アサギマダラのお食事

2012-07-19 10:31:38 | 自然と環境のこと

ちょっと前、三つ峠でアサギマダラを見ました。

アサギマダラちゃん、実はとっても珍しい蝶。そして…偏食家。蝶類というのは幼虫のときと成虫では食べるものが違う。 当然か…ちょうちょは密をたべ、幼虫は葉を食べますよね。

でアサギマダラが好きな密を持つのがヨツバヒヨドリ。夏のアサギマダラの代表的な吸蜜植物。

つまりヨツバヒヨドリを見れば、アサギマダラがいるかも?と思うべし。

ヨツバヒヨドリ。

この写真の葉は3つ葉だが、3つ葉のもよくあるらしい。なんで草なのにヒヨドリ…(汗)
葉は細長く輪生。

ヨツバヒヨドリの密を食べて夏を過ごしたアサギマダラは、秋になると台湾へ帰る。

幼虫が食べる食草は親とは違う。これは幼虫が食べるイケマ。ガガイモ科のつる性多年草。
(と言われても…ガガイモってわからないですよねぇ?笑) イケマはアサギマダラの好物で
毒草。 花も吸密する。

アサギマダラちゃんは毒草がお好きなのだ。それも性フェロモンを作るためらしい…

イケマ。


ここにアサギマダラの情報が一杯。

イチヨウラン

2012-07-07 05:09:26 | 自然と環境のこと
先日の両股小屋までの道は、あまり花は多くなかったのですが、変わったランを見ました。



詳しい人に聞いたらイチヨウラン。山地帯~亜高山帯の針葉樹林内に生える1属1種の日本在来種だそうです。絶滅危惧種。

すごい貴重なものを見たんだなぁ。

こういうのって実は見ていても、後で調べるなりしないと貴重さが分からない上、花に気がつかないで
歩いていってしまうだろうなぁと思われる場所にあったりする…ヤマレコでみたら甲斐駒に登っていた人もこのランをあげていた。

つまり情報の受け手側の知識が、決め手だったりするのだ。

昔 カンザスを指して「何もないところ」とのたまった同僚には疑問を感じたが(実はそこは全米第三位の超高級エリア…)やっぱり一体カンザスだろうが山だろうが、相手の懐に入っていかないで、自分の物差しでしかモノを見れないと「何もない」のではなく「何も見えない」のである。


キバナノコマノツメの群落。湿地だ。

疑問に思っていたらちょうどいい具合に回答が用意されている。

さてこの写真のどこかにコジョ太がいます。さてどこでしょう(笑)?

黄色いスミレの同定

2012-07-03 23:11:44 | 自然と環境のこと
先日は八ケ岳に行って黄色いスミレをみたので、迷わず八ヶ岳黄スミレということにしたのですが、
葉が丸っこくて、とてもキバナノコマノツメと似ているなぁと思っていました。

でどう違うのかスミレに詳しい人に聞いてみました。(※さっき幾分か訂正をもらいました)

結論: 葉の様子。厚みや毛などで、高所に適応した葉かどうか? 
    八ヶ岳で、キバナノコマノツメに似たスミレで、葉に毛があり水分の少ない高所に適応
    していれば、ヤツガタケキスミレ。


・キバナノコマノツメ類というほど、黄色いスミレで葉が丸いスミレはたくさんあり、一見似ている。
・ヤツガタケスミレはタカネスミレの変種。
・キバナノコマノツメ=湿った所
 タカネスミレやヤツガタケスミレ=岩場や礫地
  (最近では一概にはいえない)
・生育場所の違いから葉が見分けるポイント。
   葉が厚く水分蒸発に強い=高山系スミレ
   葉がやわらかく多湿に適応= キバナノコマノツメ
 

★黄色いスミレ 

 → 葉は?
    丸い → キバナノコマノツメ類 
    ハート型 → オオバキスミレ
 → 場所は?
    礫地など乾燥地→ クモマスミレ、高嶺スミレ ヤツガタケキスミレ
    湿地 → キバナノコマノツメ
    八ケ岳 → ヤツガタケキスミレ
    北ア・中央ア → クモマスミレ
 → 葉は?
    乾燥に強い肉厚 → 八ケ岳キスミレ
    その他 → キバナノコマノツメ
 → 花は?
    少しデブ →タカネスミレ
    細身 → クモマスミレ、ヤツガタケキスミレ



葉の拡大アップ。毛、ありました。間違いなくヤツガタケキスミレですね~。しかし毛の有無ってなにによるのだろうなぁ? 朝露がつきやすいとか???

※ どうしてかなぁと考えるのが、進化を推察する楽しみ、のようです。 路傍のスミレ一つにも地球の長い歴史が詰まっているのですね…

それを言ったら人間そのものにだって進化の歴史が詰まっているのですが。
我々はちゃんと進化しているでしょうか…

赤岳のコバイケイソウ

2012-07-03 13:26:05 | 自然と環境のこと
ちょっと自信が無かったので、友人に同定してもらっているところなのですが…
これバイケイソウ。正確にはコバイケイソウ。バイケイソウと同じく有毒。

 赤岳の稜線にて。

 周辺はこんな。

稜線上というような標高の高い場所ではなく、樹林帯の中にも似た葉の草があったのですが…

 

誰かにかじられているので撮って来た。たぶん、鹿。


バイケイソウって毒草なのです。ぎぼうし(ホスタ)とよく間違えられるそう。ぜんぜん雰囲気違いますけどね。食べたら人は死ぬことだってあるらしい~(><)。

南アのほうでは鹿君がバイケイソウまで食べている、という報告があるのだそうです。

毒があるのはトリカブトの根ですが、トリカブトの葉は鹿君食べるのだそうです。

恐るべし鹿の食欲。しかし、毒草まで食べるに至ったのならば、自滅中なのかなぁ???

鹿は自然界からの重要なメッセージを伝えているのかもしれません。


 カメノコてんとう虫。 子供の頃のお気に入り絵本がてんとう虫の絵本でした。
くもの巣が脅威だったような…?

昨日はマヤの末裔の人々に会い、ケチャ語の絵本を読んで見せてもらったのですが…自然のことを
描いた絵本でした。太古の人々がぜひとも子孫に伝えたい知恵が、自然のことなのです…
その意味することは大きいはずです。



リスペクトが欲しい

2012-06-27 22:26:29 | 自然と環境のこと
今日は、私は花弁の中に招き入れられたマルハナバチだったのかなぁ…媒介虫、花粉だらけ。

 コマルハナバチ君。

 アヤメ。

■ 花も虫も動物も景観にさえも…リスペクトが足りていない!

命に対するリスペクト=敬意を払う、ということは、今成立している命を大事にする、ということです。

それは、例えば、宗教などでは絶望や自殺を禁じていたり、堕胎を禁じていたりするのと同じことです。

盗掘されて絶滅してしまいそうな植物に、哀れともの悲しさを感じる…のは…それは、「あからさまな欲望の対象」にされてしまったからなんだなぁ…今日はそう思いました。

 There is no respect to a life.

