みどりきみどり空色

草花とそれにまつわるetc.

眺めのよい矢良巣岳です。

2009-11-23 22:37:56 | Weblog
矢良巣岳というところがあります。
473mと地図には書かれていますが、
林道が走っているので、登る距離はほとんどなく、
ゆっくり歩いて10分ほどです。

先客は猪か鹿です。足跡くっきり。

私たちは、
ウロウロきょろきょろだから30分くらいかけて登りました。

この自然に接しての、ウロウロきょろきょろのんびりウォークは
心身にとてもいい、との記事を見つけ

知らずにしていたことが
裏打ちされたみたいで、素直に嬉しい。



景色がとても良くて、
写真を撮りつつ、感嘆の声を上げながら、
葉っぱに触れたり、落ち葉をカサコソ、
ゆっくりゆっくり歩きました。
なんと生きている化石といわれるメタセコイヤ

カンアオイも花があるよ、
スミレも咲いていた、
ヤマボクチの枯れたのもある。
甘いと同行者が言ったミヤマフユイチゴもありましたが、
きっと、酸味を感じる味覚がないのかもしれない。
とても酸っぱかったです。写真は撮らないでおこう。

煮ても焼いても食えないゴンズイは魚も植物もコケにされるが
実が驚くほど鮮やかです。

赤い実はアズキナシ。鈴なりです。

進行方向をずっと見ていたのですが、
立ち止まり、見返れば、半島にスモーキーに分けられた敦賀湾、若狭湾、日本海、大空が眼下に広がっていた。

東の方にはこの矢良巣岳から敦賀にへと続く山並みが紅葉していて美しい。一枚の絵のようだ。

折しも、青い海を一文字に真っ白の大型船が横切っていく。
滑るように進んでいく。
カメラに押しとどめようとするが、難しい。
この目でしばし、航跡を見ていよう。

あまり珍しい植物は見受けられなかったが、

景色がオススメです。

みんな知っているのかな、
こんな良いところが福井県にあったなんて。
展望台もきれいに伐採されていて、
案内板どおり、
遠く丹後半島もうっすら見えました。

北側には河野など馬借街道の広葉樹の森が
ブロッコリーのもこもこみたいに広がっていて、
段通の高価な絨毯のようです。

腰をおろし、
心を空っぽにして
ズーッと見ていたい気分です。
だけど、その伸びやかな気分に水をかけられました。

発見、鹿の糞!
ここは奈良公園じゃないぞ!

緑の葉っぱを相当食べたらしくて、
深緑色だった。鈍く光っていた。
まだ、それほど時間が経っていないに違いない。

どんどん鹿が身近になってくる。刈り込みすぎと思えた展望台も、刈り込まなくてもいいのです。
今に、鹿に全て、食べられてしまうかもしれない。

今晩、うなされそう。私、うま年です。

おまけは、わからなかった小さなりんごの実いっぱい落ちていました。
いやしい同行者が囓っていました。フジの味にはほど遠い味だったそうです。

スイカズラの実、真っ黒です。

一度行きたかった『時水』

2009-11-05 22:17:09 | Weblog
 時水というところがある。

間欠泉のように、一定の時間をおいて、
水が噴き出すのことから、
山仕事にきた人たちは時計がわりにしたという。

 このような冷泉の間欠泉は日本に
数えるほどしかなく、その内、誰でも簡単に訪れることができる所はなんと日本でここだけだそうだ。

今は、合併して越前市となった武生市の味真野地区に
この時水という所がある。

万葉集の歌でも有名だ。

詳しい方に案内していただいた。
10分くらい歩けば楽勝よ。
との言葉に常備のステッキは置いておく。
しかし、
ツリバナ

けっこう急坂もあり、なんの、なんの、私の足で30分くらいは、かかった。

はじめて花に逢えたキッコウハグマ、
亀甲羅のような葉っぱと風車のように渦巻いた花。

例によって道草も多かったが。

大平山の中腹にその時水といわれる場所がある。

噴水のように飛び出してくるのかと思っていたら、ドスコイ、違っていた。



斜面の山肌より急に小川となって出てくるところがあり、
それが少しづつ増え、一定の時間を経て、

最大限の水量となり、ドッとあふれ
そしてまた、徐々に減り始め、いつもの穏やかな流れとなっていく。

その最大限にであうには、なかなか難しい。
私たちが来る寸前だったかもしれないし、
まだまだ、二、三十分待たねばならないかもしれない。

わからないから、じっと、気長に水流を見続けていなければならない。

地中の奥底に、空間がありそこに湧き出てくる地下水が
満たされて一気にあふれでてくるとか。

日本庭園のいわゆる鹿威しみたい。

どれだけ増えたかは、
備え付けられている定規の目盛りでよくわかるのだが、
そこには、水量で動く、高さ2m位の手作り現代アートのような
測定器具のような骨組みもしつらえてあり、
そのはかり?の矢印でもわかるようになっている。

労作か芸術か?はたまた、障害物か、
意見の分かれるところだ。
時水を愛する人が制作したらしい。それならばOKだ


つるにんじんこんなところに・・

じっと流れを見ていることに飽きて、
見下ろせば、
そこは山あいの中の谷の奥まった上の方。

見晴らしが良く、遙か彼方に中居の集落が
この両眼に納まる。

わが故郷はここにありと思えるほど、長閑な、懐かしいような眺めである。
時水はその麓の家並みを潤すようにめがけて、流れ落ちていく。

おだやかな落ち着く風景と
湧き出る泉の音にすっかり、
時を忘れてしまった。