僕は、志し半ばで逝く人に少なからず立ち会うことがある。
僕は、その人が志半ばで逝くことを防ぐために、できる手立てを尽くしてきた。
それでも、逝くことを止められない人がいる。
その度、逝くことを止められたんじゃないかと暗澹たる気持ちになる。
僕自身、もっと知識があれば、もっと危機感を伝えていたら、その人は逝かずに済んだのかもしれない。
その人を拘束したり、入院させたり、その人の人権をないがしろにしたら、その人は逝かずに済んだのかもしれない。
でも、僕はそうしない。
どんなに苦しい状況であっても、人には意志がある。
自分の行動を自分で決めることができる。
それを脅かすことは、誰もできない。
とは言いながら、「自ら逝くと決めたことだからしょうがない」と逝った人を素直に見送ることができない自分がいる。
思考不良となって、地に足がつかない感覚に陥る自分がいる。
僕が今できること。
逝ったその人の冥福を心から祈ること。
時間をかけて、逝った人と向き合うこと。
逝った人の経緯に目をこらし、他の人が再び同じ事態を招かない手立てを見いだすこと。
逝きたいと言う人に、逝ってはならないと何度も何度も伝えること。
そして、逝ったその人の家族に、逝ったのは家族の責任ではないこと。
これまで力の及ぶ限りその人を励まし、支えてこられた家族の尽力を伝えること。
それでも降り積もっていく悔恨と僕自身も向き合っていくことを伝えること。
僕は地に足をつけて歩いていく。
へばりついてでも前に進まなくちゃという心意気を胸の奥にしまって。