貧富の差について考える

2012-08-07 08:26:53 | 読書ログ
『世界の半分がなぜ飢えるのか?』という子供向けの本を読んでいます。

私は昔からアフリカの飢えの問題に興味があります…というのは、こちら側では余っているからですね(笑)学生時代にフォスターペアレントをやっていたほどです。

私の小学校は、児童に無理やり給食を食べさせる教育方針でした…食べたくないのに食べなければいけない給食…そしてそれでも大量に余っている残飯… アフリカで何十キロと難民キャンプまでたどり着いた人たちが飢えながら死んでいく。あの人たちにあげて…私は食べたくないんだから…

この謎は、素朴で、でも、深遠で、かつてまともな説明をしてくれた大人には一切会った事がありません。

仕方が無く自分で考えるわけですが…

南北格差は、まさに生まれた場所が運が悪かっただけ。

人間には分があるのよ、とヨガの先生などは言いますがさすがカーストを受容しているお国柄、としか思えません。 しかし、合衆国大統領の命とアフリカの名も無い子供の命のどちらが重いか?それを聞かれると窮しますよね?
妻を救うか子供を救うか直面させられた父はどちらを救うのでしょうか?

この手の本は、瑣末な日常の小さな愚痴だらけで、便利な生活になれ安易に流れやすい先進国の人間にとっては、いかに自分が生まれながらに幸運であったかについて、たまに読むべきですね。戒めとして、何の努力もせず、豊かな生活を送れていることの感謝として、税金のようにきっちり毎年読むべきなのではないか…と思います。

電気がある生活は電気が無い日がないとありがたみが分からないのと同じですね。

さてこの本ですが、 貧富の差はなぜあるのか? の解を西洋的に答えてくれます。

その解は現在の世界システムそのものではなく、格差が大きすぎることに収斂していきます。

一方で、私の目には、現代のマテリアリズムでは、人間は幸福になるよりも むしろ、富をめぐって争い、醜く、そして底なし沼の不安におびえ、一生不安という鞭に打たれて恐怖心から働き続ける以外は方策無し、といった暗礁に乗り上げ感が
どこの先進国にもあるように見えます。

日本だけでなく他の西洋先進諸国でも若者の購買意欲は低いです。満たされてしまっているのと既に大人を見てモノによる幸福にはそそられない(笑)からです。

先進国ではこうした状況で、”人間疎外”が顕著です。

そして、アフリカでは私が小学生だった頃から変わらず飢餓が続いているようです。つまり問題は30年以上変わっていない。心ある有能な人たちが国連や国境なき医師団やありとあらゆる有能なNGOやNPOで活動し現地の人々を助けようとしていますが…状況は不毛な戦いを思わせます。 

この本によると西洋人が考える飢餓の原因は、援助を受け取る側の汚職や政治的混乱、民族の断裂などです。つまり差し伸べた援助は受け取る資格が無い者たちに横取りされているというわけです。

この世界の貧富の差は、近年大きく開き、ビルゲイツ1人の資産は同じアメリカ人1億人の年収を上回るのだそうです。

格差の源泉は何か?西洋的文脈では、それは頭の良い誰かが考えたシステムを、スムーズに実行させない邪魔、妨害が入るからです。援助をしようとすればその国の高級官僚が横領するといったような…

けれども、東洋人的発想をすれば、システムそのものが格差を許容しているとしか思えません…。

経済格差を辞めたいのであれば、複利を廃止してみてはどうでしょうか。これだけで荒稼ぎしている多くの金融商品が消えます。カネを持てば持つほどカネが集まる仕組みが変われば、水の流れが高きから低きに流れるように流れるでしょう。

複利こそ、この世の発明の中でもっともずるがしこいものだなぁと…(笑)利息が産んだ金にさらに利息がつくなんてね。

それにしても、日本の税金を節約して貯金しさえすれば、じきに新たに税を徴収しなくても利息で国民の支出が補えるはずだ、と言ったのは松下幸之助だったと思うのですが…それは出来なくなりますね(^^)まぁ複利と言う強力なマネー増殖システムがあってもそれは実現していないのですが…(笑)

飢えても飢えても増え続けるアフリカ人口のように、日本では取っても取ってもまだまだあるとされているのが国民の税金ですね…

人間がチャンピオンの世界観?

2012-07-21 11:06:58 | 読書ログ
■ ピーターラビットの著者の生い立ち

宮崎学カメラマンの生い立ちの本を借りてきたので、一冊だけを読むのはなんだ、とついでに
『ピーター・ラビット』シリーズのビアトリクス・ポターの伝記も借りてきました。

写真vs絵という違いはあれど、動物達への深い愛と鋭い観察眼、という意味では、ベースは同じ。
そして、時代と洋の東西が異なる。 良い対照と思ったのです。

読んで見ると、ビアトリクス・ポター女史の生涯はひどい言われよう…でした(笑)。

ポター女史、実は絵本作家として生涯を終えず、資産家と結婚し大地主として地元に君臨して生涯を終えたようです。その君臨具合は…とても伝記作家が好意的になれるものではなかったらしく…ひどい言われようの書き方されています(^^;) 平たく言えば、金持ちの偏屈ばあさん。 

『ピーター・ラビット』は何の産物か? は分かりました。苦しく抑圧された子供時代の産物。 

ポター女史は抑圧された家庭に生まれ、青春なんて一切なし。そのために自然に目を向けたようです。
なんと子供時代はこっそりと動物の解剖をやってしまうくらい、どっぷり動物の生態にはまっていたらしい。

あの可愛らしい絵柄からは想像できないような深い観察によって成立した絵本だったのです。
絵本のセリフにもちょっと毒がありますしね。

しかし、絵本が世に出てから結婚し、大地主の妻、領主となってからはすっかり絵本からは遠ざかり、隠遁生活。ひととなりも変わり、伝記作家からはケチョンケチョンの評価です(^^;)。

■ 抑圧が文学を産む

それにしても、後世が評価したのは、安泰で豊かだった資産家としての農園での、(本人にとっては)平和な隠遁生活ではなく、抑圧され不幸な若き日々に築いたファンタジーの世界。

よく平和な時代に偉大な文学作品は生まれないといわれますが…(私の好きなトルストイとかスタインベックも不幸な時代に書かれています・・・)

そういう視点で見ると、苦しみや不幸という抑圧された状況は…基本的には資産といえるものかもしれませんね。

■ 苦悩 = その人が見ている仮想現実= イリュージョン

人間の苦悩の原因は、基本的には、その人が生い立ちによって与えられた幻想=イリュージョンですが…。

人はその苦悩を乗り越えるために生涯を費やすのかもしれませんね。

最近ふと、思ったのですが、実は学生時代はずっと中学から大学までテニス部だったのですが…

な~んでテニスだったんだろうなぁ?

いや別に、やってる当時、本人も特に嫌々だった思いはありませんでしたからいいのですが、よく考えるとテニスをしたかったのは母で私ではなかったんだろうなぁ。別にいいけど。

母は幼稚園からのお受験シリーズで私の子供時代を埋め尽くしたのですが、それはどんな世界観を反映していたのか?

世間とは母にとっては競争の世界だったんでしょうねぇ。早く切りたいスタートダッシュ、って感じ?


■ 読了 『動物と人間の世界認識』

この本によると、人間だけでなく動物も、かれらの限られた世界観で世界を見ている、ということが分かります。

よく虫の目の話で虫くんから見える世界は人間が見ている世界とはまったく違うことが言われたりしますがアレ。

うさぎも、猫も、シカも、クマも 彼らが見えている(限定的に)世界観の中で合理的選択をして生きているってわけです。

要するにアサギマダラちゃんにとっては、ヨツバヒヨドリが一杯の場所=楽園ってわけです(笑)
もしかして、温泉につかったオバちゃんのように「ああ~極楽、極楽」とか言っているかもしれません(笑)

人間の視野では価値のないゴミのはね出しの果実の山も、動物の視野では大ご馳走!

■ 見えることしか見ない、見たいことしか見ない

動物には動物の独自の感覚器官があり、人間には知覚できないようなものもあります。

例えば、紫外線や赤外線は人間には見えないし、音波だって聞こえないものがあります。

…とすると、人間に見えている世界が世界のすべてだと思ってしまったら…それはとんでもない間違いってことですね!

人間も動物も、自分の知覚できる範囲で切り取った世界の一部を見て生活しているに過ぎない。

だとすると、動物と人間の違いは、見るものを選ぶ、自由があるかないか?という点です。

どうせ見たいものしか見ないのだ、と知っているのは人間だけ。

人間の脳はGoogleサーチエンジンです。例えば、問題意識だけを研ぎ澄まさせていくと、問題を発見する能力が研ぎ澄まされます。すると世界は問題だらけです。一方で美しさに焦点を合わせていくと、世界は美しさであふれます。

どっちを選ぶか自由があるのは人間だけ。

■ 人間様、お山の大将?

例えば、足の速さ、動体視力のよさ、飛翔、ジャンプ、あらゆる能力を分野別に見ていくと人間は動物には到底及ばない程度の低い能力しかありません。いくら大脳皮質が発達しているっていっても…

ある一点で他より優れていることが、すべてにおいて優れている、ということにならないのは自明の理です。

熊の前で、オレのほうが偉いんだぞ、と言ったところで、あっそ!とぶん殴られて終わりですよね。

あのほっそりした鹿がどれくらい高く飛べるかっていうと…2mくらい平気なそうです(だから鹿柵は最低でも2m以上が必要です)

ってわけで、どういう風に考えても、「人間が生物界の頂点に立っている」という視点は、否定されます。

公平に見れば、動物、植物、あらゆる生きとし生けるものの、さまざまな世界観が交差する大きな坩堝の中で、人は人の世界観が動物の世界観と交差するその一瞬の出会いで動物や植物と生活をともにして感情を分かち合っているに過ぎない。

人間が生物界の頂点なんて、人間から見た世界観の中での出来事に過ぎない。

ふむ。”社長 ○○”と書いた名刺を配ってまわるどこかの中小企業のエライサンを髣髴とさせる(笑)???

