この春、休みになってから、
中学生が毎朝ジョギングの後4人でウチに来て、
小1時間ほどトランプとかしながらあれこれしゃべっています。
隣室で何か用事をしていても、
爆笑する声や何やかや話し声が耳に飛び込んでくる。
それに、置き去って帰るラクガキもあるし、
ウチの子以外の子の生態も垣間見えて興味深い。
たとえば、今日は、
塾の折り込みチラシの写真入り合格体験記を見ながら、
「えー、本日の研究課題は、どんな名前が合格するかにします!」
「え、誰と似てるか探しにしよーよー」
「イケメンランキングは?」などなど、
競争原理の通じない人に勉強させようとしても、こんな感じです。
「化粧」と「胡椒」を言い間違えた後で、
マスカラがダマになってる人がいるのを思い出して、
「まつげにコショウ乗せてる人」と表現したり。
容赦ないゆえに、ホントにかわい気がないんだけど、
知らなかったことを発見したら途端にテンションが上がる。
トランプで勝って調子に乗って喜んでる子に、他の子が、
「うざっ!」「黙れっ!」「一生しゃべるな!」なんて、
凍るようなイヤな言葉が聞こえた直後に、
「仲間だと思ってた人にハブられる悲しさよ!」と言って、
コタツの中で、誰かの足の指をつまんで逆襲し、
「うわ~やめてぇぇ~!」って騒いでまた楽しくなったり。
誰かがなぜか下手な手品を披露して(←謎すぎる)、
「見えてるしっ!!」って総ツッコミされたり。
中学生は、だんだん大人サイズに近づいてきて、
でも、まだまだ経験値が少なくて不器用で、
やりすぎて、うるさくて、生意気で、
声高に騒いでいるだけで威圧感を与えてしまう。
小学生なら大目に見てもらえるのに、
中学生が、生意気に見えるのは、
エネルギーあまってるから調子に乗って、
表現が過激になる時期でもあるんじゃないかな。
それに、どこかで
大人が辛めに判断してる部分もあるなー。
自分に痛い事を投げつけられるのがイヤで。
と自分を振り返ったり。
お友達が折り紙の裏に描いたウチの絵
ただ、格好つけなくていい関係なら、
こんな絵描いて遊んでる人たちだよ。
私たちが思うより、ずいぶんかわいい!!
身体のサイズや表現方法の過激さ、
口調の激しさや不器用さに惑わされず、
子どもの想いを等身大に知りたいな。
エッジの効いた話し方をする子が、
時々、ふざけてるうちに調子に乗って、
一方的に誰かをからかう時がある。
止めようかな、って思う時もあるけど、
イヤな感じになる前に、本人たちでやりくりしてる間は、
知らん顔しておこうと思う。
もちろん、エスカレートしていきそうなら、
その子の話を聞きたいし、
私からも伝えたいことがある。
ちょっと意識を向けておこうかな。
私の時代は結構厳しく管理された教育だったから、
画一的であることを力で強要する先生たちが多くて、
自分を殺しながら「生きる」意味がわかんなくて、
よく大人に絡んでました。ああ、窮屈だった。思い出す(^^;)。
自分なりの生きる意味を持って、
それに向かって生きている人に、そして、
それを子どもに語ってくれる人に出会えることは
幸せな事だなぁと思います。
そういう大人として、子どもの近くに立って居たいけど、
自分とはほど遠いから、せめて誠実に彼らにつきあおう。
反面教師にでもなれたら上等!
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