盗掘というのは言ってみれば、花そのものよりカネ、という価値観です。花という存在そのものへのNoRespect…。

それは…言ってしまえば…例えが強烈にならざるを得ないのですが… 要するに…レイプと同じことなんだな。女性なら誰でも(いや海外を旅行するなら日本人男性だって)自分の身に起こりうる最悪の状況は、レイプだと本能的に感じていると思いますが、それは、あからさまな欲望に晒される、という恐怖です。

盗掘というのは、欲望の内容が、性からカネに変わり、対象が人間ではなくて、花に置き換わっているだけで、あからさまな欲望に蹂躙されている、という事実は同じ。蹂躙ということ事実事態が、それを見るものにとっては哀れを感じさせ、悲しくなります。

 盗掘の痕跡。花を取って行っても、気候と土、土壌にいる菌が違うためどうせ死んでしまいます。山野草は庭ではなく、山で鑑賞しましょう。

花に何十万円という値札が付けられる様は、まるで花街に出される若い娘のようです。

 盗掘者のものと思われる崖を這い上がった跡。

盗掘が現在もまだ続けられているため、盗掘者に所在を伝えないため、花の写真を掲載することが出来ません(><)ほんの一握りの心無い人のせいで、多くの人と美しい花の写真さえもシェアすることができないのです。

盗掘が悲しいのは、登山道にゴミを捨てられるのが悲しいのと同じです。あるいは一切配慮の無い伐採跡を見て悲しいのとも同じことですね。あるいは欲望の跡を示す線香林もです。私は自然に手を入れ、資源を利用していくことは大事だと思いますが、同じ伐採でもその痕跡によって行った人の意図が透けてみえるような気がするときがあります。どのようなひどい傷でも自然という名の生命には自己治癒力がある。でもだからといってリスペクトが要らない、というわけではないでしょう。

リスペクトが足りていない、そのひずみは、それは対自然に対してだけでなく、対人間に対しても同じことがおきるのかもしれません。人は不安な時には攻撃的になります。関西から関東に越してきて感じることの一つは、浮浪者などの弱者に対する視線がとても厳しいことです。

過去の関連記事 山のマナーの考察
人間の自己中心性

■ 救急救命センター

言うまでもないことですが…ヒトの生命誕生は幾重にも重なった偶然によってやっと成立します。

奇跡とも言える偶然の重なり合いによって成立した命。その偶然への驚き。つまり敬意。リスペクト。畏敬の念。それが命を大事に扱うということだ、という風に言いかえることも出来ます。

要するに、敬意を払うということなんですよね。

動植物の保護、あるいはよく言われる生物多様性、という言葉は、多様性が重要であると誤解させます。

そうではなく、今成立している命すべてが奇跡であると知る心、感じる心、リスペクトが大事なのだ、そんなことを今日は考えました。

例えば、「希少な花は価値がある」そんな風に考えると、

「価値があるものだから大事にしなくてはいけない」

 ↓

「価値が無いものは大事にしなくてもいい」

となります。 では そもそも「価値」とは? 希少性?美しさ?それとも…エトセトラエトセトラ。キリがありません。

”価値”は、計量可能なものです。計量可能なものは比較可能です。

人間は悲しい性で「(計量可能ならば)計らなければ」と考えます。

すると、”数”という概念が生まれます。数え始める。すると「数が多い」= 「希少でない」=「価値が無い」

日本の自然はもう有り余るほど豊かで米なんて取れすぎて減反の対象になったくらいですが、いくら市場で安値しかつかないからと言って、食べた米が栄養にならないということはありません。

希少=少数=マイノリティだから価値がある?ではマジョリティは価値が無いのか? 右利きはマジョリティですが、左利きが価値が無いなんてことはありません。

比較が可能になると、優劣が決まります。ただし、「優れている」ということは相対価値なので、劣っているほうがいなくなったとたん、優れていること自体が消滅します。偏差値75?みんなが100点になれば偏差値50です。が、勉強した内容が失われることはありません。

自然保護の世界は、どうしても人間の色眼鏡が働きます。人間はどうしても劣勢なものに加担しがち。
でもそうするとシカが少ない頃には保護し、多くなれば狩猟し、と永遠に均衡を求めて堂々巡りです。
私はヨガを教えるのですが、ヨガでも体の左右差を取ろうと躍起になって永遠の振り子運動に入り出口はありません。人間の体はそもそも左右不均衡なのです。均衡は目的になりえないのです。

永遠の堂々巡り…どうしてそんなことになってしまうのか? 

ヒトが頭で考え、直感を信用しないことに決めたからではないか?そんなことを思いました。

何かのモノサシで図らなくてもいい…ただただ、生命は大事にされるということ。あなたはあなたでいるだけで価値がある。

絶滅危惧種の保護活動は、要するに人間界に例えると、救急救命センターです。

そして胸を打つのは、結果として救ったか救わなかったかという実績や事実よりも、救おうと思う
心の働きそれ自体。そこに人間の神性があるのだと思います。結果よりむしろプロセスに重さがあります。 

人は自然においては少し理性を手放して、畏れと直感を取り戻すべきなのでしょう…

 これはアサギマダラ。遠く台湾と日本を往来することで知られる蝶。八ヶ岳など高山でよく見られますが低い標高からあがっていくので時期によっては低山でも。

http://araikazuya.blog97.fc2.com/blog-entry-996.html

すぐには答えの出ない因果関係もある

2012-06-25 07:37:32 | 自然と環境のこと


昨日はこの写真で予想外に多くの反応がありました。これは櫛型山でみた伐採の跡です。朝まだ10時まわっていないのに、山仕事の人がたくさん軽トラに乗せられて下山中で林道ですれ違った車は20台以上ありました。

この森は、どこかの会社の所有林で45年生で伐採となったそうです。

このように山をまる裸にすることを皆伐というのですが、かいばつはいいのか悪いのかよく分かりません

パッと見悪そうだけど…ダメという学者もいるし、森林ギャップが出来て草原性の動植物には生存チャンスができるともいうし・・・。(今は草原性の昆虫や植物は絶滅危惧種が多いのだそうです)

とりあえずこのような伐採跡をみたら写真をとってしまいます。

すると参加しているフェイスブックのグループで宮崎カメラマンからコメントが。「(とりあえず写真をとることで)いいんじゃあ、ないですか。とにかく、撮影しておいて、10年後、20年後、40年後…に「検証」していくことが、大切なこと、なのです。」と。

この方は何十年も同じ山を見つめられて写真集を出している方なのです。つまり実践者。実践者が言う「いい」は重みがあります。 山、ビフォー・アフター、因果関係は未知数

いいのか、悪いのか分からない。分からないということ。 つまり答えが出るまでにものすごく時間がかかると言うことです。それこそ何十年も。

「世の中には時間をかけないと分からない答えがある」

■ ペンディング中の課題の問題

そうした場合に考えられる問題点は…

① 責任の所在
一般にビジネスという学問は、正解がないビジネス大海原の中での航海術です。そういう世界では、分からないということは棚上げではなく、とりあえずその時点で最善と思われる解を出します。もし間違っていたら後で挽回する羽目になる。そのリスクを取るのが経営者ということになっています。

山の場合、もし間違っていた場合、結果の落とし前をつけるのは誰なんだろう?

② 首尾一貫性のなさ Inconsistency
  
周辺の人たちに聞くと、鹿さんにとってはこうした開けた場所は格好の餌場になり、後ろの暗い森は格好の逃げ場と住まいを提供してくれるらしいです。 つまり鹿にとっては有利に働きます。
一方では、鹿柵を設置し、鹿は今害獣扱いです。捕獲に税金投入中。

つまり、害獣を増やしながら捕獲。一貫性がなく、非常に非効率的なことをしているように思えるのですが…。ビジネス戦略でもっとも重要なことは整合性とされています。ビジネスで首尾一貫性が無い=売り上げが減るということ、であり、その責任は経営者にあります。

山の場合、この整合性のなさの結果責任は誰が取るのだろう? 税金の出所は少なくとも国民です。


■ 本質的に貴重なものを捨てた

でも、実は解を 昔の人は知っていたんじゃないだろうか???  

