『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

■自由の哲学12章_16段落

2015年10月18日 | 『自由の哲学』
精神までを進化の考えに入れず、
肉体までを進化の範疇に捉える進化論者が、
その基本の捉え方から唱えうるのは、
今の人の行動が猿から進化して生まれた、
ということまでだ。

人の行動が自由か自由でないかどうなのか、
つまり、こういうのが自由な行動だ、と決めるのは、
人が猿から進化したかどうかには関係なく、
自分の行動を直接見て判断するのがふさわしい。

また、精神までを進化の考えに入れず、
肉体までを進化の範疇に捉える進化論者は、実際に
「今の人は、なんとか原人とかから進化した」
としか唱えていない。

人の成り立ち(生理・物理・心理・精神を含む)が、
どうなっているのかを知りたければ、
人が人自身を見ることで確かめるのがふさわしい。

そこで確かめられたところが、
肉体器官の進化までしか入れない進化論ではなく、
もっと広く、精神までの進化を考えに入れた進化論に
矛盾することはないだろう。

ただ、そこで確かめられたところが、
自然の秩序を寄せ付けない
(=自分勝手な思いこみ、形而上の考えの遊び、
他者と噛み合わない…など)なら、
自然科学が今もずっと
新しく進化し続けているという方向と矛盾するだろう。


力強い一元論です。
進化論の知識がなくても、
じかに自分を見たら精神が見いだせる、と。
そして、自分なりの精神や法則が見えるなら、
それは、今の自然科学の知識と矛盾しないでしょう、と。

今も進化し続けている自然科学の新しい方向。
これは、なんか詳しくは忘れましたが、昔、
裸子植物とか、脊椎動物とか、
「進化の系統樹」というのを学習しました。

今、生きている私たちは、
そのてっぺんに位置するだけじゃなく、
そこからまださらに進化している途中なのです。

私たち一人ひとりが、
日々どう行動し、どう進化していくかで、
進化の系統樹の伸び方が変わっていく
と思えてならないのです。

未来の進化のために、私が今できること。
自分を育て、周囲と一緒に幸せになっていくこと。

心折れる日には、状況を嘆いたり
相手を責めたり自分を卑下したりするより、
静かに繭の中で休んで、
安全なところで状況を理解し、充電すること。

充電できたら、また、
自分も周囲も、同じように大事にできるから。

一元論ですもの(^^)/

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