山は、そんな人間の姿もすべてお見通しなんだろうな!! 

崩落の跡がいっぱいで、毒草さえも鹿が食べた痕跡がある山…でも一向に山は山。人が莫大な工事費をかけて堰堤を作ろうが、林道を作ろうが、どこ吹く風で、たゆまず進む自然の営み…

山ってほんとにすごいな!

読了 『永い夜』 『植物学とオランダ』

2012-07-11 08:35:30 | 読書ログ
■ 読了 『永い夜』

とっても良い本でした。

どんな風に良いか?というと・・・

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A このまえパパは、自分だけの幻の世界に生きている男の人の話をしてくれた。

B まぼろし。ひょっとしてここもまぼろし?

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で、Aでは、誰もいない城郭の中にぽつんと馬に乗っている騎士の絵が。

Bでは、望遠鏡を使って鏡の中の自分を見つめている子供の絵が。

このユーモアがすばらしい。絵とセリフ。

自分のことは、鏡の中の自分を望遠鏡を使って見ている、ようなものかもしれませんね。

読むのは10分で終わってしまうけれど、作るのは何年も掛かるような本。

永い夜

■ 『植物学とオランダ』

イギリス風の庭園は、実は日本の自然(お山)を模しているのではないか?という疑問から読み始めた本。

植物学とオランダ


日本のお山はホントに美しい… イギリスはガーデニング先進国ですが、自然環境からすると
あまり植生も豊かとは言えず(まぁだからこそ、なのでしょうが…)イギリスの自然を模した
庭とはとても思えないので…ちょっと歴史を調べてみようと思って手に取りました。

アジサイが日本原産で世界に広まったのは有名な話ですし・・・

予想は当たらずとも遠からず、という感じ。オランダが日本から多くの植物をヨーロッパに持ち込み
それでオランダは園芸で食べていくことになったらしいですね。

面白かったのは、音楽の発生についてでした。

西洋はクラシック音楽が大変発達していました。そう、音楽を家庭で奏でることが普通だったのですよね。

ローラインガルスの物語でも父さんがヴィオラを弾きます。
(荒野でヴィオラだよ?!)

そういう伝統は、”音のない夜”の恐怖から開放されるために出来たのではないか?という話。

日本では夜はにぎやかなのだそうです。たしかにかえるの音も聞こえ、鈴虫がなき、ヒグラシを
聞けば夏だなぁと音と季節が密着しています。 

山では静寂が支配するのではないかと思いますが…。

海の日のお山、とっても楽しみです。

映画 『Nobody's Fool』 

2012-06-03 05:25:59 | 読書ログ
めったにTVを見ない家庭ですが、つけたらポール・ニューマンの演技が映える ”Nobody's fool”を
やっていました。これはめったにないいい映画でした。あまり気に入ったのでスクリプトを読んだくらい。http://www.script-o-rama.com/movie_scripts/n/nobodys-fool-script-transcript-russo.html

結婚なんて継続できるほうが奇跡なんだな…と思いました。

メラニー・グリフィスが女人生すごろくの最悪のケースを演じています。愛してくれない男の妻になり子供を身ごもってしまうなんて、女性としては最悪のコース…の彼女はニューマン演じるサリーを「男の中の男」と思っています。

ま、サリーはとっくに結婚適齢期を過ぎてもうグランパ、なんですけどね。サリーはアメリカ版
寅さんだけど、地域の人たちの面倒を見る、優しくて頼りになる実力のある男性です。
ただ彼の別かれた妻にはそうは思えなかったって以外は。
サリーは1歳の息子を”捨てて”離婚(少なくとも彼の息子の目には…)息子が「なぜ母さんとぼくを捨てたの?」と聞くと「そもそも彼女と結婚したのが間違いだった」。

去年亡くなったジョージを思い出しました…彼は私のBFのお父さんでした。もしそのBFと結婚していたら義理の父になったであろう人。3人の子供をもうけた超美人の最初の妻とは子供達が小さい頃離婚。
その後は彼女の生活も支え(アメリカではありがち)子供は3人とも彼が引き取り、2度目の妻を娶り、彼女との間に1人子供をもうけました。生い立ちはたたき上げでした。軍隊に入り、その後大学は
ダブルメジャーで経営学と工学を学び、全米でもめったにみない大企業の幹部となりました。

アメリカでは軍隊に入り退官すると大学に無料で進学できる。だから貧しい出の人では
こういう経歴はよく聞きます。カリフォルニアでも1,2の高級エリアに自宅があって、出合った頃は
既にリタイヤ後で、孫がいる年齢。よく招かれて週末に食事に行くと毎回家をDIY中でした。
2番目の奥さんジュディは聖女のような人でした。義理の母になったかもしれない人でしたが
2人は私と彼がうまく行かなくなった後でさえ大阪に遊びに来てくれたことがありました。

そうだよなぁ。誰もがジョージのようなスーパーマンにはなれないよなぁ。映画の中のサリーは
最初からジョージにはなれませーんと手を上げてしまった男でした。でも稼ぐだけが男らしさでは
ない。ここぞと言うときに頼りになる男がいい男なんだな。みんなが頼りにするサリー。

夫婦の重ならなかった人生の空隙に落ちてしまった子供は…私自身がその立場なのですが…親への
怒りや寂しさの入り混じった複雑な気持ち…をどこへも持って行くことが出来ないまま大人になる…
彼の息子。 息子自身も職を失い妻からは愛想つかされ、子供を1人ずつひきとって離婚するか?と
いう瀬戸際にいる。ため、親への怒りよりも切実に自分自身が結婚ということを維持する難しさを感じる年齢に。父親と出合った頃はもう大人ってわけです。

私自身も人生の機微を味わう年齢に達し、たまにふと思います。

私達夫婦は共働き夫婦だったのですが、彼の転勤が決まっとき、私にとって彼との結婚を維持するということは、職を失うということと同意義でした。

これ以外の選択肢があったのか? うーん、No。
逆に彼には今の仕事をやり続けると言う以外の選択肢はあったのか? うーん、No。

男性にとっては誰と結婚しようとも生活は一つです。私が結婚相手であってもなくても。
サイコロは女に投げられている。

離婚なんてしたくなくても、相手が子供と自分を愛してくれなければ、子供が出来ればシングルマザーの道を選らばざるを得なくなってしまう。

女性にとっては、結婚する相手を選ぶ時点でもう人生の勝敗は決まったようなものなんだな…。
子供は試金石にすぎない。

男性にしてみれば、当然分かっていたでしょ、という契約履行範囲内の出来事に過ぎない。
仕事に生きるにしても、結婚を放置するにしても。男性は常に確信犯なんだな。

もう最初から書面にしておいてほしいな。夫なんて結婚前に私が「私は将来海外に住みたいんだけど海外に行くことになったらどうする?」って聞いたら、「そのために貯金がある」なんて答えたのに…。
リアルな現実を前にすると単なるガン無視でした…溜息。まぁ彼を見ていたらリアリティがなさ過ぎるのは分かるけど・・・だからせっせと洗脳中ですが(笑)ライフタイム内には無理だろうな(笑)。

まぁ人生に犠牲はつきもの・・・ 

結婚なんて継続しているだけでエライエライ、というようなものです。

そんな映画の話でした。

地球=自然=自分

2012-05-25 10:34:05 | 読書ログ
昨日は樹木について知ろうかと樹木の本のほか、さっとブラウジングして借りてきたら
埋もれた良書を発見し、ちょっとウレシイです。

■ スピリチュアル・エコロジー

『地球は人間のものではない Spritual Ecology』ジム・ノルマン著 です。

地球は人間のものではない

この本は子供の本の書架にあったのですが、なんでかなぁ?完璧に大人が読む本です。

西洋人の目から環境保護活動に対して人間側が持つ ”上から目線” を指摘しています。

その”上から目線”は自然とのかかわり方の中で、人が畏れを忘れたからだとしています。

西洋の文脈では、それはインディアンやシャーマンが執り行なう儀式などです。日本のアミニズム(自然崇拝)と同じですね。きっと日本の神社のお祭りなども西洋人は同じ感覚で見ているでしょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
猟の是非の問題は過去何百年かに渡り、本質的にスピリチュアルな成り立ちをしていた。
人間が動物を殺すのは、生存の目的のみで、けっして必要以上のものを捕ることはなかった。
食物はいけにえであると同時に賜り物であり、獲物の魂(スピリット)の遺産だった。

ここから捕食者としての人間と餌動物との間に”同調”を起こすための儀式が生まれた。

人によってはこれを迷信と呼び、まともにとりあおうとしないだろう。

しかし、わたしたちがなんと呼ぼうと、人間と動物の間につながりがあるという考え方に
よって、人々の間にはある種の責任感が生まれたのは確かだ。
むやみな殺戮には歯止めがかかり、確実に種の保存が行われた。

獲物を守ることによって確実に人間も守られた。

このような関係をスピリチュアル・エコロジーとよびたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー抜粋要約 P59

アメリカ史の学徒なら必ず知っているフレデリック・ターナー。によると、白人の入植者が
原住民を見る目線も”上から目線”だったのだそうです。1492年のコロンブスがアラワク族に出合ってつづった日誌。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
彼らは良い召使になるはずだし、頭も悪くない。その証拠にこちらが言ったことをたちまちくり返せるようになった。また何も宗教をもたないようだから、キリスト教への改宗も簡単だろう
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

うーん(><)。この視線は今でも西洋諸国は日本人に対して持っていそうですね…(汗)。

このような”上から目線の過ち”にどうすれば気がつくのでしょうか?