お料理の世界でも同じことを感じましたが、今という時代は、本質的にものすごく価値があった生活知識を、戦後の高度経済成長による経済的繁栄礼賛の考え方に染まる途中で、「こんな古臭い考え方イラナイ!」と価値を省みず、ポイっと捨てて、そしてその結果、問題が山積みになり…にっちもさっちも行かなくなって、第一瞬目、みたいな時点に立っているのではないでしょうか?

何十年もかけないとどうすべきか分からないような問題の因果関係に関する知識をまるでゴミのようにポイッと捨てちゃった?

それは料理の世界に例えると、”かつおぶし削り器を捨てて味の素にした”みたいなことです。

捨てちゃったので、かつおが塊で売っているということも知らず、かつおぶし器で削ると言うことも知らず、さらにはかつおぶし器の存在すら知らず、というようなことに陥ってしまった。

さらに私が疑問なのは、自分の祖母を含め、昔の人って一体誰?って感じだということです。

誰にその知識を請えばいいのか? 私の祖母は86で去年亡くなりましたが、完全に味の素派の人でした。母もそうです。例えば味噌や梅干やパン種の作り方なんてたぶん私のほうが詳しいくらいです。私が一般品よりも高いお金を捻出して、熱処理されていない麹菌が生きている味噌を求めたり、手作りしたりする一方、祖母も母もそういうものを手作りしないで住む生活を夢見ていたのではないでしょうか…。

ということは、長い期間に渡って観察をしなければ知りえないような物事の因果関係を知っていたような世代は少なくとも86歳よりは上の世代ということなのでしょうか?戦前の人?

先人が何十年どころか何百年もかけた観察で得た知見を次の世代に伝承してきた…その知見を絶やしてしまった、というのは一体金銭に換算するといくらになるでしょう???

少なくとも鹿対策に掛かる費用はそこに入る気がします。あるいは私は赤ちゃんの頃からアトピーなのですがこれまでアトピー治療にかかった費用は確実に入っている気がします(笑)

この大きな失敗の落とし前をつけるのは…一体誰なのでしょうか??? 

今を生きている人は観察者第一号ですから、数世代先までは手探り状態が続くのでしょう。数世代先って何十年?

■ ヒトの進化 退化?

先日は図書館で土木工事という専門雑誌を拾ってきました。クリエイティビティを高める技の一つに
まったく自分が興味が無い門外漢の雑誌を読む、という結構有名な方法論があります。それで。

でその本は2005年の特集記事で『津波対策』特集。なんと、05年で既に東北の沿岸地域の住民が津波に対して無警戒状態に陥っており、逃げない、という問題が学術的に大きく指摘されていました。防波堤の上に乗って波を見ている、なんて本末転倒なことが普通に行われていたのだそうです。識者達は警鈴を鳴らすも聞かれなかった、ってわけですね。ま、この本は専門誌なので多くの人の目に触れるとは思えませんが。

人とはこのように学ばないもの、ということなのか?

危機や危険を察知する能力、というのは生存には大変重要な能力です。そうした能力が退化していったといすると、ヒトという種のダーウィニズム的進化は、この100年は進化ではなく、退化の時代だったのではないか…そんなことを思わずにはいられない原因と結果の因果関係です。

人の成長には色々な側面があると思いますが、豊かさということを多面的に捉えず金という物差しで一面的にしか捕らえなかったということも、人としての種の保存能力という面から見れば、進化ではなく退化ではないのだろうか…? 

何しろ日本人は世界で一番個人の金融資産が大きい国民なのです。カネを持っていても豊かではない、という事実は証明済みの事実。

ということは、今後予想される経済的没落のプロセスにおいて日経ビジネスとかで皆が大いに心配しているカネの問題は、大局的にはあまり重要ではないのではないか?と思ったりします。








シダらしくないシダ

2012-06-24 19:31:11 | 自然と環境のこと
今日はシダの観察会でした。

■ シダらしいシダ オシダ

春に行った青木鉱泉ではシダの群落が印象的でした。なんだろうと思っていたら、これはオシダ(雄シダ)というシダでした。

ブナやカラマツなど、落葉樹林下が好きなシダ植物。ロート状に葉っぱを天に向けて広げています。結構大きくて1mくらいあり立派です。競合相手はササらしい。

ブナ林などの谷筋の崩積土の集積する場所などに生育。林床にササの生育が困難な、礫を多く含む場所に
生育することが多い。地下茎は持たず、根茎から放射状に長さ60~120cmの葉を放射状に出す。

地下茎がないから礫地も平気なんですかね。

大型と言えば、大阪ではヘゴを育てていましたが、シダ類のなかでもヘゴは木本性で、他のシダ類と
は一線を画すシダなのだそうです。

■ シダらしからぬ ヒカゲノカズラ

金峰山でスギの根っこが色を持ったみたいに見えていたのは、ヒカゲノカズラでした。シダとはとても
思えないつる性のシダです。 沖縄以外にあるのだそう。

ヒカゲノカズラだけど日陰にはないらしい。日当たりの悪い場所は嫌いなお方。



これが金峰山でみたもの。ちょっと見づらいですが…。5月19日撮影。
上を歩くとフカフカです。矮性で、見た目よりしっかり大地に日張り付いておらず浮いています。芯もしっかり。 で、根かな~と思ったのですよね。しゃくなげ林に一杯会った。

金峰山は水晶でも知られていますが・・・関係は無いのかな。

■ 雑草系 スギナ

雑草として有名なスギナ… 実はシダ…。スギナは畑にバンバン生える。つくしの元でもあるし、
スギナ茶を作ることもできる。


■ 沢山見すぎて覚えられません(><)

とりあえず名前を分類。今日は25種類もみたのですが、覚えるより印象に残ったものを、という感じです。 

ワラビ
ヤマイヌワラビ 軸が黒い
シラネワラビ 全体に葉が5角形
クマワラビ  ひげもじゃでクマっぽい
イヌワラビ  
ヒメワラビ 大きく柔らかい
ミヤマクマワラビ

 ゼンマイ

ゼンマイ 大きくて丸っこい葉
ヤマドリゼンマイ 近年急速に増えているシダ。湿地の乾燥化による。

その他
イヌガンソウ 大きな葉
イノモトソウ ひょろひょろした細い葉が出ているだけの小さいシダ
ヘビノネゴザ よく見かけるもの 鉱山跡など重金属が含まれる土地でも成長できる
シシガシラ  よく見かけるもの

シダ類は裏返して見るのが重要です。ソーラスというぶつぶつが同定のポイントの一つです。
あとは茎の色。毛の有無。とはいえ、山歩きで気がつくレベルでよく見るものはそんなに
数が多くないようです。

私はそのシダの生活圏など、山の地形や土壌との関係を知りたいので、そのような指標になる
シダ類はなんだろうか、と思いました。
ヘビノネゴザなど、金属鉱床を探す指標植物(しひょうしょくぶつ)として利用されてきたらしい。

参考サイト
http://kanazawa.typepad.jp/weblog/kagakufudoki11.html
http://www2u.biglobe.ne.jp/%257egln/32/3222a.htm

大まかに言ってシダの植生には空中湿度が重要らしいです。が日陰にも日向にも生えるのがシダ。苔とはお友達です。

今日は櫛型山方面は仕事衆が入っていたらしく…こんな伐採跡を見ました。
 ガラーン。スッテンテーン…。

日本で一番盗掘被害にあった植物

2012-06-23 21:33:53 | 自然と環境のこと
■アツモリソウについてお勉強

アツモリ草なんて、こちらに来るまで聞いたこともない名前でした。花はきれいだと思うけれど、貴重だからって高いお金を出して買うということはまったく想像だにできない物欲の世界でした。

初めて聞く名前なので、早速ググってみたのですが…あまり情報が出てきません。

そこで専門家から情報をいただいたので、整理してみることにしました☆

参考サイト
http://kyonohana.sakura.ne.jp/blogs/bunya/cat3/cat15/

■ そもそもラン科植物とは?

