とりあえずこのままではいずれ力の防御を破られて再び手を奴に嚙みちぎられることになる。それはどうあっても避けたい。なにせあんな痛み一生に一度で十分と野々野足軽は考えてる。好き好んであんな痛みを味わいに行く奴はいないだろう。なにせめっちゃ痛いのだ。それこそ本当に死ぬほどいたい。力がなかったらそれこそ失血死しててもおかしくなんてなかった。腕を再生してさらにドラゴンと相まみえる……それが出来る程に十分な力があるのか……それは野々野足軽だってわかんない。
なにせこんな経験はないからだ。けどそんなに余裕がないのは感覚的にわかる。それにドラゴンの力はそれこそ風の少女として感じてた時の比じゃないくらいに強まってる。どういうことなんだろうか? と野々野足軽は疑問に思うよ。なにせなんで力が増幅したのか? これが最初に出会った風の少女のままの力ならよかった。けど今、彼女だったドラゴンはその巨体に見合うだけの力へとなってる。
体に見合ったエネルギーを得た……ということなのだろうか? けどそれなら体が大きな生物は強い力を持ってるということになるだろう。生命力といってもいいかもしれない。でも実際地球で大きな生物……それこそ象やらクジラを見に行ったことがある。この力が発現してからだ。けど野々野足軽の結論的には普通に生きる生き物たちのエネルギーの量にそんなに違いはないというものだった。まあ流石にクジラとネズミとかにはそれなりの量の差はある。
でもクジラと象にはそんなに差はなかった。だから体に付随してエネルギーが極端に増える……ってのはおかしい。そういう法則はこの世界にはないみたいだ。けど実際、今野々野足軽を襲ってるドラゴンはドラゴンという姿になると、その力を急激に高めてる。それは確かだ。
(心当たりがあるとすれば……絶望……とか?)
感情……それの一定値を超えてしまったことで風の少女は絶望に覆いつくされてドラゴンへと変質してしまった。つまりはその大きな感情の変化、希望から絶望への反転……その現象が力を高めたのかもしれない。ある意味ではこれも『覚醒』――なのかもしれない。普通覚醒ってのはいい方向で捉える。野々野足軽だってそうだ。けどそれはきっとマンガとかの創作物の影響だろう。
リアルならこんな風な逆の覚醒があってもおかしくないのかもしれない。まあ普通の生命体なら、絶望の果てにドラゴンへと至る……なんてことはないだろう。けど絶望して復讐の鬼とかになる人はいたりするわけで……風の少女という特殊な存在が絶望したことでさらに特殊な事が起こったことで、ドラゴンへと変貌してしまった。そしてドラゴンへと変貌するほどの絶望はどこからか……それこそ心当たりからそれだけの力を生み出したのかも。
だからこそ、これまで対峙した何よりもこのドラゴンは強い。強大だ。それこそ、大抵力があればなんとかなる……と思ってた野々野足軽がなんとかならないかも? と思うくらいにはこのドラゴンは強力。けどどうにかしないといけない。
野々野足軽は別の所に力を集めてる。それは別に攻撃のためってわけじゃない。ただ集めてるだけだ。すると……だ。ドラゴンはそれに反応した。手を噛みちぎろをとしてたけど、それをやめて力を集めた方へと向かっていく。
「やっぱりそうか」
そういって野々野足軽は少し希望を見出してた。