みどりきみどり空色

草花とそれにまつわるetc.

山藪蘇鉄-漢字がむずかしい!

2008-12-29 18:55:38 | Weblog
 お正月用の松の木を取りに行った帰りに、夏ならこわくて行けそうにない場所だが、ちょっと、気になっていたところをしばらくうろうろ歩き回った。里山のちょっと入った薮だ。
 そこで見つけた羊歯(の歯って羊歯に似ているのかな?一度のあくびを見てみたい)類数種。
 杉、竹が生い茂り、あまり日中でも日の光がささぬ鬱蒼としているところ。アオキと万年青が珊瑚のような赤い実を付けていた。ヤブランは花には似合わない黒い実をまばらにつけている。気になるのは羊歯。さっそく数本、採取して持って帰り、なんていう名前かなあと図鑑を開く
 正月は近い、恋せよ乙女じゃない、「仕事せよ年いった乙女。」の心奥底のかぼそい良心が叫ぶ。気にせず、手に取ったヤブソテツを写真と標本とを見比べる。ヤマヤブソテツっていろんなタイプがあるみたいだ。ギザギザがあったり、耳がとびでていたり、ツヤがあったりなかったり、よりどりみどり、これはいったいなんなんだ。それに、葉裏の胞子たちも一定のようで、とっちらかっているみたいでやっぱり規則性があるようで、変・変・変・今年の漢字・変。
 一見、軸中心に対称に見えるが、とんがりの頂上がまたまた、ちょっと変。なんか羊歯植物ってときどき、四角四面でためすすがめつしているとフェイントかけるというか、はずすというか、ガクっとくるときがあっておかしい。まじめな顔しておかしい人みたい。またまた、今年も自然に学び、森羅万象に頭が下がる歳の暮れとなりました。

人間オセロゲームをしてみたら・・・

2008-12-25 21:26:55 | Weblog
さあ、これから、人間オセロゲームをはじめます。
畳の上に派手にばらまかれたB5くらいの裏表紅白のカード。40枚くらいはあるだろうか。
それを今、呼ばれた人たち2人2組で制限時間以内にひっくり返すのだ。指示された色に。時間は一分間くらいかな。でもとっても長く感じる。
赤ちゃんのように四つんばいになり必死で手足を駆使してカードを自分たちの色にひっくり返すのだが、相手も必死。三つどもえ四つどもえとなって、しまいには腹ばいになって手足を広げ、自分色のカードを相手にさわらせないように押さえ込む始末。
ピーッと笛が鳴ったときには、笑いと息切れで頭にアドレナリンがばらまかれたのかひじょーにエキサイト。頭んなかはしばらく、ガハッ・ガハッ・ガハッしていた。
まさにわが年忘れのハチャメチャ忘年かい。

家に帰ってから、ちょうど、集まった近所の人たちに、試してもらおうと、急いで画用紙に色紙貼ってカードを作る。そして、突然、立ち上がり提案する。「人間オセロゲームをしませんか?」
結果は?おっちゃんおばちゃん興奮のるつぼでした。暗い年の瀬だけれど、ちょっとでもみんなとガハハハと笑えてよかったなあ。また明日から頑張っていこう。ちょっと畳は傷ついているかもしれない。摩擦がすごいのだ。

真紅のビナンカズラ

2008-12-25 20:58:29 | Weblog
初冬の合間の小春日和。ビナンカズラは、まっ赤に燃えていた。去年より多く実を付けている。家のまわりでは、もう一つ、南天が赤い実をたわわにしならせている。ナンテンは鳥たちの餌になるだろうが、ビナンカズラは誰が食べるのかどうなるのか興味津々だ。ナイフで半分に割ってみたい衝動に駆られる。

見た目は悪いけれど・・・すばらしき発酵食品

2008-12-21 22:54:40 | Weblog
はまなみそなるものをつくった。といっても自分の手を使ったのは2割ほどだ。ほとんどは、山間部に住まわれている方の材料集めと段取りにてできあがる。
私のしたことはご飯ジャーに米麹を入れ、あたためてあげたのと仕上げのいろんなもの、例えば、ぺしゃんこ塩漬けなすの塩抜きして刻んだの、プチプチ歯触りはじけるシソの実、ショウガの刻んだの、豆麹、そしてあたためた米麹、それらをとろ火に掛けて、しばらくまぜまぜしたくらい。
 夏に収穫するナスの塩漬けもプチプチぷっちんシソの実もその方が育てて保存しておいたもの。中々見かけなくなった豆麹も予約注文しておいてくれ、かれこれ、何ヶ月もかけ、やっと手元に集められた品々を足して足してまぜまぜして出来上がったのだ。
 はまなみそ・・・とおーい昔、母が作ってくれたのを思い出す。到底私にはできないと思っていたが、まねごとだけでもできて嬉しい
 小泉先生ご推奨の発酵食品だ。発酵食品だから日を追うごとに味わい深くなる。酵母菌の大きな力を借りて味がまろやかに調えられていく。
 心づくしの丁寧で地道な人のわざと自然の力とのコラボレーション。大地の恵みがわき上がる味だ。全体の味が調和されていて、材料のそれぞれの持ち味が控えめに自分を主張している。これって平和な味だなあ。ご飯がススム。近所のあちこちにお裾分けする。しかし純朴田舎娘の都会へ出向けたごと恥じらうのだ。その見た目の悪さに。

またまた、『族譜』から

2008-12-14 23:47:57 | Weblog
 劇で見た族譜と作家梶山季之のことがどうも私の心に水紋を広げてきた。
 そうだ、図書館へ行こう。
 
 数多くの本が並べられている書架。しかし、梶山氏の書物は数冊しかなかった。流行作家の宿命か。それでも族譜の入った短編集があったので早速借りた。後書きを見てみると45才でなくなったと記されている。無頼とか放浪とか言う言葉が未だ生きていた時代であった。
 