虫媒花 → 虫さんがいないと次世代が出来ない
・ランには着生ランと地生ランの2つがある。
・地生ラン=地面に生える。アツモリソウ、クマガイソウ、キンラン、ギンラン等。
・着生ラン=樹上や岩の苔などに生える。カトレヤやデンドロビウム等。

・ラン科植物は、ラン亜科、アツモリソウ亜科、ヤクシマラン亜科に分類される。
・アツモリソウ亜科は、雄しべが2個残っているもの。
・ヤクシマランは、人によっては、ラン科だと認めない人もいる。
・ラン科は未だに進化の途中。分類学的には種が分化していく真っ只中にある。

■アツモリ草
草原性。北海道南部から本州中部までの、やや寒い地域の草原や疎林内に生える。
・花期は山梨では6~7月。
自家受粉をしない
・必ず谷の方に咲く。
共生菌がない所に種子が落ちても発芽できない。
・昆虫が上昇気流に乗って、下の方から上に向かって上昇してくる時に昆虫を誘い込む形状。
・発芽率は、20年程度で1割以上。

アツモリソウが無くなってしまうと、それに関係しているラン科植物が全て一緒に無くなってしまう。
・色:アツモリソウの色は 土質や生育環境によると考えられる。
・本州のアツモリソウはピンク。
・ホテイアツモリと言い、北岳などもっと標高が高いところにあるアツモリソウに近い個体もある。
・かつては櫛形山にも自生していた。

■ アツモリ草とクマガイ草
・クマガイソウの学名は、ヤポニクムがあとにつき日本産の意味。
・クマガイソウも有名だが、アツモリソウが草原性であるのに対して、クマガイソウは本来の生息域は杉林や竹林。
・西桂クマガイソウは、何十万本にもなったが他の場所から移植したもの。
・台湾にも近縁種がある。日本ならば、三宅島などにもクマガイソウが自生している。
・クマガイソウは、日本、九州、四国、本州、北海道も含めて全域にあり、日本の状況に非常に上手く適応した。

■ アツモリ草の天敵

①テンニンソウなどのシソ科
今の段階では、テンニンソウがアツモリソウにとってかわろうとしている植物

②カリヤスモドキ
ネズミにとって昼間でも上から天敵に見つからない環境である。そのため、地面の近くはネズミの行動圏になり、ネズミが他の植物を根こそぎ食べてしまう。

③ヤマドリゼンマイ
他の物が一切生えなくなってしまう。他の場所でも、非常に勢力をのばしている。排除して行くべきだ、という流れが出来つつある。

④ 農薬
1960年代に大量に農薬を使ったことで、媒介昆虫が今では少なくなってしまった。自然交配では10本あれば、1~2本位くらいしか自然交配しない。

⑤盗掘
盗掘により最盛期から見ると10分の1程度の量に減ってしまった。

⑥ 人工的な掛け合わせ
人工交配は二世目だけは結構有力な物ができる。しかし、結局は、世代を更新するにつれ、劣性の物が出現し、本来自然界では生存できない

⑦ シカ
食害。

■アツモリ草のともだち

①モキリソウ
里にもある。同じ共生菌を利用し、アツモリソウの近くにある。

②トンボソウ
トンボソウは、毎年一本の根を伸ばして、そこの頭の所に二つから三つの葉を出し、それからまた分かれていく。花は一本であっても、地面の中では、葉と根だけがどんどん伸びて、それが地下で巨大なネットワークを作り、他の植物の侵出を防ぎ、アツモリソウや他のラン科植物の存在を助けている。

③ミズチドリ
白が非常に綺麗。アツモリソウが終わった後に咲く。これが終わるとテガタチドリが咲く。だいたい同じ系統で花の格好は非常によく似ている。

④イフウロ
夏、アツモリソウが終わってから咲く。

⑤サンショウバラ
先にキイチゴとシモツケがある所に、同じ頃サンショウバラが入ってくる。


■ アツモリ草はなぜ絶滅危惧に置かれたのか?

・北岳のホテイアツモリの大きな株だったが盗掘のため既に存在しない
・櫛形山も最近はアヤメ祭りも出来ないぐらいアヤメさえ減ってしまい、鹿の食害がひどい。
・また昔から里山だったため、高山植物が自生していても人の生活が優先された。
・国立公園の特別地域では、植物の盗掘等について規制されている。盗掘は犯罪です。
・現在、課題になっているのはニホンジカの食害。
・入山者が少ないと監視の目が行き届かない






自然を身近に感じるということ

2012-06-18 07:31:50 | 自然と環境のこと
朝はいつも、頭がボーっとしている間にベランダの植物の水遣りをします。

きゅうりとなす、トマトとバジルを植えた鉢では、きゅうりさんが大変ずうずうしく、
いっせいに人の手ほどもある大きな葉を広げ、トマトさんから日光をブロックしています…。いじわる。

実はトマトは乾燥した貧栄養の場所を好むので植え替えないといけないですね…。
きゅうりとナスは水を好むのです…。一緒に植えると水を好む植物が大手を振るらしい。

ミニバラが元気よく咲いたので、お日様をもっとあててあげよう!とベランダの柵の下から
柵の上に出したら、日が当たったほうに首を回し、そして…風の影響で弱ってしまい、
慌てて、ルーバーの下に戻しました。風は嫌いなようです。
風が吹くと根が弱る植物は多いです。根が貧弱だと風に弱いのですよね。

ちょっと葉が落ちてしまったのでもう弱りすぎてダメかもしれない。日光に当てたせいで、
もともと強健なオレガノがさらに勢力を増してしまい、オレガノに負けそうです…緊急脱出は
明日の予定ですが…間に合うかしら???

去年畑からつれてきた葉っぱについてきた蛾の幼虫にやられ、葉っぱを全部食べられて
つるつる坊主になっていたトネリコさんは、芽吹き返したので、一回り大きな鉢に
植え替えました。木なので重くてタイヘン!

でも、元気一杯になりました。トネリコのもとの鉢は砂ばかりが入っていた(乾燥を好むのかしら?
それとも単に土を安く上げようという業者だったのでしょうか?)ので、今回は腐葉土を
大幅に増量しました。腐葉土=山の土、は保湿性が高いので水切れしやすいベランダ向きです。
おかげでかなり元気です。

トネリコの根元に何かを置こうと思っているのでいくつかポットを置いています。
とりあえずその環境が好きかどうかを見るため。

トネリコの根元に別の鉢で置いてあるチェリーセージは成長が著しく、あっという間に茂って大株になってしまいました。冬はスカスカだったのに…

おなじく、ゼラニウムも花は終わったものの…葉が大きく茂りすぎ、下に窒素固定の目的で植えている銀葉の
クローバーさえも駆逐する勢いでクローバーは徒長してしまいました…クローバーさんかなり苦戦中。
ゼラニウムは乾燥にとても強いのですが、環境が気に入っちゃったみたいですね。
接木で増やそうと今切った物を鹿沼土に指してあります。

■ 動植物を身近に感じるということ

子供の頃、シシリー・メアリー・パーカーの妖精の本にハマりました。花の名前は妖精シリーズで
覚えたのです(笑)

How to Find Flower Fairies


”妖精”などというと、子供っぽい空想物語のようですが、最近になってこれらは昔、人と自然が
近かったときに人が自然に感じていたことに端を発しているのだろう、と思いました。

