『世界の半分がなぜ飢えるのか?』という子供向けの本を読んでいます。
私は昔からアフリカの飢えの問題に興味があります…というのは、こちら側では余っているからですね(笑)学生時代にフォスターペアレントをやっていたほどです。
私の小学校は、児童に無理やり給食を食べさせる教育方針でした…食べたくないのに食べなければいけない給食…そしてそれでも大量に余っている残飯… アフリカで何十キロと難民キャンプまでたどり着いた人たちが飢えながら死んでいく。あの人たちにあげて…私は食べたくないんだから…
この謎は、素朴で、でも、深遠で、かつてまともな説明をしてくれた大人には一切会った事がありません。
仕方が無く自分で考えるわけですが…
南北格差は、まさに生まれた場所が運が悪かっただけ。
人間には分があるのよ、とヨガの先生などは言いますがさすがカーストを受容しているお国柄、としか思えません。 しかし、合衆国大統領の命とアフリカの名も無い子供の命のどちらが重いか?それを聞かれると窮しますよね?
妻を救うか子供を救うか直面させられた父はどちらを救うのでしょうか?
この手の本は、瑣末な日常の小さな愚痴だらけで、便利な生活になれ安易に流れやすい先進国の人間にとっては、いかに自分が生まれながらに幸運であったかについて、たまに読むべきですね。戒めとして、何の努力もせず、豊かな生活を送れていることの感謝として、税金のようにきっちり毎年読むべきなのではないか…と思います。
電気がある生活は電気が無い日がないとありがたみが分からないのと同じですね。
さてこの本ですが、 貧富の差はなぜあるのか? の解を西洋的に答えてくれます。
その解は現在の世界システムそのものではなく、格差が大きすぎることに収斂していきます。
一方で、私の目には、現代のマテリアリズムでは、人間は幸福になるよりも むしろ、富をめぐって争い、醜く、そして底なし沼の不安におびえ、一生不安という鞭に打たれて恐怖心から働き続ける以外は方策無し、といった暗礁に乗り上げ感が
どこの先進国にもあるように見えます。
日本だけでなく他の西洋先進諸国でも若者の購買意欲は低いです。満たされてしまっているのと既に大人を見てモノによる幸福にはそそられない(笑)からです。
先進国ではこうした状況で、”人間疎外”が顕著です。
そして、アフリカでは私が小学生だった頃から変わらず飢餓が続いているようです。つまり問題は30年以上変わっていない。心ある有能な人たちが国連や国境なき医師団やありとあらゆる有能なNGOやNPOで活動し現地の人々を助けようとしていますが…状況は不毛な戦いを思わせます。
この本によると西洋人が考える飢餓の原因は、援助を受け取る側の汚職や政治的混乱、民族の断裂などです。つまり差し伸べた援助は受け取る資格が無い者たちに横取りされているというわけです。
この世界の貧富の差は、近年大きく開き、ビルゲイツ1人の資産は同じアメリカ人1億人の年収を上回るのだそうです。
格差の源泉は何か?西洋的文脈では、それは頭の良い誰かが考えたシステムを、スムーズに実行させない邪魔、妨害が入るからです。援助をしようとすればその国の高級官僚が横領するといったような…
けれども、東洋人的発想をすれば、システムそのものが格差を許容しているとしか思えません…。
経済格差を辞めたいのであれば、複利を廃止してみてはどうでしょうか。これだけで荒稼ぎしている多くの金融商品が消えます。カネを持てば持つほどカネが集まる仕組みが変われば、水の流れが高きから低きに流れるように流れるでしょう。
複利こそ、この世の発明の中でもっともずるがしこいものだなぁと…(笑)利息が産んだ金にさらに利息がつくなんてね。
それにしても、日本の税金を節約して貯金しさえすれば、じきに新たに税を徴収しなくても利息で国民の支出が補えるはずだ、と言ったのは松下幸之助だったと思うのですが…それは出来なくなりますね(^^)まぁ複利と言う強力なマネー増殖システムがあってもそれは実現していないのですが…(笑)
飢えても飢えても増え続けるアフリカ人口のように、日本では取っても取ってもまだまだあるとされているのが国民の税金ですね…
私は昔からアフリカの飢えの問題に興味があります…というのは、こちら側では余っているからですね(笑)学生時代にフォスターペアレントをやっていたほどです。
私の小学校は、児童に無理やり給食を食べさせる教育方針でした…食べたくないのに食べなければいけない給食…そしてそれでも大量に余っている残飯… アフリカで何十キロと難民キャンプまでたどり着いた人たちが飢えながら死んでいく。あの人たちにあげて…私は食べたくないんだから…
この謎は、素朴で、でも、深遠で、かつてまともな説明をしてくれた大人には一切会った事がありません。
仕方が無く自分で考えるわけですが…
南北格差は、まさに生まれた場所が運が悪かっただけ。
人間には分があるのよ、とヨガの先生などは言いますがさすがカーストを受容しているお国柄、としか思えません。 しかし、合衆国大統領の命とアフリカの名も無い子供の命のどちらが重いか?それを聞かれると窮しますよね?
