晩酌しようよ

【晩酌】って『大人の愉しみ』みたいな、ちょっとワクワクするような響きがあると思いませんか。今晩あたり、一杯どうです?

大きなのっぽの古時計

2006-03-14 | 随想
♪おお~きなのっぽの古時計 おじいさんの時計~

誰でも知ってる童謡で、最近は人気流行歌手が歌ったことで
脚光を浴びているこの歌。

実は、私はこの歌をはじめて聞いた(覚えた)ときから、
ある違和感を抱いているのである。

それは、出だしの
  おおきな ”のっぽの” の ”のっぽ” にである。
”のっぽ”といえば、私の世代の人なら誰でも”のっぽさん”を
想像してしまうだろう。
つまり、”のっぽ”=背の高い人間と瞬間的に感じてしまうのである。
いったん、この”のっぽ”を“人間“と感じてしまうと、
実はこの歌はこの上も無く恐ろしい歌になるのだ。( ̄ロ ̄;|||

『のっぽの古時計』と『おじいさんの時計』、同じ物を指していることは
明白だが、果たしてこの時計はのっぽとおじいさんのどちらのものなので
あろうか?
歌詞を口語的に表記するとこうなるのではないか。
 『大きなのっぽの古時計はおじいさんの時計だ』
余分なところをカットすると、『のっぽの時計はおじいさんのだ』といえる。
つまり、現在の所有者はのっぽだが、もともとはおじいさんのものだった、
何らかの理由で今はのっぽのものになった、といいたいのである。
単なるこじ付けではない。
おじいさんのものになったときは、お爺さんが生まれたとき買った、つまり新品だ。
しかし、のっぽのは“古“時計だ。
車などを考えてもらえばわかってもらえると思うが、新車で買った車は
ワンオーナーである限り、10年経っても中【古車】とはいわない。
逆に、買ってから一週間であろうと、次の人に譲るときは【新車】とは
いってはならない。
よって、のっぽは間違いなく2人目以降の所有者なのである。

時計がのっぽに渡ったその理由は2番、3番の歌詞を聞けば明白になっていく。
お爺さんは死んだのだ。死んで次の所有者がのっぽになったのだ。
孫である主人公が、次の所有者を『のっぽ』と呼ぶからには、
本人や親ではなかろう。血縁関係に無い第三者と見るのが普通だろう。

 では、それは誰か?

私はある仮説を立ててみた。
すると驚くべきことに、すべての歌詞のつじつまがピッタリと合ったのだ。
その仮設とはこうだ!
 『おじいさんはのっぽに殺されて、時計は略奪された』
のっぽは強盗殺人の犯人なのである。

これであればお爺さんが死んだ理由も、時計が止まっている理由も氷解する。
サスペンスでよくある光景だ。
 おじいさんとのっぽがもみ合っている。
 のっぽはおじいさんを殺す。そのときの衝撃で時計は壊れてしまう。
 時計は犯行時刻で止まったままだ。
 おじいさんの血糊なんかもベットリとついているかもしれない。

間違いなく、殺人の物的証拠だ。
だから、『何でも知ってる古時計』なのだ!!

 ここで皆さんがある先入観を持っているといけないのであえて説明しておく。
『なんでのっぽが柱時計(または掛け時計)なんて持っていくんだよ』。
もし、そう考えているとしたら大間違いだ。
歌詞の中では一言も【柱時計(掛け時計)】とはいっていないのだ。
むしろ逆に、殺人現場から簡単に持ち帰れる懐中時計か腕時計と考える方が、
その光景を想像した場合は自然だ。



...話をまとめよう。
私が考えたシチュエーションはこうだ。

おじいさんの家(100歳であればおそらくは主人公の両親と同居だと思うが)に
強盗が入る。
のっぽの強盗は、おじいさんを殺して、お爺さん自慢の金無垢の懐中時計を奪っていく。
幼い主人公はそれを偶然物陰から見てしまった。事件の目撃者なのだ。
しかし、幼かった主人公の証言だけでは捜査は進まず、犯人は逮捕されなかった...。

十数年後、青年となった主人公は古物商を開いていた。
ある日、大柄な客が『壊れているがたいそう立派なものだ』と言う時計を売りに来た。
その時計は...おじいさんの時計!そして売りに来たのは犯人ののっぽ!!
『のっぽの持っている時計は、おじいさんの時計だ!!』


そう、この歌は、おじいさんを強盗に殺された少年の、
犯人に対する復讐を誓った歌なのである。
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