『どんぐりの戦略』という本によると、木にはそれぞれ樹種による違いがあるだけでなく、個体差、
おなじ栗の木でも、隣の木とは違う”性格”と呼ぶしかないような個性があるのだそうです。
一般トレンドに同調する木、周りとは違う振る舞いをする木…。 調査ではある面積を取って
樹種ごとの振る舞い(たとえば落とすどんぐりの数)を調査し、平均を出すのですが、どうしても
平均では語りきれない樹木の振る舞いがあるのだそうです。

一本一本の木に個性があり、一本一本の花に個性がある…。樹種や生活圏が同じでも木の生き方は
違う。

そんなことを観察していると、そこに人の姿を重ねてしまうのは不思議なことではありませんね。

お山の木や植物も毎年観察し自分の庭となっていくと、そういう風になっていくのでしょうね。

あ、ちなみに私自身は、絶対平均から外れているタイプだな!と思いました(笑)


自然のあり方に学ぼう!という話でした

2012-06-14 14:26:07 | 自然と環境のこと
■ 現実的という言葉の ニュアンスは風刺的

昨日はサティシュ・クマールの『今ある未来』を見ました。

特に人間がどのような社会を築いていくべきかという課題に、「自然をガイド(指針)にしよう」という話にはとても共鳴しました。

"Nature is realistic, and I would say that man is the only being who is not," he says.
"Who else goes to bed hungry? Not the snakes or the tigers or any other animal.
Nature does not need 'realistic' Tescos or Monsantos to feed themselves.
Our system of 'realistic' business leadership has totally failed."
(英:ガーディアン誌より引用:http://www.guardian.co.uk/environment/2008/jan/16/activists)

ーーーーーーー試訳ーーーーーーーーーーーー
自然はリアリスティックだ。人だけがリアルじゃない存在だ。
人間以外の一体誰が腹ペコで寝床に入るでしょう?蛇だって、虎だって、他の獣だってそんなことはしません。
自然は食べていくのに、”リアリスティック”なテスコ社やモンサント社になる必要はありません。
”リアリスティック”なビジネスリーダー達が築いた我々のシステムは結局失敗だったのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

…リアリスティックのところはそのままにしましました。 というのも、英語のリアリスティックには
一抹の胡散臭さが漂うからです。 クオーテーションで囲むことも、”いわゆる”というお決まりの
しぐさがあるくらいで、言外の意味があることを意味します。

最近読んだ本で出ていた引用句を取っておけばよかったのですが、”When people say 'let's be
realistic', that's when they are trying to sell you something or rip you off.”というのがありました。
著名な作家のセリフでした。要するに「人が現実的になろう、と言っているときはアナタから金銭を得ようと
言う時だ」

現実的=財布の話 カネの話…ということです。"商売っけ"というと早いかもしれません。

要するに、人だけが生きていくのには現実的になる必要があり、その意味するところは、カネが要るという意味であり
現実というのは、収入、カネの話という意味だ、ということです。

クマール氏が言っているのは、実は生きていくのにカネがいるという思想そのものが自然界には存在しない
”非”現実的な妄想なのだ、ということです。

他の動植物は生きていくのにカネなんて要らないじゃないか!という話。

これは、カネが要るのだから自然を破壊するのはやむをえない、という状況に陥ったときにカネを優先しないと
いうことです。あるいはカネにならないことはしない、という発想をやめることです。

すべてに経済を優先しない。カネを世界の、人生のすべてにしてしまわない。 カネに魂を売らない

■ テスコ&モンサント

それにしても、テスコとモンサントはここでも敵ですね(笑)しかし、何人の日本人がテスコやモンサントを
知っているのでしょうか…? 

テスコ

テスコは日本でいうならセブンアイグループって感じです。モンサントは農業関係の人以外知らないと思いますが
世界最大の種の会社で、F1といわれる一代交配種を世界中に配給している会社です。

この会社などは、市民の無知こそが最大の存在理由と思われるグローバル企業で、世界中の種を席巻しています…。
遺伝子組み換えなどの問題を研究すると出合う会社名ですが一般にほとんど知られること無く、しかし、世界中で
モンサントが作った種から出来た食物を食べていない人はいないのではないかと思われる世界企業です。
世界中の種はモンサント社のものですが、問題はそれらが次世代を生み出す能力が無い=子供ができない、
いわば”不妊野菜”なのに、それと知らされずにみなが種と苗買うことで、モンサント社が儲かり続けるという
構造になっていることです。

一説にTPPを受け入れるとさらに日本の固有の野菜(在来種)は食べられなくなる、と言われています。


■ 2 ≠ 二律背反

クマール氏の話を聞くのは字幕を見るより、目を閉じて英語で聞くのが良いように思いました。

2つに分けて考える思考(…英語でもBlack and White 思考と言って、その弊害は結構有名です)は
背反、あるいは対比する、という思考に陥りやすい。これは2と数字の落とし穴なのです。

2つに分ける。分ける=バラバラになる… でも実は、分けたものは対比ではなく、協調や相互依存の
関係性にあります。

結局、2という数字は、多くの場合、背反するのではなく、組み合う、サポートしあう関係にあるのです。
陰陽のマントラが組み合っているのと同じですね。

例えば、自然と人は背反関係ではなく、自然は人間の内包するもので、人間は自然の一部です。
自然vs人間ではなく、自然人間。

不幸は幸福と対立するものではなく、幸福とは何かを教えるもの。不幸がないと幸福とは何か?が理解できない。

男性と女性は対立するものではなく、互いに支えあうもの。双方ないと子供は出来ない。
仕事と家庭は対立するものではなく、片方があるから片方が成立し支えあうるもの。

私が思うには、二つの協調関係にあるべき概念が、対立構造をとってしまうとき…それは、解決すべき問題が
存在する、ということを意味するのではないか?と思います。

夫婦が喧嘩するとき、仕事と家庭が両立しないとき、自然と人間活動が相反するとき… それは間違った力の働き方
=メカニズムの存在、を教えるもの。

問題の所在は そうならざるを得ない仕組み(メカニズム)、物事の流れにあるのであって、本質ではない。

片方が欠けると片方が存在できないことが、本質は協調であることを示しています。

平たく言うと、「私を取るの?仕事を取るの?」ではなく、「私も仕事も」ってことですね(笑)

■ 3 =構造化することの大切さ

クマール氏の話は非常に分かりやすく、その分かりやすさは、話が構造化されているということにある、と気がつきました。

例えば、提唱されている3つのSです。 Soil(土),Soul(心), Society(人とのつながり)など。

ビジネスのフレームワーク思考と同じ思考法です。3Cといえば、3Cとは、「市場(customer)」「競合(competitor)」「自社(company)」の頭文字。 4Pと言えば、Product, Price, Place, Promotion。

これらのフレームワークはなぜ利用されるのか?というと、

 ・あいまいなまま全体像を捕らえようとしても捕らえきれない。ので部分に分解する。
 ・重複なく、漏れなく考えるため。(MECE:Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)

基本的に”部分は全体の寄せ集めで成り立つ”という還元論をベースにしており、西洋的発想です。
(※ちなみに3Sと言えば愚民思想なのだそうです…(汗)Screen,Sports, Sex つまりスポ日の世界観…)

よく、プレゼンテーションなどでは、上手にプレゼンするには、3、5、7と言われます。
「3つのポイントは…」とまとめる。 これは、基本のキ。というのは、人間が即興的に覚えていられる
理解と記憶力のキャパが7までと言われているからです。

人間は分けて考えないと理解できない動物なんですよね。分かりやすさはこうした人間の脳の事情をベースにして
成り立つ。

提唱されている3Sの中身は

 Soil = 土、環境、自然界全体のこと。持続可能な世界を作っていくこと。
 Soul = 個人の幸福  本人が満ち足りて幸福でいること。
 Society = 社会   

この3つでホリスティックな世界を作っていきましょうという話でした。今日はここまで。

花の名前ってややこしすぎ!