妻を救うか子供を救うか直面させられた父はどちらを救うのでしょうか?
この手の本は、瑣末な日常の小さな愚痴だらけで、便利な生活になれ安易に流れやすい先進国の人間にとっては、いかに自分が生まれながらに幸運であったかについて、たまに読むべきですね。戒めとして、何の努力もせず、豊かな生活を送れていることの感謝として、税金のようにきっちり毎年読むべきなのではないか…と思います。
電気がある生活は電気が無い日がないとありがたみが分からないのと同じですね。
さてこの本ですが、 貧富の差はなぜあるのか? の解を西洋的に答えてくれます。
その解は現在の世界システムそのものではなく、格差が大きすぎることに収斂していきます。
一方で、私の目には、現代のマテリアリズムでは、人間は幸福になるよりも むしろ、富をめぐって争い、醜く、そして底なし沼の不安におびえ、一生不安という鞭に打たれて恐怖心から働き続ける以外は方策無し、といった暗礁に乗り上げ感が
どこの先進国にもあるように見えます。
日本だけでなく他の西洋先進諸国でも若者の購買意欲は低いです。満たされてしまっているのと既に大人を見てモノによる幸福にはそそられない(笑)からです。
先進国ではこうした状況で、”人間疎外”が顕著です。
そして、アフリカでは私が小学生だった頃から変わらず飢餓が続いているようです。つまり問題は30年以上変わっていない。心ある有能な人たちが国連や国境なき医師団やありとあらゆる有能なNGOやNPOで活動し現地の人々を助けようとしていますが…状況は不毛な戦いを思わせます。
この本によると西洋人が考える飢餓の原因は、援助を受け取る側の汚職や政治的混乱、民族の断裂などです。つまり差し伸べた援助は受け取る資格が無い者たちに横取りされているというわけです。
この世界の貧富の差は、近年大きく開き、ビルゲイツ1人の資産は同じアメリカ人1億人の年収を上回るのだそうです。
格差の源泉は何か?西洋的文脈では、それは頭の良い誰かが考えたシステムを、スムーズに実行させない邪魔、妨害が入るからです。援助をしようとすればその国の高級官僚が横領するといったような…
けれども、東洋人的発想をすれば、システムそのものが格差を許容しているとしか思えません…。
経済格差を辞めたいのであれば、複利を廃止してみてはどうでしょうか。これだけで荒稼ぎしている多くの金融商品が消えます。カネを持てば持つほどカネが集まる仕組みが変われば、水の流れが高きから低きに流れるように流れるでしょう。
複利こそ、この世の発明の中でもっともずるがしこいものだなぁと…(笑)利息が産んだ金にさらに利息がつくなんてね。
それにしても、日本の税金を節約して貯金しさえすれば、じきに新たに税を徴収しなくても利息で国民の支出が補えるはずだ、と言ったのは松下幸之助だったと思うのですが…それは出来なくなりますね(^^)まぁ複利と言う強力なマネー増殖システムがあってもそれは実現していないのですが…(笑)
飢えても飢えても増え続けるアフリカ人口のように、日本では取っても取ってもまだまだあるとされているのが国民の税金ですね…