この本の著者の場合は、野生動物との音楽セッションだそうです。シャチと競演。

裸の魂と魂だけで野生動物とコミュニケーションすること。

日本的に言えば、心の目で見ること。対象は何でもいいのだと思います。

(果てしない欲望のブレーキ)=(スピリチュアリティ)
(そのために必要な措置)=(心の目を開くこと)

ただし、この方面=ニューエイジには危険が一杯です。だまされやすい大衆から売り上げを上げることを狙った怪しげな分野も多いので、滑落に注意しながら歩く必要がありますね(笑)

■ 『自然はそんなにヤワじゃない』

自然はそんなにヤワじゃない―誤解だらけの生態系 (新潮選書)

この本は読むのは2度目なのに借りてきてしまいました。この本も、自然に対する人為の視野狭窄を指摘した本。

トキを保護するのはいいがトキが食べる絶滅危惧種のカエルは絶滅してもいいのか?

そもそも人がある動物や植物を優遇したり冷遇したりするのは人間の狭い視野で判断した、ご都合主義に過ぎないという話です。

非常にごもっとも!

そして生態系はそのようなご都合主義さえ内包する非常に大きな叡智である、ということを、科学的手法で説明しています。

地球は人間のものではない。人間は地球に内包される存在であって、地球のあるべき姿を
規定できる存在(つまり神?!)ではない、ということを指摘するのに、この二冊は、西洋的な科学的数理的アプローチとスピリチュアリズム的アプローチをしています。

前者は合理的で後者は文学的です。かくも志向性が違う。しかし、今の現代人には、両方が、知性とともに感性が必要なのではないか、そう思いました。

しかし非常に高度な難しいバランス感覚ですね…。 

読了 『純米酒を極める』

2012-05-12 18:33:35 | 読書ログ
■ 読了 『純米酒を極める』

純米酒を極める (光文社新書)

この本の著者は面白い人でした。最初に醸造アルコール添加の酒は日本酒じゃない、という主張があって、激しく同意したので手に取った本。

私は日本酒が好きなのですが、コンスタントに当たりに当たりを飲み続けるのが難しいのも日本酒…。

大阪では京橋に親方様という日本酒と魚を食べさせる店があり、そこでは日本の料理の美味しさを堪能できました。そういう店は甲府ではまだ見つけていません…どこにあるんだろう???

実は、燗は興味がありませんでした…それは小さい頃父親が酒臭かったのを思い出すからです。

燗につけたとき立ち上る香りが嫌なのです。でも思えばそれこそ、私の醸造アルコール嫌いの原点かもしれません。醸造アルコールが入っていると冷でもすぐ分かるし… 

本来、きちんと作られた酒ならば燗をしても、私の嫌いなあのにおいはしないのかもしれないな、とこの本を読んで思いました。

■ 好感!「悪いことを悪いと言っても毒舌には当たらないだろう」

著者の主張は大変面白くハッキリしているので、分かりやすくていいです♪

個人的見解を示すこと=意見、なので別に独断と偏見でいいのです(笑)

で、「悪いことを悪いと言っても毒舌には当たらないだろう」(笑)ですって。その通り。

で、この方が何を悪いと考えているか?というと・・・

・アルコール添加し、完全発酵させない酒造り
・大量生産で安さばかりを求める安易な酒造り
・酒を知らない酒造家
・安易な新酒志向
・安易な端麗辛口志向

で何を善と考えているかというと

・米と水からできているのが日本酒だ
・発酵のプロセスを丁寧に作った本物の酒
・温度を変えると味わいが驚くほど変わるのが日本酒の本質だ
・日本酒の本当の旬は秋
・燗でも映える酒
・キチンと醸造された酒は熟成し古酒となってうまみを増す

いわく、日本酒とは発酵の科学と伝統… 

たしかに味噌も冬に仕込んだものを夏ではなく秋にあけますしね。発酵というのは味噌の麹を作ったときも、
蒸米を作るのが一番大事なのでした。蒸され具合というか水分の具合が。
酒も同じようです。

そして酒のうまさは、科学ではなく、官能で選ぶものだそうです。 そりゃ味ですよね~

著者の主張は、今まで安かろう悪かろうの大量生産の酒造りで消費者離れを起こしてきたが、
消費者は本物志向に回帰している、と言っているのですが、この本が書かれたのは2002年と
すでに10年ほど前ですが、消費者の動向などかなり的確な指摘をしているような気がします。
この時点でかなりご高齢のようなのですが、存命されているのでしょうか…

■ 備忘録
 
少し古い情報ですが挙げられている情報・・・

《著者おススメのうまい酒シリーズ》
大七 大絶賛

燗向き
 開運
 旭菊

古酒
 亀の尾酒造 (古酒)

山廃
三井の寿
鷹勇
花垣
天狗舞
万寿泉
菊姫
常きげん

その他純米
菊正宗
黒帯
郷の誉
山桜桃
花聞き
雨後の宵
宝寿
龍勇
龍力
秋鹿

幻の米 強力
福寿海 
いなば鶴 中川酒造
日置き桜 山根酒造

諏訪泉 諏訪酒造
鷹勇 
千代結び
君司
トップ水雷
八潮

神力 (熊本)
穀良都 (山口)

★燗のとり方
・とっくりに水を先に入れる
・鍋にかけ水から42度まで温める


×液化仕込み 発酵ではない
×三倍醸造 アルコール添加で薄めたこと
×柱焼酎 もともと腐造の応急処置
×墨入れ もともと雑味を取るのに使う技法
×端麗辛口 安易に使われている

★美味しい酒が飲める飲食店
・真菜板 (高田馬場)
・五穀家 (日本橋)

うまい酒を飲みたいものです☆

読了 『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』

2012-03-23 08:20:45 | 読書ログ
■ 読了 『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法

橘玲さんの本は実は何冊か読んでいたのですが、

「伽藍を捨ててバザールに向かえ」

という言葉に惹かれて読了。

この本では ”勝間和代vs香山リカ”論争(?というものがあったらしい…)を端緒に、これからの新しい生き方を模索しています。

”勝間和代vs香山リカ”論争というのは、”自分を変えよう”という能力開発で
でステップを登っていく生き方に価値を見出す勝間型と、「そうは言っても努力は
才能じゃないですか?努力する才能がない人だって生きる権利はある」という香山型
の反論から世界を考えます。

高校生のように青臭いテーマではありますが(^^;)興味があれば一読する価値は
あるかもしれません。

ただ実際、社会に出ると学生時代より、伽藍のピラミッドの形はあいまいで、評価のものさしは
普通の会社においても多様です。

普通に仕事が出来るだけでは評価されず、酒が飲めたり、口がうまかったり、あるいは体育会系で体力があったり、するだけで意外にも出世の階段は多種多様。それぞれうまく自分を
活かせる場があって社会ってすごいなぁと思ったのですが。

小学生から常に100点でたまに80点を取ると驚くような優等生振りを発揮していた私には
進学校で500人しかいないのに487番を取る、というのはものすごい体験でしたが、会社は
そんなことどうってことなかったんだな、と振り返らせるくらい、さまざまな評価のモノサシ
にあふれていました。ただ頑張ったって何の結果も出せやしない。ガリ勉しさえすれば点が上がる
というモノクロームで単純な世界はなんと楽だったんだ。

昔美人の友人がお金に困って夜のバイトに面接に行ったそうです。すると不採用。彼女は
自分には夜のバイトさえも残っていないのだ、とショックを受けたのだそうです。で
自分の得意を磨くことに。

そうこういうわけで、能力主義の社会は”みんなの味方”だなぁとワタシはむしろ思っていたので
能力主義=学力、経歴、に凝縮される・・・という見方は少々狭いかもと思うのですが。

そりゃ勝間さんは凄いけど、みんなが勝間になりたいかというとそうでないし、それでいい。

しかし、どんな社会にも80:20の法則で、働かない個体はいます。それでも
その個体コロニーは成り立つ。香山さんの主張はそういう働かない個体の主張で
そもそも”頑張る”ということが個性に合わないんです、という話(?)のようです。

それも事実だけど、だからといって、努力しない人と努力している人が同じであっていいわけはない。 金銭の価値に置き換えたときに、多寡の差がつくのは、ほとんど物理の法則です…(汗)

でも図られる価値観(モノサシ)が多様であれば、ひとつのモノサシで優劣がついたからって
別に傷つく必要はないので…そんなに大きな問題ではない。


■ 自己卑下は何もいいことない

というのは、世界観が伽藍型の人が多いのかな…と思うからです。私は個人的なルールで

 ・自分を卑下しない 

ことに決めています。

「わたしはたいした○○のキャリアはない」とか「たいした○○でもない」

なんて言いません。それは、

・そもそも、○○をする資格がないという世界観=自分の世界観にすぎない
・仕事をくれたり、わたしを見込んでくれた人に失礼
・どんな運命や仕事、出来事でも、来たものは謙虚に受け止めるべき。何かしら学ぶことがある。

と思うから。

こういうことをいう人は、傲慢か、失敗したときの予防線をすでに張っていることなので
ある意味失敗を予言してしまいます。(たぶん、そうは気がついていないと思うけど)

自信がない自分をさらけ出す => 失敗したときの責任を相手と共同化する => 無責任

なことだなと思考してしまうわけです、私の場合。(たぶん、当人は単純に謙遜の美徳が
習慣になっているだけだと思いますが…)

■ 自信がない

自信がない理由、というのは、たぶん、自分が一番良く知っていますよね(笑)

自分に100点を求めていて、80点しか取れないと 自己評価が低くなるのです。

なら自分に100点じゃなく、60点しか求めなかったらいいじゃん?

私はたぶん自分に60点しか求めない人です。 以前、私のプログラミングの師匠が
「俺はポンコツ車で高速道路を140kmで走るタイプだけど、妻は高級車で80kmタイプ」
と。

私は「普通車で普通に100kmで走れたら成功」と思います。みんな、メンテナンス
されていないポンコツ車にポルシェ並みの走行を期待しているような???