2012-06-12 07:12:47 | 自然と環境のこと
■ 花の名前は姓と名!

花の名前の見方を教わりました☆ しっかし、ややこしいなぁ…。

大半は二名法。 二つの部分からなる。最初の部分が属名で、最後が種名ということになります。
つまり苗字と名前ですね。

ニリンソウは、Anemone flaccida だから、姓がアネモネ。名がフラクシダ。うーん、アネモネ族さんなんですね。

園芸種は属名をそのままヒラガナにしたものが殆どだそうです。だからアネモネのほうがピンとくるわけですね。まぁ園芸種のアネモネはどぎつい色の大輪の花が多いので、ニリンソウさんとはあまり似ていませんが。よく花を見て、名前が分からないと「これは〇〇科の植物だね」と言いますが、正確には、「〇〇属だね」と言った方が良いのです。

Anemoneは、キンポウゲ科のイチリンソウ属って意味…つまり一輪で咲くほうが一般的。まぁそうか。
アネモネって言えば誰もが思い浮かべる花は一輪ですね。
けど ニリンソウの下の名前のflaccidaって…これを言って聞いたことある!って人は少ないだろうなぁ!

因みに学名は、全て”ラテン語”でキンポウゲ科はRANUNCULACEAE。ん?ラナンキュラス?
ちょっと後ろについているのを発生するとどうなるのか?
ラテン語…もうすっかり化石化した言語化と思いきや、亜属とか、亜種、変種、品種だと3つ以上のラテン名が並ぶのだそうです!こりゃ絶対識別不可能ですね!さらなる混乱を招くのみ…

おまけに、もっとややこしいのは、よく見る園芸種のアネモネの日本名が牡丹イチゲってこと。
キンポウゲ科なのに、牡丹…(汗)。花びら一杯だし、見た目もぜんぜん違うじゃん!!

ちなみにイチゲ=一華。一輪、って意味だそう。一輪はイチゲなのに二輪は二華でなくて、ニリンソウ… ま、いっけど…

こーんなにややこしい花の名前の世界なのでした(汗)

■ 同定に役立つ写真の撮り方

① まずは花を撮ります。
 ・その際の第一のキーポイントは花びら。(全部くっついているか)vs(離れ離れか)
 ・次は花びらの数です。何枚か分かるように撮る。

② 次は葉です。
 ・葉の形、出方が主なポイントです。
 ・形: 全体的な形として、一枚が細かく分かれているかどうか
     縁がギザギザか滑らかか、それとも波状か、葉脈が平行か網状か
 ・出方:互い違いに葉がつくのか、向かい合ってつくのか?
     或いは何枚かがぐるっとついているか?

■ 特殊ケース!スミレの撮り方

スミレの花は3枚の写真で同定。

①花の正面のアップ
②真横のアップ

ポイント:
 ・花弁が反っているかどうか?
 ・中心部のまわりに毛が生えているかどうか?
 ・花の後部の袋の形がどうか?
 ・茎が出て立ち上がっているか?
 ・茎がなくて葉が根元から出ているのか?

③最後は葉の形 アップ

スミレの仲間は結構種類が多くて面倒くさいのだそう…そうなのか。たしかにパンジーって園芸種も一杯ありますよね。

ところでスミレってどの花も花も茎も葉も食べられるそうです。スミレの花の砂糖漬け?
ま無理して食べなくていいのですけど… そういえば、スーパーで売っているエディブルフラワー
(食べれる花)にもパンジーっぽいのが多いですよね。


土壌の勉強

2012-06-06 12:24:27 | 自然と環境のこと
土壌について興味があり(次回畑を借りるときには畑の整備からでしょう…)勉強しています。
借りてきたのは『土壌学入門』西洋のものです。

土壌学入門

地球規模の視野で、土壌と肥沃ということはどういうことか?を理解するのに良い本でした。

■ 異なる事情に同じ議論をかぶせるのは無理

山を歩いていると日本においては、西洋と同じ文脈で、環境問題を語るのは少々的を外した議論では
ないかと感じます。

なぜなら西洋由来の環境保護活動は、世界中の自然環境が損なわれる、ことを前提にしています。
しかし、日本の自然を見ると、一見して、その旺盛な光合成に心を奪われます。つまり生産性は
非常に高い。日本においては自然は損なわれる危険より、繁茂しすぎる危険が大きい。日本における
危険性は ずばり密林化、ではないか? 

手を入れてはいけないのではなく、手入れを怠るのがいけない。特に里山ではそうです。
日本の奥山といわれる場所は、土壌が下記の分類で、スポドソルの場所です。里山はアルフィソルの場所です。土壌の性質からしてまったく違う。

日本では、農地は放置されると10年で樹林になってしまいます。そうなると再開墾するには大変な手間がかかります。もっとも合理的なのは、樹林化させず最小限の手間(草刈)で草原性程度までに
維持し、黒ぼく化を進めておくことではないかと思います。

分けて考えることはクリシンの基本。ところが日本の自然環境問題の議論の文脈には分類という視点が
まるっきり欠けているような気がします… そこが議論をわかりにくいものしています。

こちらは日本の土壌分類の図。どこが黒ぼくでどこが違うのか分かります。
http://www.agri.tohoku.ac.jp/soil/eng/images/new-soil-map-j.pdf

■ 備忘録

土壌 = 無機物 + 有機物

土壌の5つの機能
 1.植物生育の媒体
 2.生息環境
 3.循環
 4.水質浄化(ろ過)
 5.工学的素材

土壌の組成:鉱物 45% 空気20~30% 水20~30% 有機物5%

5つの土壌生成因子:母材、気候、生物相、地形、時間。
大切なのは、これらの5つの因子が互いに関連しながら同時に働いている、ということ。

・土壌は層を形成する。

母材 
・氷河堆積物 → 砂利・砂がランダムに混ざる。波打つ平原と脊梁。
・湖沼成堆積物 → シルトか粘土質。もっとも肥沃な土壌と成りうる
・沖積層 → 肥沃度が高いことが多い。硫黄を含むため酸化しやすい。
・河川堆積物 →
・風成堆積物 → 砂。レス(黄砂)や砂丘。レスから生成した土壌は肥沃。砂丘は肥沃度が低い。

・残積成母材 → 基盤岩 火成岩、砂岩、泥岩、石灰岩
・運積成母材 → 他の場所から運ばれてきた母財。

気候 
・温暖で湿潤なほど土壌生成速度は速い。

生物相
・植生は、土壌の安定と発達速度に影響

地形
・地表の形状。標高、傾斜、位置は水の再分配に影響する。景観の中で比較的低い場所は
 水分を集め、豊富で多様な植生を支えることができる。
・急峻な場合は土壌の侵食を考慮する

時間
・数百年から数千年が通常は必要
・鉱物風化(粘土区分): 
 ・石膏、かんらん石はたやすく風化するため、若い土壌にしか見られない
 ・カオリナイト、ゲータイトなどが卓越していれば古い土壌
風化は表面近くでもっとも激しい

土性
有機質に富む土壌は侵食を受けにくい
腐植は粘土の5倍の水を保持することができる
・腐食=マルチ効果がある
耕起は有機物量を大きく減少させる
・表面のクラスト(土膜)は植物の成長を阻害する
・有機物は土壌表層を暗色にする

