しくて分かり難い彼女の不器用な愛に感謝して、東京から駆けつけた孫の私が、ここで別れを惜しんで泣いている。


“康子ちゃんは可愛がってもらったからね”

親族、参列された私を知る方は口々に言う。

そうなの?

人から見たらそうなんだろうか。
母方の孫はあと私の弟2人。

私ばかりいつも叱られて、反抗したし心配かけたけど、そうやって愛を教えてくれたんだね。


感受性豊かで、感情に左右され、人の辛さが自分の辛さで、感情が高ぶると気を失ってしまう。
本当に生きるのが苦しかった若い頃。


“人は人”。
突き放し、感情を抑え、クールに、平気な振りするのが大人だと思った。

拒絶が怖くて深入りしないようにした。


違うね

私はやっぱり何も変わってないよ。

おばあちゃんが思い出させてくれた。

こんな大人もいていいのよね


“おばあちゃんなんかキライ”
言ったことあった…傷ついただろうね。

ごめんね

私は感謝の言葉は言えてただろうか?

たくさんの愛情ありがとう…

またいつか

それまで
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