ただ、常に60点しか求めないと それは単なるサボりなので、60点合格が続いたら
ちゃんと80点を合格ラインにしてみたり、ちょっとチャレンジしてみたりします。

そうなると何かをマスターするとか、勉強するとか、努力するとかは、単なる自己対話なのです。

要するに基本的にカツマーは頑張らないで楽しんでいるのです。楽しんでやるから達成できる。

だから、100点を見ていて、60点の自分にしょげ返って自信をなくし、勝手に自分の目から見て
80点の人をうらやむタイプの人とは話がかみ合わないんです。

最近、実はワタシもやたら「スゴイ」と言われたのですが、実は何も頑張っていません(^^;)

だから凄くない。楽しいからやるだけのことは努力ではないのだから。というか最初から
努力と言う苦行はしない、と決めています。

ただ苦行ではなくても、やるべきことはやります。英語の勉強を一切していなくてTOEIC満点を
取ろうなんて非現実的と良く分かるのに、大体みんな似たようなことを期待するようです。
千里の道は一歩からです。 一歩歩く前に千里先を期待してはいけない。やるべきこと(一歩)
をやらなかったら、千里先がないのはこれも物理の法則と同じくらい自明なことです。

■ バザールに向かえ

伽藍は要するに閉じたピラミッド型の世界観で、いわゆる出世の階段を登り、自己を確立する
方法論です。 

バレエのエトワールになって喝采を浴びるとか、社長になるとか、世界の大富豪になるとか、
文豪になるとか、セレブになるとか…まぁどれくらいが成功といえるのか
上を見たらキリがないのですが… 

一人の人間が食べることの出来る食料なんて高が知れているのですから、あまりにも巨額の富を築いても仕方がないなと思ったり。一回に着れる服だって一着だけですし。

そんな億万長者やお嬢様と言った想像力の欠如した成功を引っさげたいのか?と自分に問えば、結構どうでもよかったりしませんか? 

なりたいか?お嬢様…お嬢様なんてなんてツマラナサソウ…

たぶん、団塊の世代まではこういう価値観で成功する自分に酔えたんですよね。以前勤めた
会社では秘書をしていたのですが部長さんはしきりに宝塚の自宅写真などを見せてくれました。
1億円以下の家はないと思われるそのエリアで子供二人と専業主婦の妻、イングリッシュガーデン
とクラウン、飼い犬は2匹。

うーん。うらやましがるべきなのですが、そして、ちゃんとカウンターのすし屋に
連れて行ってくれたのですが…
(返礼として、うらやましがってあげないとかわいそうですね)

たぶん、団塊Jrの世代は、なんでこんなモノのために一生を会社に捧げたんだろうなぁとか
思ってしまうんですよ…。

別のボスは、単身赴任でメタボ&通風。役職はありましたが、実質部下は外部の人間の
期間雇用ですから、つまりペーペー。正社員の中のピラミッドの下辺なわけですね。
休日は会社のゴルフ接待、平日は接待外食。何が幸せなのかなぁ…。私はやたら気の毒に
なりました。いくら年収1500万円もあっても、幸せなのは「亭主元気で留守がいい」の家族だけ。
いや家族だって一緒に暮らせていないのですから幸せではないのかも?でも、基本的に
この会社ではこのスタイルが一番羨ましい暮らしという設定のようでした。

うーん。でも、うらやましくないぞ?

というわけで、世界はとっくの昔に バザール化しているわけです。価値観の多様化と一言で言ってしまえばそれまでです。 

昔はピークハント=山登りだったのに、今は、ハイキングもあれば、地図読みだけしたい
人もいて、色々な上り方があるわけです。

今回の目標は「地形を見て歩く」という人に、「ピーク踏めなくて残念だったね」と言っても
「別に~」という返事になるばかり。

達成、何を自分のゴールとするか、あるいは何をもって成功と定義するか、もっと言えば
何を持って「幸せ」と定義するか、それを自分で決めていい世界
、って凄くよくありませんか?

それが、バザールなのだと思うのですが。

ということは、残酷な世界ではなく、むしろ、幸福な世界であると思うのですがバザールは。

※ちなみに目標を設定するときはSMARTであることが大事です。



東大話法

2012-01-26 17:40:24 | 読書ログ
今日は早くも気分のいい日です。すっかり気分も爽快で、ヨガのレッスンも充実。

気分のいい日だから直観力もさえるのか、直観力が冴えている日だから気分がいいのか
分かりませんが、今日はぶらりとたずねたネットサーフで…以前から感じていることが
キーワードになったタイトルの本を見つけたので早速書店で立ち読み。

この本、アマゾンでは定価より再販に高い値がついています。そして、書店では最後の一冊でした。でも…買わなかったけど…。

原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―

そう!私が職場で感じてきた違和感… ”東大話法”ってネーミングがものすごく的を得ています。

東大話法っていうのは、要するに 立場による判断を個人の理性的な判断より優先する考え方です。

上司は色々いましたがその中には東大卒の上司も何人か会いました。

初顔合わせの席の上司: 「女性だからといって遠慮することはありません」

私:「はぁ」(不思議なものだ、今までそんなことをわざわざ言ってくる上司なんていなかったけど…)

結果でいうと、商社と言う世界は、紅一色になりがちなエンジニアの職場よりダントツに男性優位社会なのでした。

ものすごいヒエラルキー職場、それが一般職・総合職に分けられる職場です。

私は当時総合職女性の穴埋め的立場でしたが、私が出すメール、上司が出すメールとメールが決まっていて、書式も決まっているのが新鮮な驚きでした。
だってそれって機械的ってことでしょう。

例えば会議の招集メール。私が出すメールはなんと上司が私に個人宛で送ってくるのです…送り先リストつけて。それなら直接本人が全員に一斉送信すればいいことなんですが、こりゃなんでまた…手間増やしてどうする?って外資になれた私には摩訶不思議でした。

外資も色々あると思いますが、少なくとも私がいたスイス系ではそんな無駄なことしません。召集するのは上司なのですから本人が出し、出欠は部下の○○にと文面で沿えてあれば、召集するのと部下に指示するの同時に一つのメールで済みます。ま、これは些細な例ですが、こんな感じにヒエラルキーがはっきりした職場だったので、
本音は 「女なんだから混ぜてもらえてありがたく思え」なんだな。これが。

…本音と建前の食い違い…平たくいうと、そうですが、建前が堅牢に守っているものは
立場、なのです。その立場が何より重いかというと良心より重い、ってのが問題なのです。
ただ単に言っていることとやっていることが食い違うという誰しも思い当たる節、という
だけでなく…。分かっていてあえて犯す罪・・・

以前からおかしなことだと思っていましたが…この本ではそのおかしさが原発で露呈した、
としています。

さらにその様子は、日本がバブルという集団狂気に突っ込んでいく様子、さらには太平洋戦争に突っ込んでいく前の様子に相似していると…

うーん、たしかに。実際に東大出の人たちと働いた経験から…おかしなことをおかしいといえない、というかおかしいということをおかしいというヤツのほうがおかしい、という雰囲気が支配する場の空気があります。

一個の人間の前に 立場 がある。 立場 > 人間。

おかしいことをおかしいと指摘するほうが”バカなんじゃないの”となるのはそれが社会的自殺…を意味するからです。「アイツ、あんなこといったら立場やばいんじゃないの」ということをあえて言うのはおバカだからという論理。そういう自殺願望があるようなバカ正直人間には付き合っておれない、というのがエリートの社会です。場合によってはよほど良心に厚顔でなくては勤まりません。

仕事の実例では、当時九州では地元に産業が無く、自動車産業に依存していましたが
(どこにでもありそうな話です)地場調達率を高くするというのが目下の命題な
わけでした。これは産業を誘致したい行政と補助金で安く工場を作り安くて優秀な
労働力を得たい企業の利害が一致した結果なのでしたが、
しかし、逆から見ると依存度が高まるわけで、地元の町工場を自動車向けに
転換させる命題という、その命題を仮に全うした場合…工場は泥沼の値下げ競争に
さらされます…。出口はあるでしょうか。いや中国やインドを相手によほどの
ことが無い限りないでしょう。リスク高すぎます。

実際、その後の世界同時不況では、こうした誘致企業に依存度が高かった県ほど地元では
失業しました。何億円も補助金をもらっておいて雇用を切るときは何千人単位なのは
別に地元の振興が目的ではなく、安い労働力と土地だけのメリットで来ているからです。
要するにハゲタカ。
ですから、地元は雇用創出のためには補助金を出して工場にきてもらうより
その何千人かに直接相当額を渡したほうがむしろ安いみたいなことになります。
安易な「寄らば大樹の陰」よりもやっぱり「自立」だなとこういう経緯を目の当たりにすると思います。

でまぁ、私はそうした企業と地元の間に入るような立場のさらに傍観者的立場に
あったわけですが、傍目にはいっくら大企業から地元の工場にはっぱかけてくれと
いわれていても、地元の工場が底なしのアリ地獄に陥るようなビジネスに向かわせるのは
人としていかがなものか?と思われました。

しかし、そんなウブな子供のようなことをいっているようでは生き馬の目を抜く(?)世界では「ビジネス人としてどうか」というようなことなのです。お子様はお呼びでない。

立場を守り、なおかつ自分のところに火の粉が飛んでこないように振舞うのが
大人、というかビジネスいっちょ前、なのです。

「サポートする論理構造はいくらでも作れる」 「数字はいくらでも作れる」

東大出の上司が言っていましたが、これはホントです。数字なんていくらでも作れる。

ただ普通の人はってか、多少なりとも良心があれば、作れても作らない。って選択肢もあります。だって時間の無駄ですから。

作れても作らない。サチヤ=誠実はヨガのヤマですが、そういう道徳論を持ち出さずとも
作った数字は精査すれば、すぐに意図的に作られたものと分かっちゃうのです。

ですから、作った数字ってものは、精査するのに時間がかかるだけの、まぁ大人版の見え透いた嘘、って訳です。

原発事故に対する政府の対応も、結局色々とボロがでつつありますが、時間が8ヶ月とか
かかっただけで真実はやっぱりお日様の元に出ざるを得ません。

時間がかかる以外に何にもメリットが無い。 じゃそんなことしてなんになるの?