■ 米国分類

Histosol
・有機質、湿性で冷涼 保水能力が高いが養分が不足。通気性を確保するためには排水する
 必要がある。排水=動植物の生息地であった湿地が失われる。
・ヒストソルを農地として持続的に利用するには、排水を最小限に留める必要がある。

Entisol
・未熟な無機質土壌で大半のエンティソルは生産性が低い。

Inceptisol
・少ない養分や過酷な気候に制限されていることが多い。
・肥沃度が低い場所でも適性に管理すれば生産性をあげることも可能。

Andisol
・火山灰から生成した土壌。数千年の古さしかない。
・世界でもっとも肥沃な土壌のひとつ。
・ただしリンを強く固定することがある。

Gelisol
・永久凍土

Aridisol
・砂漠
・粗放な放牧には利用できるがもともと貧弱な植生がさらに減少し侵食を受けやすくなる。

Vertisol
・湿潤性粘土が多量に存在。耕作困難な場合が多い。インド、スーダン。
・土木建造物を作るときに問題になる。
・うまく利用すれば高い生産性が得られる。

Mollisol
・草原植生下で発達。もっとも肥沃な土壌。
・北アメリカ平原。

Alfisol
・温帯湿潤気候下の落葉樹林で生成する。
・有機物に富んだ表層が失われると風食と水食を受けやすくなる。
・粘土集積が進んでいるため排水に問題がおきることがある。

Spodosol
・冷涼湿潤気候下の針葉樹林で生成する土壌。
・母財が砂質で酸性。
・農業利用には不向き。
・自然植生が多い。

Untisol
・熱帯雨林やサバンナ植生
・粘土にとんだ酸性土壌
・肥料や石灰で肥沃度を上げることが出来る

Oxisol
・湿潤熱帯
・最も風化の進んだ土壌
・自然植生が取り除かれた後適性に管理されないと不毛の地になる
・もっとも適正な利用法は熱帯雨林の維持、木本作物の生産(バナナ、コーヒー、パイナップル)



■ アメリカ農業を日本に当てはめる愚

これによるとアメリカの穀倉地帯はモリソル。世界でもっとも肥沃な地です。灌漑がポイント。
一方、日本は色々な土壌をもっていますが、おおよそアンディソルです。
アンディソルは、日本、チリ、メキシコに分布しています。どこも農業生産性の高い国。

日本の農業の没落は、以前いた商社では、アメリカの大規模経営と比較され、大規模集約化が
成功の鍵とされていましたが、アメリカ並みの大規模化、単一作物栽培はアンディソルの大地では
そもそも非合理的で門外漢の勘違いもいいところだったんではないか?と学びながら思いました。

永遠に続くかのような黒ぼく地の草原性の土地と、山間では火山灰土で、限られた平野=沖積性の土壌
の国。土地のサイズを問題にしなくても、土壌からして違いすぎます。

明野は大規模に圃場整備された畑でしたが、整備しても土の関係で作物を育てる期間は
1年の数ヶ月だけです。大根とジャガイモ。アメリカ式にトラクターで単一作物を作ると
なるとそれくらいしか育たないってわけです。土を年中回そうと考えると、多種多様な野菜を
育てることになりますが、それには綿密な連作を避けた企画と多量の手間が必要でした。
でも手間と考える時間さえ惜しまなければ、年中何かをもたらしてくれる気候と土地です。

手間を省くだけが合理的ではないって訳・・・

■ 日本の土壌

日本の土壌は分類のフレームワークがまったく違うようです。ただし大まかな概念図がこちらに。

 

黒ボク土の割合は、わが国では国土全体を見ますと褐色森林土が最も多 く、黒ボク土は十数%だそうです。農地では畑では黒ボク土が半分、水田で10%ぐらい、だそう。

以外にも肥沃な土地は少ないのです。そして誰もが”自然が豊か”だと表現している場所は、貧栄養の
地であり、貧栄養状態に置かれるべき場所なのです。山にゴミを捨ててはいけない。

やはり、日本の場合は、土壌についても、地理的な分布は、標高で大まかな理解できる。
そもそも、川が作った地形ですからね、基本的には。

私はどちらかというと高原の景色に惹かれるのですが、それは郷里の阿蘇が原風景にあるからのようです。が阿蘇って日本では少ない黒ぼくの土地柄です。

(http://wwwsoc.nii.ac.jp/cssj2/seminar1/section07/text.html 南條正巳氏サイトより引用)

☆興味深い参考サイト
http://unohideoblog2009.seesaa.net/article/153307236.html

読了 『草地と日本人』 

2012-05-31 09:25:54 | 自然と環境のこと
去年やっていた明野の畑は、赤土でした。関東ローム層? 
火山灰土で、赤褐色の粘質土、弱酸性であり肥料分はありません、とあります。

明野の土は、雨が降るとべっとりとした感じでした。だからよく汚れました。乾くととてもサラサラでフカフカしていましたから粘土と言っても何も育たないカチコチの粘土ではありませんでしたが、色は赤でした。大根が特産でしたが、大根はどのような土地でよく育つのでしょうか…。

今よくお邪魔している園芸家によると、山梨では境川付近が黒ぼくなのだそうです。

一方中央の堆積地エリアは、堆積地だけに砂地気味なのではないかと想像しています。
この辺の土は、ごろごろと石だらけで灰褐色です。赤くもないが黒くは決してない。

土の違いか、明野より豊富のほうが道の駅で売っているお野菜は美味しいと思います。

今年、畑をしなくなったことの一つには、明野が圃場整備されている畑だというのがありました。
あまりにモノカルチャー的でもっと箱庭的な畑が欲しかったんですよね。

■ 読了 『草地と日本人』 

草地と日本人: 日本列島草原1万年の旅

この本は、生物学専攻の知人に薦められて読みましたが大変良い本でした。

日本は山地が8割とも言われ、森の国であることは疑いもありません。飛行機から見れば、山の端っこにしがみつくように生きている人間達。

裸地を放置すれば、

 ①やがて草が生え、 ②ツルが生え、 ③木が生える

その通りなのですが、日本の土地の歴史は、人の利用により、この遷移が①の草原のまま押しとどめられていた歴史的時間が一般的に日本人が思っているより長い時間であったことを過去と現在との比較により知らしめます。

要するに江戸時代、山は禿山で草原が裾野には広がっていたのです。武蔵野はホントに野で、軽井沢には野原と湿地があったのです。 初期に入植したアーネスト・サトウなどはそこにアメリカ的な空間の
広がりを見たのかもしれませんね。アメリカ人にとって自然とは森よりむしろ草原です。グレートプレーリー…日本にもそのような広大な草原が広がっていたとは、驚きです。
草原を人間が利用してきたからこそ遷移を低いまま維持できる。人の手が無ければ森になってしまう。

その人間活動の結果、生物の多様性の維持に大きく貢献してきた、というのは、森を至上価値としてクライマックスの原生林を作ることだけを目標とする直線的な思考からはなかなか出てきません。

生物多様性=限られた面積に暮らす生物の種類が多いか・少ないか?で見ると、実は、森林だけでなく、湿地も荒地も、沼も川も、草原も色々必要ですよ、という話。

今は人間の土地利用離れが進み、雑木林や耕作地は、

・集約的なモノカルチャー農業により → 富栄養化  
・耕作放棄により雑木林化      → 貧栄養化&日陰化

という二極化を辿っているそうです。うーん、まるで貧富の差が開いた日本のようです(?笑)。

耕作地が2極化すると 貧栄養を好む動植物が絶滅危惧に陥る そうです。

例えば 蝶、キキョウ、ヒキガエルなどです。薪を必要としたり、茅葺屋根用の草を必要としたり、馬や牛に与える草を必要としたこと=人の手が加わることがより多種な生き物の生活圏を広げていたなんて…世界は本当にうまく行っていたのですね。

それをしなくなった人間=自然界からみたら…サボり?なのかもしれません?


