みどりきみどり空色

草花とそれにまつわるetc.

トクワカソウはきれいだったけれど・・・・

2009-04-20 23:35:11 | Weblog
岩籠山に行く。

今年初めての本格的な山だ。降りそそぐ陽光を受け、身ごなしも軽快で心も弾むといきたいところだが、登山口付近の里山風景が一変していて衝撃を受ける。

15、6年前、そこは確か、里山であった。
近辺の方が営々と守り育てた田畑がなだらかなに、広がっていた。
畑には季節の物がにぎやかに植えられていたと思う。

しかし、10年一昔というが、時の移り変わりで、担い手はいっそう、老い、通う人もいなくなってしまったのであろう。
あたり一面、荒れ果てて、カヤ場や雑木でおおわれている。作小屋は、もはや朽ち果てる寸前だ。茶色く錆び付いたトタンの割れ目から木の枝が伸びている。
また、それすらも今後、歳月を重ねるごと大地に向かって消え果てていくであろう。

人の手の後として残れるのは傾斜を平らに耕作するための石垣だけになるのか。自然石を組み合わせた素朴な石垣がここに暮らした人を想うよすがとなるのだ。

ニッポン中あらゆるところでこのような状況が繰り広げられているに違いない。
ため息をつきながら林の中に入っていくとまた、愕然とした。

水量も豊富にあった小川が、登山道(山道)に沿うように流れていたのだが、すっかり干上がっていたことだ。
以前登ったときには、両側の草たちを緑に勢いよくしたたらせながら、ほとばしるように流れる透き通った小川に、身心共に潤されたものだが、もう、水は一滴も残っておらず、がらんどうになった自然の水路が、回りの植生も追い出して、ただ、土色にえぐれてあるだけとなっていた。

想像もつかないけれど、付随する多用な生物がきっと生存を脅かされたであろう。

がはは、と人間(私)が赤ら顔で食い散らかし、我が世の春と好き放題、資源をあさり、エンジン鳴らして車走らせて飛んでまわっているころ、住みかにしていた者どもは喉掻き切られ消えていったのであろう。

行ったこともない砂漠のオアシスを何故かずうーっと思い巡らしていた。

そして、気づいた。ああ、この水路はあの田畑を耕すための用水路であったのだ。

今は、もう耕す人のなくなった畑に水路は不要となり、管理する人もなく、こうなるのは必然だったのだと。

楽しいはずの登山が一転、少し重いものとなってしまった。そんな心を抱え、この冬、ますます重くなった体は、鍛え抜いた皆について行けず、のろのろ、いろんな思いばかりが錯綜する登山となりました。そして、トクワカソウはきれいだったけれど・・・。

Wish  愛りんりん

2009-04-12 21:45:16 | Weblog
朝から3歳近くのいわゆる孫を預かる。

さんさん太陽、紫外線の降り注いでいるらしいこの田舎の公園の貧弱な遊具から離れぬ元気いっぱい愛りんりんに私はすっかり疲れ果ててしまった。
まっ赤なジャングルジムがお気に入りで、二段までを登ったり降りたりするのだが、時折落ちそうになるから、目が離せない。

とにかく、三点確保だ!手と足の三箇所は必ずしっかり握っていなさいと登山岩場のこつを伝授するが、あまりわかってないみたい。おりの中の小猿ちゃんをハラハラ見ている感じ。

なんとかのびのび遊びまくっていたので、午後はゆっくりお昼寝してくれ、ホッと安堵する。汚れた服など洗って干したのだが、連日の好天ですぐ乾いた。

他の洗濯物と同様にまとめて夕方取り込んでおき、仕事から帰ってきた娘に洗っておいたよ。というと「ありがとう」と返ってくる。

昔、家にいた頃はついぞ聞いたことがなかった言葉、当たり前のようにして暮らしていた横着もんだったのに。そして愛りんりん連れて帰ったあと気がついたのだが、たくさんあった他の洗濯もきれいにたたんであった。
ちょっとウルウルするぞ。簡単なことすら、なあんにもしない娘だったのだ。耳タコ口タコ注意しても抗弁だらけ、はいなどと殊勝な言葉は交わされなかったのに。

それが、世間にもまれていって変わっていったのか。何はともあれ、このぐうたらおかあさんはシンプルに嬉しいのです。感謝します。
本日(4/12、夜今年初めてのヤモリ太郎見参

久しぶり高速道を駆けて出かける。

2009-04-12 20:48:07 | Weblog
時間に追われていたものだから出かけるのに、高速道を利用した。
一区間だからそれほどではないがドキドキした。

トンネルなど後ろから追い越し車線から前にも、バスやトラック、bigオートバイに取り囲まれたりすると、しらずしらず、力が入ってくる。
それでも、アクセル踏んでいるといつの間にか目盛りが100km/hを超え、押さえて押さえてと自分に言い聞かせる。血圧たぶん上がっていると思う。

平気で、どこまでも、すっ飛ばせる人、尊敬だ。
人間はスピードに乗れる人と乗れない人の二手に分かれるのではないかな。もちろん私は後者。今日は、日頃のぼんやりした頭に刺激がはしったようで、無事帰宅できたあとも、体中の毛穴が開いたようなアドレナリンでまくり覚せい状態だ。おまけに小さなS.Aに入ってソフトまで食べてしまった。あまり美味しくはなかったが、とにかく今日は刺激的な一日を送ってしまった。

そしてわが家のCO2排出も高レベル。


カリカリ・・・コリコリ・・

2009-04-02 22:02:28 | Weblog

 今が一番忙しいとき、浮かぶ瀬がないということばがあるが、見事にその言葉通り浮かぶ瀬がない。仕事の海に埋もれて、時間があっという間に過ぎていく。

 仕事が出来る人であればいいのだが、慣れていないので思うように進まないのだ。書類と格闘している。度重なるいろんな℡や来客でちょっと中断すれば、もとの仕事体勢にもどるまで、時間がかかり、いらいらして、いっそうのことはかどらない。

 体中に力が入り、やや見にくくなった字面を追いつつ筆圧の強い文字で書き連ねていく。だから、姿勢もまるこまり、こおばって、忙しい、奮闘しているというオーラがはた目にも、あふれていたのであろう。同僚の人が、私のそばを通り抜けるついでに、頑張ってるね忙しそうねと私の肩をもみもみしてくれた。

 その刹那、電波が体中駆け抜けて、身体が溶けた。リラックス。緩和タイムが訪れた。緊張と緩和のバランスがとれました。ありがとうね。また頑張れる。私も誰かにそっと、そんなふうに優しさプレゼントできるかな。

疲れたときは、想い出の一こまに思いを馳せよう。