 読み始めて驚いた。近頃、文字を読むのがあまりに遅々として進まず、遠ざけていたのだが、ぐんぐん文字の世界に入っていけるではないか。読むスピードと内容が呼応し、何も知らない朝鮮の京城の様子がうっすらとイメージできて、自分自身が梶山氏の文字で構築された世界になめらかに沿うように入っていく。文章が練り上げられているので、どんよりしたこの頭にも優しいのであろう。また、人間の哀しさや人間への暖かなまなざしが感じられるので、筆者の思いに、素直に身をゆだねて読み進められるのだ。
 戦争という極限状態。誰しもが自己保存の中で非人間的で残虐に変わっていき、弱さや狂気が露わになっていく。その中で、もがきながらも何が正しくて何が愚かしいことかが主人公を通して、浮かび上がってくるような内容。
 平和な時代にはありえないようなことが、日常茶飯に起き、人の運命が木の葉の舞うように簡単にひっくりかえされていく。
 強権に押しつぶされるような毎日の中で自分だったらどう生きていくだろう。あらがいようなく生きていかねばならぬ時、私のおぞましい本性がむき出しになっていくであろう。
 そんなことがつい数十年前、現実だったのだ。
 どうかそのような未来が来ないでほしい。いつまでも命を大切にする世の中であってほしい。
 
 今もニュースではアフガニスタンで少年が自爆装置を付けて兵士に近づき自爆し数人がなくなった、と報じている。
 少年やその家族の気持ち、遥か遠くに派遣されて命を落とす若き兵士たちの辛さなど想像してみる。ぬくぬくしたところにいて、何億分の一も共有できない自分だが、この同じ月を見、同じ空気を吸って生きている今、この地よりずうーっと西に行けばそれも全く恐ろしい現実として繰り広げられていることに、切なく胸が詰まる。
 そして、翻ってここ日本、今の若者の就職状況の鬱屈した悲惨さを思うとき、それがますます続けば絶望した若者たちが、歴史でよく出現する狂信的な者にとらわれていったようになっていかないかと不安になる。

わが家の-おっかあ-が元気だ

2008-12-13 14:31:37 | Weblog
 真夏に気がついた居候。
玄関灯に集まる虫けらどもを根こそぎ食べちょる。おかげで恰幅がいい。腹回りはふくぶくしい。いつまで無賃貸しとるんじゃ。と思いつつ、幾月ぞ過ぎぬ。
 そして、気がつけば、リーマンブラザーズの豪邸においしいとこチュウチュウ吸い取られたニッポンは、師走。不景気木枯らしが吹きつけ、みんなさぶいふところ抱えつつ震えちょる。
 ふと、かの無賃貸居候が気になり見上げてみる。
 おおーますますふとっちょになったではないか。
 ゴミなどもひっかかり、ほころびも目立つ年季の入った蜘蛛の巣に君臨しとるではないか。思わず、わらわは、おっかあと叫んでしまった。
まだ生きちょったのか。霜月の雪は寒くなかったか?冬でも虫けらはいるんか?これからもっとさぶうなる。元気で暮らせよ。鳥に見つかるなよ。さだまさしの歌のように聞いてみるが・・・答えてはくれない。そして、今日も私は無口なおっかあにあいさつをし、出かけていく。

同じでもいろいろ。

2008-12-07 22:50:55 | Weblog
小雨の降りしきる中、崖で見つけたシダ。
 一本の針金のような葉柄が伸び、イヌガヤのような葉が手を広げたように混み合って生えている。全体の感じはミニサイズの椰子の木だが、葉柄の長さは20cm位で、それ以上に掌状の広がりがあるから頭でっかち椰子の木に見える。
 そのシダが壁面の一画に生えていた。
 一本採取して帰り、調べてみる。すぐに名前が判明した。「コシダ」。ウラジロ科。ごく普通に生えているらしい。今まではどうやら視界に入らなかったらしい。
 その葉柄は丈夫ですべすべしているため編みかごの材料とされてきたという。えっ!こんな短いのでどうやって編むのだろう。継いでばかりいなければならない。どう考えても無理だろう。いろいろ調べると、南の方は背丈が1mとか2mになるらしい。それでコ?シダか。それほどになれば、いろいろなものに利用できるであろう。 
 この日本の広い範囲に生育しているのだが、場所によってそんなに違うのか驚きだ。一度2m位の見てみたい。また、このコシダの葉っぱが腐りにくく山火事の原因になったりして、曲者みたいだがまあ、2mにもなれば葉っぱの大きさもそれ相当となり悪影響もさもありなんって感じだ。同じものでもそんなに差があるのか。人生だいぶ生きてきたのになんにも知らないことだらけ・・・。

霧に包まれる山里

2008-12-02 22:35:38 | Weblog
今朝はとても冷え込んだ。
天気予報は放射冷却現象と伝えている。
毎日見ている景色が、こんな日は一変する。この我が山里が一面、深い霧に包まれるのだ。
遠くに望む山々は、海原に浮かぶ島のようにぽっかり頭を出している。青墨の濃淡に彩られた風景が目の前に広がる。輝き始めた朝陽を受け、住宅地は、童話の影絵細工のようなシルエットとなり、一直線に並んでいる。
等間隔で植えられている街路樹も柔らかなタッチで描かれたクレパス画みたいだ。
かじかむ手をさすりながら、この美しい景色に心奪われる。冷たい冬のちょっと嬉しい贈り物。