というとその時間で逃げれたり、保身を図れたりとメリットがある人がいるわけです。

そこにしか立場によってコロコロ変わる論理の後ろ盾を作る理由はありませんよね。

そういう違和感は、商社づとめではより色濃く感じたものでしたが、同じ胡散臭さを大勢の人が感じたのが去年の震災と、その後の原発安全神話の崩壊、それにつづく政府の不振な対応、
さらに日本の電気事業のあやふやさ…でした。

例えばこんな。東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 古い記事で恐縮ですが。

その ”立場>人として正しいと思うこと”という力学、話法に”東大話法”というなんともぴったりなネーミング。

ホント、日本がうまく行かない訳を、みんななんとなーく分かっていると思いますが、その一つはあっちこっちにはびこる東大話法なわけなんですよ。要するにオールフォーワンはあってもワンフォーオールはないわけ。

別に東大ではなくてもお役所でも、ありとあらゆる官僚組織の中に、あるいはあらゆる
既得権益の中にはびこっています。

たまーにその同じ組織の中で、なんとなしにうまく交わして生き延びている人を見ますが
コツは表現しすぎない、ってことではないかと思ったりします。 あまり的確に的中してしまうと、排除されますからね。

・・・という意味でこの本の著者が東大周辺で生き残れるのかどうか…ちょっと心配な本です。

しかし東大話法の方たちの ”生存”というか”保身”にかかる生命力というか、執着はものすごいものがあります。

いったいそういう人たちをどうしたら、目先の「自分だけは安全」ではなく、「みんなが安全」に向けさせることができるのでしょうか…


読了 『文明は農業で動く』

2012-01-13 14:37:30 | 読書ログ

文明は農業で動く

この本はへえ~が多い面白い本でした!!

しかし、知らない知識が多かったため、つどネット検索で読むのに時間がかかるのが玉に傷…(^^;)

日本から見ると辺境といえるようなアマゾンやインカの伝統農業…非近代的非科学的として捨て去られた方法…
が地元の人々の食料自給に役立った例が紹介されています。

背後に流れる思想を 要約すると 

 生産性より持続性

農業で言うと 収量が上がることよりも 持続的に生産性を維持できること を重視します。

今の収量拡大だけを目差す農法は略奪的農法といわれたりもしますが、ではなくて、地力を維持し
何年もそこから生活するにたるだけの食料を得る農法です。

”持続可能な(サステイナブル)社会”というのは、環境用語ですが、農業においても近代農業が、
全体的総合的に見た場合持、持続可能ではなかったようでその反省から伝統農法が見直されているという
ことです。

成功例としてあがっているのが予想外の(笑)秘境&古代文明の農法。アグロエコロジーというそうです。

ということから、現代的問題の解決に過去の農業遺産が生かせるのではないか?世界各国で見直されているよ
という示唆です。

山梨では信玄つづみがイラクの灌漑&緑化に役立った例(ペシャワール会)があるのと似ています。

私が海外で大まかに聞いた話では海外の第三世界支援では、すでに先進国の手法を海外にもっていくというのは
時代遅れで、ハイテクが飢餓や貧困解決には役立たないということは常識。その地の段階に沿った
ローテク手段(例えば手動の井戸掘り)などが歓迎されるそうです。で最近学生に人気がある
そうした学部(国際貢献など)ではローテク手段を知識として教えているそう。

紹介されている農法をかいつまんで紹介すると(リンクがはってあります)

チナンパ(ス)農法 水路の上に浮島を作る農法
 
・ケスングル農法 → 樹木を切り倒さない、不耕起、混植農法 ハリケーン被害少ない

カメリョーネス農法 → プレ・コロンビア時代の農法。盛土と水路からなる。洪水被害少ない

・マウンド農法 → 霜害が減らせる 実例はこちら東京農工大の先生の面白そうなサイトです

テラ・プラタ アマゾンの肥沃な土のこと。炭の含有率が高い。
        熱帯雨林というのは不毛な地なのだそうです。

・ヴリクシャ・アーユルヴェーダ →インドの伝統農法を記したヴェーダ(聖典)

現代社会の行きすぎ → 伝統回帰。

行き過ぎの例として、キーワード(持続可能ではない例)として以下のようなものがあろうかと思います。
平たく言うと悪者ですね(笑)

 ・多国籍企業(モンサント社、シンジェンタ社、カーギル社)
 ・モノカルチャー農業(単一作物生産)
 ・F1種
 ・緑の革命
 ・トリクル理論
 ・世界銀行
 ・フォード財団、ロックフェラー財団

例えば、このように用語が登場します…インドなどの貧困国で トリクル理論を根拠にした経済
分析により、「現行作物より輸出作物を栽培して現金を得るべし」と、世界銀行の後押で、高収量品種として多国籍企業からF1種が販売された結果、収量はアップしないばかりか生産コストがアップし、農民は借金で首が回らなくなり、自殺者多発No1地区になってしまい、結局儲けたのは多国籍企業と周辺を後押しした財団のみで、在来種は途絶え、後には不毛の地と過疎、家族崩壊が残された・・・、などです。

ふむ。程度の差こそあれどこかで聞いた話…日本も近い状況ですね。日本の農業”も” 食い物にされたのでしょうか? それともわれわれは逃げ切ったのでしょうか?

これらは富の偏在・局在を推し進める推進力として働く力です。

今も昔もうまい話には裏がある、という感じですが、現代先進国では、集団催眠的詐欺かもしれませんね、
近代科学の多国籍企業的利用法は。 

私はいったいどうしてこういう極端な偏在が誰の制止も受けず歴史的に可能になったのか、
そういう意味から歴史背景が知りたいのですが、この本では、農業においてはそれは緑の革命
きっかけにしたものであることが分かります。

■ ゲーム理論 & パレートの法則

農業にとどまらず、世界全体の平衡と成長の理論としてゲーム理論による成長モデルが解説されますが
それによると、富と言うのは、パレートの法則のとおり(うっかり失念していましたがパレートさんは
なんと家庭菜園!をしていてかの有名な8:2の法則を発見したそうです。そういえば…えんどう豆…^^)
偏るものなのです。

で最新のゲーム理論でのコンピュータシミュレーションによると偏りは、ハブ理論により
重要となる2割のハブを集中的に破壊されると容易に壊れ、しかし、その他を攻撃されても
平気という特徴をもっているんだそうな。 

【気になるキーワード】

キーストーン種 生態系で大きな影響力のある生物種 
        熱帯雨林ではイチジクらしい。ラッコもキーストーン種らしい。
窒素固定樹木 日本では肥料木ともいうらしい。
  ニセアカシア、 ハンノキ、 ヤマモモ、 ハギ
  ただニセアカシア、ハリエンジョは北米産で外来種らしい。イヌエンジョが正しい日本古来の窒素固定樹木?

豆科植物が窒素固定するのは知っていたが樹木にもそういう種があるとは知らなかったけれど、そういえば
あぜにはよくアカシアを見ますね。

そして、伝統的に「聖なるもの」として保護されていた動植物にはこのようなキーストーン種が
多いのだそうな。 地元に残る仏教の教えなど、慈愛の心が多様性を保全していたとか。そうなのか!

伝統ってただ”伝統”の一言で説明されると納得もいきませんし非合理的・非科学のように
なりますが、伝統にもあるいは宗教の教えにも実は科学の裏づけがあるってことが科学によって明らかになると
これがまた人類の叡智に感嘆せざるを得なくなりますよね。

科学の用い方は裏づけ捜査的なのがいいのかしら…分かりませんが、木を見て森を判断する
ような用い方は気をつけなければなりませんね。

すごいのはこの作者がネットで得た知識のみでこの本を構成していることです。すごい情報収集力ですね。

ここが作者のブログこれはアグロエコロジーブログ

伝統農法は日本のはやっぱり稲作なんでしょうかね…
日本は潅水するから連作障害無く毎年米が作れるのだと聞いたことがありますが、米が作れない山岳地方
ではどうやって地力を維持する農法をおこなっていたのでしょうか…



読了 『日本の農業が必ず復活する45の理由』

2011-11-30 10:31:30 | 読書ログ

日本の農業が必ず復活する45の理由

■ あるバイトの話

昔、サンフランシスコで食べるに十分なだけ稼げず(当時週50ドルで生活していたのです!!)
困っていたときに、紹介で日本人経営のみやげ物店でバイトしました。

そのときの仕事の内容は、社長にコーヒーを注ぐというもの。 社長はフレッシュなコーヒーを所望しているため
10人分のコーヒーメーカーで作ったコーヒーも15分経過したらすべて捨てます。
そして淹れたてコーヒーを社長に出すのですが、もちろん、というかその社長はコーヒーを飲みません。

で、1時間に4回コーヒーを無駄に入れては無駄に捨てる・・・その繰り返しを一日中やる、というバイトでした。

このバイトの狙いというのは、もちろん”絶対服従の徹底”です。

で、こういうバイトで私はどう適応したかと言うと・・・どうせ捨てるのですからもったいないなんて思わずに15分と15分の間を徹底して楽しむことにしたのです。

考えようによってはコーヒーを4回入れるだけで時給がもらえるおいしいバイト。頑張る必要一切なし。

・・・日本の農業っていうのは、このバイトのようなことになっているのではないか?

■ 大事なのは努力が報われること

この本は、珍しく”日本の農業の実力”というモノサシで日本の農業の未来を語っています。

日本の農業が必ず復活する45の理由


消費者が食べたい食品を生産できれば生き残れるし、作れなかったら市場から退場。シンプルです。

消費者というのは国内だけでなく国外も。世界は、どんどん多対多マーケット化しています。

農業関連書では、情緒的な主張をよく見かけます。この本はそういう演歌な農的風景に対する情緒的な思いいれはありません。あくまでビジネス、産業として農業は有望だという指摘です。

しかし、この本に唯一”感情”の色を添えているのが、”官尊民卑”に対する嫌悪感。

著者の人柄が現れているとすれば、とても独立した精神の持ち主でしょう。誰かの庇護や保護であまい汁を吸いながら生きながらえるのではなく、自分で自分のことをやる。落とし前をつける。
独立した精神に必要なのは創意工夫の自助努力。あきらめない心。 素晴しい! 

でも日本に限らず政府というモノはどこの国も”官尊民卑”です。 

”官尊民卑”について言えば、不思議なことに日本では一般大衆もこのメンタリティを受け入れていますが
アメリカでは”Question the authority”はほとんど標語です(笑)
 
”自尊独立”、というのはアメリカ的に言うとフロンティアスピリット。 ”大きな森の小さな家”の父さんたちは
自ら荒野を切り開いて家族を養ってきた開拓者達でした。 そういう背景がある国ではなくても、
どこの国でも、国にすがろうと言う人は寄生虫と言って嫌われます。

非常に良い本だったのでこの本で学んだ事実を備忘録としてまとめておきたいと思います。

■ 日本の農業ファクト

・日本の農業研究の予算は、世界192カ国の総予算の2割を占め、米国に次ぐ第二位。

・日本の農業GDPは世界第五位

《農産物生産額ランキング》
1位 中国 2804億ドル
2位 米国 1775億ドル
3位 インド 1474億ドル
4位 ブラジル 1009億ドル
5位 日本 826億ドル
6位 フランス 549億ドル
7位 ドイツ 379億ドル
・・・・
16位 オーストラリア 259億ドル
19位 イギリス 184億ドル
 北海道 108億ドル
31位 ニュージーランド 97億ドル
 茨城 + 千葉 87億ドル
43位 スイス 59億ドル

《日本で農業生産物を作る強み》
・南北に長い国 → 全国でリレーして周年栽培が可能 外国は栽培期間が短い
・農業科学 品種改良、農業機械、鮮度保持技術
・職人気質のものづくり技術 例:果樹剪定
・海産物の発酵肥料など 食味管理のノウハウ
・大消費地に近い
・購買力が高い  農産物に年一人当たり約8万円の支出
・独自の食文化 → 旨いものに目がない国民性


《各国のエンゲル係数 (旨いものに目がない国民性)》
アメリカ 12.4%
イギリス 8.7%
ドイツ  14.6%
フランス 16.3%
イタリア 17.3%
日本 17.6%

・日本人の一人当たりの野菜消費量は年94kg(下降傾向)

《日本の自由化率》
対シンガポール 84.4%
対メキシコ 86.0%
対マレーシア 86.8%
対チリ86.5%
対タイ 87.2%
対スイス 85.6%

《米韓FTA》 
韓国 98.2%
米国 99.2%

《米豪FTA》
米 99%
豪 99.9%

《中国ニュージーランドFTA》
中国97%
ニュージーランド 100%

→ 中国のほうが関税撤廃率が高い つまり 自由化率が高い・・・

・日本がFTAで関税撤廃したことのない品目は940品(農産物725 水産物95、林産物30)
・野菜の関税は既にほとんど存在しない 
・花き は一貫してゼロ関税 → それでも国産90% 4800億円市場で世界第三位の市場
・りんご: 自由化された後、外国産は国産の0.01%しか輸入されなかった 青森では輸出額が上がり約1割となった
・とうもろこし: 既に無税
・小麦 91%が外国産 関税率252%
・大豆: 関税0%
・乳製品 360%
・砂糖 328%

《一人当たりの食品輸入量》
日本 427kg
ドイツ 660kg
イギリス 555kg

・大豆はフォードがアメリカに導入した
・世界の稲作主流は乾田直播
・花粉症緩和米
・日本で一番成長している作物はアスパラガス
・オランダは世界最強の農業国
・砂漠は意外にも無農薬有機栽培適地。虫もいない、雑草も生えない
・適地適作、旬の生産 vs 国内の産地間競争、早採り競争 

《種苗メーカー》
1位 アメリカ モンサント
2位デュポン アメリカ
3位 シンジェンタ スイス
・・・・
8位 サカタのタネ 
10位 タキイ種苗 

・サカタ ブロッコリーで有名
・日本のタネの輸出額101億円、(野菜輸出額 25億円)
・クボタは海外トラクター部門で躍進 ガーデニング用、ぶどう用

読了 『前世療法』 

2011-10-21 12:04:12 | 読書ログ

ブライアン・L・ワイス博士の『前世療法』①と②を読みました。
前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫)

前世療法―米国精神科医が挑んだ、時を越えたいやし〈2〉 (PHP文庫)


山川 紘矢さんの翻訳書のシャーリーマクレーンの『カミーノ』がおもしろく、
ご自身の告白書『天使クラブへようこそ』を読んで、そこで紹介されていたためです。

「あれ、わたしここにきたことある」というデジャブや、夢で何度も訪れる場所、勝手知ったる庭という感じの
異国の景色・・・

ああいうのはもしかして前世の記憶なんですかね? 

それにある日森をドライブしていたら木霊が入ってきたり、新宿に泊まったら霊にからかわれたり・・・

小さい頃からちょっと不思議だなぁ~とは思いつつ・・・まぁほっておきました。
些細なことですし、日常生活にはあまり大きな意味をもっていなかったりします。
それは単に私が今身も心も健康体だからですね(^^) 

『前世療法』① は、ワイス博士の告白です。 前世を語る患者に面食らいながらも、目の前の事実とそれを否定する自分の理性の葛藤が書かれています。

で、『前世療法』②は、さらに治療を続けていった報告書のような形です。

《②より引用》
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

P88 ”本当に過去世の記憶かどうか、証明する方法はありません。しかし、キャロルはこのとき以来、何もてにつかなくなるほどのひどい偏頭痛は起こしていません。”

P91 喘息、呼吸器感染症、アレルギー等もその原因は過去世での苦しい体験にあるようです。過去世での肉体的な傷が、今生の肉体にまで受けつがれているように見えます。

P96 自分の症状や恐れや不健康や依頼心の真の原因を理解することによって、回復が促進されるのです。

P96 時には子供時代にも過去世にも退行する必要がないことさえあります。十分にリラックスした瞑想的な高次の意識状態になって治療が行われるときは、学び、受容、統合、治癒が休息に生じることがあります。

P99 心臓病で死んだ人々を千人以上も研究したスタンフォード大学の研究者は・・・(略)・・
心配、恐怖、敵意、怒り等を持っている患者が、二度目の発作を起こしやすい、というものです。
おもしろいことに心配や恐怖は女性に悪い影響を与え、敵意と怒りは男性に悪い影響があるということでした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

■ 過去世があるかないか? 魂は生まれ変わるのか?

それは証明ができづらいため分かりません。 もし人類が絶対に輪廻転生するのなら、人口が増えるわけがわかりませんしね。

しかし、退行催眠によって過去世を思い出した人の心身の病気が良くなることは事実のようです。

そして、おもしろいなと思うのは、ストレス性の病気、喘息やアレルギー、ガン、胃潰瘍、リュウマチ、神経痛、頭痛、あるいは鬱や恐怖症など、ストレスを発散することで症状が軽減する病気とこの過去世退行療法が効果をもたらす病名はソックリだということです。

心身症7つの疾患
1.神経性皮膚炎,2.関節リウマチ,3.気管支ぜんそく,4.本態性高血圧症,5.消化性潰瘍,6.潰瘍性大腸炎,7.甲状腺機能亢進症,の7つの疾患は「Seven Holy Disease」と呼ばれ、代表的な心身症)

例えば、過去世で焼け死んだ人は肺が、溺れ死んだ人は水の恐怖症に、生き埋めに会った人は閉所恐怖症にあるいは、傷を受けた人は、その傷を受けた場所が痛むというわけです。

■人生の課題を見つける

これらの情報を総合すると、大きな視野でみると、今現在の広く浅く言ってしまえば”いきづらさ”(精神的肉体的なものを含め)の原因を理解することで、人の
精神には、受容、という重要なプロセスが起きるのではないか?と思います。

原因を理解する、といことができれば、子供時代の記憶であれ、過去世であれ、
どちらでもいいのかもしれません。

となると過去を忘却してしまう方法では少々心もとないですね。 

受容のプロセスが起きる、それが重要なわけですから、原因を理解し消化していることが大切になります。 

拡大解釈するとすべてのストレス源(人間関係や苦労)にとって受容のプロセスが必要と言うことなのかもしれません。

この療法では過去世から現在のトラウマを理解した人は、過去と同じ反応をしなくなり、ストレスをもはやストレスと認知しなくなります。例えば虐待された親と以前も
虐待関係にあったと知るとその親のしたことが受容できるようになります。

そうなると、実はストレスというものはその人が受容すべき課題を映し出した鏡ということになります。

ストレスを感じていない人と言うのはいないと思いますが、そのストレスこそが自分が解決すべき人生の課題を反映したものなのかもしれませんね。

ストレスをストレスと認知しなくなった人…は記述によるとゆったりとしたオーラが流れ始め、人柄もガラリと変わったようになるそうです。

今も昔もそうした人の事を指して「悟りを開いた人」と言っていたのかもしれませんね。

死の受容 『こころと体の対話』

2011-10-21 11:05:59 | 読書ログ
最近、こころと体のつながりをテーマに読書をしています。

というのもヨガというのはそのものズバリ、心と体をつなぐもの、と言われてるからです。

ずばり『こころと体の対話』という本に”死の受容”というキューブラー・ロス博士と言う人が名づけたプロセスが書いてあります。
Grief work

自分の死を受け入れるプロセスで、末期がん患者を例にしてあります。

1.自分がガンになったことへの怒りや抗議の気持ちを抱く。
2.死を先延ばしにすることならいかなることでもすると、心の中で取引を考える
3.すべてが不可能であると悟る
4.抑うつ状態になる
5.嘆き、悲しみ
6.死の受容

これはフロイトの悲哀(喪失を癒す喪の仕事)と同じだそうです。
つまり自分が何か大切なもの(愛情、愛する人の死、故郷を奪われるなど・・・)対象喪失反応と同じです。

1.不安
2.抗議
3.悲しみ
4.抑うつ
5.再構築

この本ではこうした心理が様々な心理的サポートによって高次の段階へ進むことによって人は前進できるということになっています。

心理的な介入は例えばガン患者の生活の質を高め、生存期間の延長をもたらすそうです。

生活の質というのは、受動的で無力感から絶望へ導かれやすい自分から、回復への望みを抱き、治療にも積極的にかかわり、ケアやサポートを効果的に受け入れられる、ということと書かれています。

■ 言葉を入れ替えてみる という思考の遊び

ふむ。考えてみると、人生の後半、老後というのはこのプロセスそのものかもしれません。というのも

”死”という言葉を”老い”と入れ替えても同じプロセスが成り立ちます。
 
老いに対する抗議の気持ちから、まずは老いと戦い始め、老いを先延ばしすることなら
なんでもすると、ものすごい頑張りをしている最中の人もたくさんお見かけします。
(若いときはそれが不思議な光景に見えたりします。)

しかし、老いというのは確実に進行します。老いを無視し、体を壊します。
そして抑うつ状態になる。ミドルエイジの危機ですね。自分の体が昔と
同じでないことを認めるのは少々時間が掛かります。

そして嘆きと悲しみ・・・私は祖母はこのプロセスから前に行かなかったように
思います。 ずっと嘆き悲しみ続けて自分の体を放置しました。

老いを受容するところまではいかなかったのです。 

おいを受容する…というのはどういうことかなぁ?と思っていたら
本屋で『前向き』という93歳の生活術の本を立ち読みしました。

例えば、昨日できたことが今日はできない、不思議ねぇと不思議がりながら暮らす。

一人でも料理はする。 などなど…

よく言われることですが、老いとは成長と同じなんですよね。

年を取ることは、子供の頃には素晴しいことで、いつからか(ホントにそれはいつでしょう?) 年を取るのはネガティブなことになります。 
現実に起きていることは一緒なのに。

素晴しい人生の時間はどうも5の再構築のプロセスにあるようです。
しかし、5つプロセスがあるとしてら、1~4までは苦しいわけですから、
割合的に言って8割はそうした時間を過ごすことになるわけですね。

1~4のプロセスにほとんどを費やしてしまうことがないようありたいものです。

そのために必要なのは、精神的な立ち直りのプロセスを自分自身でよく知る、
どういうケアやサポートが必要か、相手に上手に伝えることができるスキルが
重要ですね。

私のヨガのレッスンにも精神的支えが必要そうな人が来ますが(例えば鬱)
でも、ご自身でどんなサポートが必要かわかっていらっしゃらないような
感じです。 

自分のことラッキーだと思いますか?

2011-10-14 13:36:54 | 読書ログ
■『「むくわれない」生き方を変える本』

香山リカさんの 『「むくわれない」生き方を変える本』 を速読しました。 

・・・というのも、祖母が亡くなり、その祖母の人生を、母が「苦労ばかりの報われない人生」という評価したからです。

うーん、そうなのだろうか? 私はおばあちゃんはそれなりに気楽に生きたと思います。

ただ確かに本人の主観は「自分は可哀想」でした・・・私は最後までそれを変えることはできませんでしたが、色々祖母と話をした中で、祖母は生きたい生き方を選んだ、ということには確信がもてたのです。

祖母は家族と同居しているほかのご老人を哀れんでさえいましたから・・・ やっぱり一人がいいよね、おばあちゃん。

ある意味、祖母の人生は一人で気楽にいれたらそれだけで「報われて」いたんではないかと思います。

■ 主観という”自由”

報われる、という感情は非常に主観的なものです。

物事には二面性があり、良い面もあれば悪い面もあります。

その良い面を見ることができれば、「やって良かった」と感じ、悪い面にフォーカスすれば 「頑張ってもいいことなんかない」 となります。

じゃあ客観的事実は?

・・・というと、良いも悪いも両方あり、プラスマイナスゼロですから、自分のやったこと以上に報われることもなければ、それよりもさらに損をすることもない、というのが、おおよそ遠からぬ真実なのではないでしょうか。 

しかし、重要な点は、”人間には主観が許されている” ということです。

主観で物事を見る自由、これは人間だけの特権です。

客観的に見る → やったことが報われないこともないし、特別たくさん報われることもない  中立的
主観的に見る → 損ばっかりと思うか、自分はラッキーと思うか選べる             悲観的&楽観的

あくまで評価者は”自分”という”主体”です。 

主観は人間にだけ与えられた自由なのです。悲観的に見るも、楽観的に見るもどちらも自由です。どっちの見方も同じくらい偏ってはいるが、その考え方を採用したときに気持ちは大きく違います。

悲観的 → こころは暗く
楽観的 → こころは明るく

どっちを取るも自由なら、良い面を見よう、というのがポジティブシンキングの基本形。


■ 何はなくてもこれだけあれば”報われた”と感じるものを見つける

自分はいったい何がどうなれば、報われている と感じるのか?

昨日、義理の父に葬式の報告をしました。 「おばあさんは何歳? 85歳?そうか平均寿命よりは1年長いね」。
(実は今調べてみると1年短いのですが、それは伏せておきましょう・・・笑)

そうか・・・。 義父にとっては、平均より少しでも長く生きること=「報われる」こと なのですね(笑)
 
戦後のモーレツ世代らしい価値観ですね。少しでも人より長く、と人生の長さまで人と競争なのか・・・(笑) 

でも、このように何が ”報われた感” を決めるのか、分かっていることはとっても良いことなのです。

もしかしたら、これを見つけるために人は生きているのかもしれないほど重要です。 

自分は○○さえあれば後はもういい! と思えるなんらかの価値観です。 

ある人は 「子供が幸せでありさえすれば人生成功さ」と感じ、ある人は「毎日食事が食べれて温かい布団で寝れたら十分」と思うでしょう。 別の人は誰かに「お若いですね」といわれるために毎日エクササイズに励んでいるかもしれません。

平たく言うと「生きがい」です。生きがいは見つけるまでが大変です。
そして重要なのは、他者の価値観に左右されない生きがいを見つけるのが大事だと
いうことです。 もしかして、悟りというのはそんな他人にコントロールされない自分だけが支配権を持っている生きがいを見つけることかもしれません。

例えば、”人より長生き”を生きがいにしてしまった場合、平均寿命が延びて死ぬときの寿命が人より短いとガッカリしなくてはいけなくなります。だから他のものに左右されない価値観であるほうがベターです。でもベターと言うだけですから、とりあえずは
OKですよね。

どんなことにしろ、自分の”報われ感”は何によるのか、何のためにだったら一生懸命になれるのか知ることが重要です。

■ 見返りを求めない=自由の維持

良くあることですが、デパートのドアを開けてあげるとそのまま歩き去ってしまう人がたくさんいます・・・(汗)。

そうするとドアを持っていた人(私)は”報われない”気分になります。まぁ修行が足りん!ということですが、そのたびに「あーあ」と思う・・・これはとっても良くありません!! 鬱の種を巻いているようなもの。
 
報われないと自分が感じる行為は、やるべきでない。 このケースでいうと、私はドアを開けてあげるべきでないのです。 

多分、ニコッとしてありがとう、という人がいれば単純に報われた気分になるのでしょうが、誰かにありがとうと言ってもらわないと納得ができないような親切は、”見返りを求める”行為。

見返りというのは、相手がやることですから、自分でコントロールできません。つまり、人に見返りを求めた時点で、自分のコントロール、つまり自由を手放す、ということです!あな、おそろしや!

単純に言うと、私は人間が出来ていないので、たったドアをちょっと開けてあげる、というだけでも、私には多分精神的に背伸びなのでしょうが(^^;)、それより何より精神衛生によろしくないのは、自分の気持ちの明暗のコントロールを自分から
手放してしまうこと
です。 

おそらく、良いこと=善行や良いマナーを持っていて、背伸びをする人、と言う人は、一般的に”良い子”シンドロームの人が多いと思います。 例えば、ドアを開けてあげるのが良いマナーだと思っているからやっているわけです。 
(ま、本当にGoodマナーだと思いますが・・・)

しかし、子供の頃に教え損ねられているのは、そのマナーや良いことというのは、まるで歯磨きの習慣と同じようにやるだけで気分がよくなる、という条件反射です。

これは多分、パブロフの犬のように教えられないといけないものなのですが、良い子シンドロームの人は、この条件付けが間違って教えられています。

親に褒めてもらえる = 快感、という条件付け。   これは正確には
良いマナーをする  = 快感 という条件付け、   でないといけないのです。

良いマナーをするだけで気持ちが良いのではなく、親に褒められるから気持ちが良い、という条件反射が出来上がってしまうのは、少々まずいことです。

というのは、例えば人生で仕事を頑張っても、上司が褒めてくれるとは限りません。むしろ当然とばかりだったり、逆に功績を取られてしまうことだって実際のところ、頻繁に起こることですよね? これで仕事のモチベーションが下がってしまったら単に報われなかっただけでなく、落ち目に祟り目です・・・。

見返りを人に求めない、これは精神の自由を維持するもの!

真の自由人を目指したいものですネ!

あ、最後になってしまいましたが、「報われない生き方」を変える最大のコツは
「報われるか報われないか」を自分以外に問わないことです!!



畑、季節、暦、月

2011-09-28 09:11:01 | 読書ログ

昨日は月齢29、つまり新月でした。なんか中秋の名月からあっという間ですね。
最近、月齢が分かる暦のブログパーツを乗せることにしたので便利に使っています。

”新月の日は願い事が2倍叶う”といわれているそうです。 2倍って・・・何と比べてか、基準があいまいですが(^^;)2倍と言われるとお得のような気がしてきます(笑) 

叶うかどうかはともかく心の整理にもなり、29日周期で繰り返すことになるので良い習慣かもしれませんね。


■ 星空を見るべき夜

先日、温泉で見た星空が美しかったので、月を調べると最近の月の出は遅いのですね、月が出るのは朝の5時・・・.。
日の出が5時半くらいですから、ほんの30分くらいしか夜空に月は出ていないことに・・・そうだったのか!

山で星を見るには、
 ・お天気 (晴れ、湿度低め)
 ・月齢 (暗いほうがいい) 
 ・月の出時間(遅いほうが良い)

の3点がチェックポイントですね。月齢は国立天文台で分かります。
一ヶ月まとめて満ち欠けを記録しておきたいときは、このサイトで表示してくれます。月齢を手帳に書いておけば、月のカレンダーを買わなくてもいいですね。

■ 暦・季節・時間

最近、暦に興味があります。というのも、畑をやっていて、どうも太陽暦って季節感がイマイチというか・・・

それで色々月の暦を調べたりしているのですが、そもそも1年が割り切れない・・・っていうのが永遠に人類の悩みなのですね・・・。 

でも 時間を計るのに、無理に本当は365.25日ある時間を365日にしなくてもいいのかもしれない。余りは遊び。遊びがなくなった時間の中では息苦しいのかもしれません。

結局どんな風に時間を区切ろうとも区切り事態が人間の都合でしかない…。

そう思っていたら、今一般に使われている太陽歴は時間に人間を隷属させる暦だとありました!
太陽暦は合理的だけれども、隙がなさすぎ、人間の自然のリズムにある遊びがない。 

メタファーですが、太陽は男性性、陽をつかさどり、月は女性性、陰をつかさどります。ふたつが補完的に組み合わさっているのが人間にとっては快適、ということなのですが、太陽暦だけだと陽ばかり。

もしかして、今のように、モノ、モノ、モノ、の時代になり、時間に追われて1分早い電車に乗るためにあくせくする生活をしなくてはならないのは太陽暦のせい(笑)? 

以前の暦は太陽太陰暦で、130年前、明治あたりまでは使われていたそうです。

月は29.5日で満ち欠けを繰り返すのだそうです。誰だ月のリズムは28日と言ったのは(笑)? 私はてっきり28日と流布している説を小耳に挟んでいたので、生理のリズムと同じで不思議ね、と思っていました。
実は違います。月が地球の周りを一回転するのは27.3日だそうです。 もしかして間を取って28日???

月の満ち欠け 29.5日
月が地球を一周 27.3日

月だけの暦は29日か30日の一ヶ月なので少しづつ季節とずれてしまいます。 それを季節に微修正したのが二十四節気なのだそうです。 なんだか俳句をやる人以外は関係がなさそうな気がしていたのですがそういう話だったんですね。

太陽歴: 現在の暦 
太陽太陰暦: いわゆる旧暦
太陰暦: 現在も使っている国もある月暦
二十四節気: 季節とのズレを修正し、1年を24に分けたもの。太陽暦に当てはめると毎年日がずれる

■ 人間の都合 植物の都合 自由

季節を大切にしたいと思うのは、畑ってどうも植物の都合で動いているらしいからなんですよね。 私達は畑は仕事ではなく”愉しみ”でやっているので、基本的には都合がつくときしか行かないのですが、畑の作物はお天気、季節のリズムで生きている。でも作物は土から動けないし、天気も動かしようがないので、結局一番融通がつくのが人間です。 

そうなると人間も天気の、季節の、作物の、都合で動くのが一番合理的、って話になるんですよね。 

人間の都合、後回し。 でも山だって人間の都合は後回しで人は謙虚さと感謝を学ぶのですから、いいんじゃないかという気がします。 

人間になぜこんなに大きな可塑性(融通が効くってこと)や可動性を与えられているのかっていうと、人間がこうした自然の中にあわせるためじゃないかと思います。

人間の可塑性、言い換えれば”自由”ってことなのかもしれません。

■ 月の本

少々まとめて本を読んでみると、非常に良いとされている本にも誤謬があります。この分野はあまり類書も多くないです。

今回読んでみたのはこの4冊。 最初に『月の癒し』を読んで、ちょっとどうかなと思ったため、他の本を図書館から借りてきました。基本は口承、伝承の類なのですが、民俗学的な興味をそそられる記述が一杯です。

 人は月に生かされている (中公文庫): 月ブーム概説書 1冊目にオススメ
 月のきほん: 科学の本 読みやすく薄い
 月のリズムで暮らす本 : 基本はおまじない集 
 月の癒し: ドイツの月のおまじない集 

月のおまじない集は生活に密着しているので、男性は月→天体に、女性は月→おまじないに向かうと同じ趣味を堪能できるのかもしれません(笑)月のおまじないはロマンティックだけど振り回されるのはどうかという感じです。

基本的に月のパワーは

 新月       → ゼロからのスタート 計画を練るのに適期
 満ちていくとき → 拡張   筋力アップなど何かを積み上げる活動がうまく運ぶ
 満月       → 満ちた状態  感きわまりやすい 
 かけていくとき → 収縮    ダイエットや切除手術など、取り除く活動がうまく運ぶ 

という基本は月の見え方からのメタファーのようです。 例えばガーデニングなら、新月のときタネを植え、欠ける月の時期に雑草を抜きます。

余談ですが、ルナティック(月っぽい)と英語で言えば「狂ってる」って意味ですよね。

そして月のホロスコープ。これは普段の自分の生まれつきの星座を太陽、男性性をつかさどる星座とすると、ウラ、女性性をつかさどる星座ですが、ひと月の中に12星座があるので、単純に分かりません。

そこで自分の月星座を調べるサイトはココです。

まぁホロスコープまで使い出すと、抜歯は水の星座の日、など日々は逆に細かなルールに縛られてしまいそうですからここらでやめておきます(笑)


心と体のつながり ー 『感情地図』

2011-09-28 09:10:06 | 読書ログ
■ 心と体の関係

『感情地図』は、心の不調が体のどこに現れるか?という本です。
感情地図 ―心と身体を元気にする最高の方法

前半は心の不調が体の不調につながることを説得する内容になっています。
また翻訳が少々読みづらく、文章は翻訳調なので必要以上に堅苦しく感じます。
原題は『Healing happens with your help』で”癒しは自分の力で起る”が直訳なので、こちらのほうが主旨をよく言い表しています。

一定の社会的評価を経て外国では保険適用になっているところもあるリフレクソロジーは、体の不調が足の裏の特定部位に現れるといわれていますし(例えば第2指の付け根は目…など…。でもよく見ると足裏を上から頭から坐骨までの相似形になっているだけなのです)、ヨガなどしていると「不満は太ももに溜まる」などというセリフを聞いたりします。

しかし、この『感情地図』の地図は、臨床データに基づいているわけでなく、基本的に”著者の25年にわたる経験”で説得されています。そこが弱い点です。

うーん、25年って長いですかね・・・?ヨガなんて紀元前からある健康法なので、経験で、特定の感情(例えば怒り)と特定の体の一部(例えば心臓)が関係ある、と結論するには、データ収集期間が短いような気がするのです。臨床データがないのは弱点です。

だからと言って「病は気から」というこちらは人類の知恵とも言うべき言葉を否定する根拠にもなりません。

そこで別の本『内なる治癒力』など別の精神免疫学の本とあわせて読むことをオススメします。
内なる治癒力―こころと免疫をめぐる新しい医学

確かに「病は気から」はありますから、これを科学的に根拠付ける本なら何でもOKと思います。データや論文が引用されていてしっかり調べられている本が良いでしょう。

心が身体の具合に影響しているのは、まったく疑う必要のないことでしょう。ストレスが病気を悪化させるのは常識です。 

しかし、だからといって愚痴が左の腎臓に悪影響を与えるか・・・?愚痴ばっかり言っていると確かに色々な病気にかかりやすくかかった病気からは治りにくくなりそうですが(^^;)、短絡的に愚痴→腎臓、と流れるのはいかがなものか?と思います。
そこのところは学会誌などで今後色々な研究が進むことを期待するしかないようです。

■ 難しい線引き

こうした本というかテーマは、どこまで主張に根拠があるか?その線引きが難しいところです。

しかし、ひとつの知識として 感情地図を頭にいれておけば、何がしか関連性が見つかって役に立つかもしれません。

自分ひとりで「ああ~最近愚痴が多かったから腎臓を労わってやろう!」と思う分には
取り立てて問題ありません。でも、「愚痴ると腎臓に来るわよ!」なんてセリフを人に吐くにはどうか?という感じですね(笑)?

ヨガでも前屈ができないのは、関節の硬さではなく内臓の不調によるといったりします。

■ 完璧な健康はありません

ココが痛いといえば薬の飲み、あそこがおかしいと思えば治療を受ける、ありもしない完璧な健康を望んで胃潰瘍を自分で作ってしまうような思考回路や対症療法的な堂々巡りをやめ、自分で自分の健康を守る意識を持って、前向きに生きていこうと思えれば、結果オーライな本であると思います。