《備忘録》

・迅速測図原図
http://habs.dc.affrc.go.jp/

・土壌情報閲覧システム
http://agrimesh.dc.affrc.go.jp/soil_db/map_select_figure.phtml

・黒ぼくは肥沃な土と言われますが、これは野焼きにより出来たのではないかと想像されています。
・黒ぼく土は草原に見つかることが多い。


植えても植えなくても。

2012-05-25 18:19:34 | 自然と環境のこと
今、宮脇昭氏の本を借りてきて読んでいますが…好感しています。

4千万本の木を植えた男が残す言葉

を読んでいるのですが…

なぜ、『植えない森・・・』の著者達と手を携えることができなかったのかな?なぞです。

山にでも登って一杯やれば仲良くやれた話なのではないかと思うのですが。

まだ読みはじめですが、宮脇氏は、基本的に『植える』立場ですが、それはその土地その土地に合った
潜在植生を取り戻し、戦後、スギ・ヒノキ一辺倒になってしまったモノカルチャー的森から、
多様な植物が生い茂る、本来の森の姿へ、人為的に回復させよう、という話。

結局、植えなくても(人為を最小にしても)潜在植生が取り戻せ、なおかつ植林より強固である、
という話であれば、氏の理論をさらに発展・前進させただけであり、結局ガチンコ勝負する必要は
なかったんではないか…?と思います。

むしろ植えた人の努力はなくてもよかったということになり一抹のさみしさはありますが…
それとてより良い手法を発見するまでの一プロセスと考え、植えることに賛同した企業や市民の
関心を高めた功績を思うと環境教育においては偉大な一歩と思います。

 目標は同じであり、手法が違う…

手法の差は小さなことなんだけどなぁ。

日本では政治でも、朝令暮改が戒められ、いつまでも「○月○日に△△と言いましたよね?」式に
議論がぜんぜん進展しません。

外国人の友人は日本のNo1リスクは政治だと言っています…そう内側ばかりを見ている政治。
そうこうしているうちに対外的評価では、ついに日本の国債は中国より格付けが下になってしまいましたし(><)。要するに国として格が下がり続けていると言うことです。ドイツなんて今トップクラスの評価があるのに。

日本全体が内向きの視野狭窄に陥っている… 小さな村意識から抜け出ていない…それは、どんな分野であるかにかかわらず、アチコチで同じように伺える症状なのだと思いました(><)。


読了 『植えない森づくり』  山の肥やしはわらじの跡 !

2012-05-23 15:29:17 | 自然と環境のこと
■ お山に敬意を!

『植えない森づくり』を読み終わりました。

「植えない」森づくり―自然が教える新しい林業の姿


植林の木には直根がないんですね。それで線香林になった植林地は表土から落ちてしまいやすいのだそうです。

実生の木でしっかり根を張っている=山は崩れない。そのことは普通に登山していても感じます。木の根ってホント凄い具合に張り巡らされています。

実は山を歩いていて少し不安だったのです…それは登山者が入ることはお山にはあまりよくないことなのかしら?ってことでした。

読んでいて分かったこと。自然と人が近づくことが問題なのではなく、その近づき方が問題なのだ。
平たくいえば、お山に失礼だったのだろう。

山を崇拝する心、それがあれば収奪的な行為はしない。自然崇拝そのものは確かに根拠に乏しい。
けれど、だからといって捨て去ることができないのは、収奪的な行為は自然を破壊し、そのとばっちりはちゃんと人間が払うことになる、とどこかでちゃんと知っているからだろう。

人は自分には嘘はつけない。自然への畏敬の念というのは自然がなくては生きていけない人間の本能にインプットされていたものだったのだ。限りない欲望に歯止めを掛けるという点で。
アクセルだけがあってブレーキがない車は危ない。

■ 日本の森林の歴史は今1サイクル目、始まったばかり

日本の山の歴史をかいつまむと、幕藩体制下では奥山の伐採は木一本でも首を差し出さねばならぬほど厳しく統制&里山や茅場は村の共同管理で、統制されていたそうです。明治から戦前はドイツ林業が入り、それまでの伝統的な林業を古臭いものとして切り捨てる精神土壌を生み、戦中は燃料難で森を丸裸にし、戦後は拡大造林で奥山の樹齢300年の木まで切り倒して”売れる”杉・ヒノキを植林したのだそうです。スローガンは「山は木の畑」。その後は林業は廃れ、放置林に。

その間植林でいったん草原化した森で鹿など草原性の動物や雑食性の猿は増える機会を得、暗くなった線香林で熊は格好の寝場所を得て、今の鹿、猿、熊の増加を説明しています。今は狩猟圧も低く、
奥山よりも里山のほうが自然が豊かになり、鹿君や熊君も美味しいものを求めて降りてきているのだとか。猿なんて私の大学では日常茶飯事でした…(箕面)

一方、日本がお手本にしたヨーロッパは、といえば、過放牧&収奪林業で国を丸裸にし(100%から20%まで減少)、反省により19世紀半ばから自然林の復元に取り組んで都市公園の景観育成に力点をシフトさせてきた。

提唱された考え方は、「健全なる森林有機体の恒続」だそうです。つまり永遠に続く森。でもこれを提唱したアルフレート・メーラー(『恒続林思想』)はすでに古書です(汗)

日本はホントに反省が遅い国ってわけですね…。日本は学ぶ姿勢は良いのですが、先生を鵜呑みにするのが難点ですね。先生だって成長している。

というか、日本の場合昔のやり方に戻るべきですね。そうすればヨーロッパなんてお手本にしなくても恒続林です(笑)

日本の昔ながらの林業では、トロッコや川で木材を切り出していたので、山体へのダメージは小さかったのに戦後はブルドーザーが入れる大きな道を切り開き、大面積を皆伐するというやり方だったため
土砂崩落が大規模に起き、その結果、砂防工事が正当化され、大量の税金を使って自然が破壊されていったのだそうです。

ついでにいうと、そのプロセスは地元に公共事業依存症と補助金依存症を作り出し自立の精神を奪った。

つまり自然にとっては、伐採がいけないのではなく、伐採のやり方があまりにも収奪的で、効率主義的で規模が大きく、集約的なのが良くない。

大阪的に言うと、ガーっと来て、バーッと採り、ジャラジャラ儲けるギラギラした林業。今も林業バブルだそうですが、そういう一攫千金的な部分が我先にと奥山の植林に向かわせたそうです。

林道と言えば諸悪の根源??と思っていたら、それはいわゆる車が走れる林道がダメなようです。
側溝も自然の水の道を寸断するため植生を変えたり、土砂崩落を招いたりするとか。車も嵌まってしまうから嫌ですよね。まぁ今そうした林道が張り巡らされているおかげで、稜線まで30mというような
山もあるわけなのですが。

ブルドーザーで切り開き、土砂を沢に捨て、法面をコンクリートで固める。これは×。

一方、四万十方式林道というのが紹介されていました。コンクリートもアスファルトも使わない。材料は現場の土。
幅3mくらいの作業道ならば樹冠が発達して閉じてしまうのだそうです。(というか私がいたアメリカの郊外は車道でも樹冠が閉じていましたが…)

四万十式林道: 材は現場調達 幅員は3m程度 砂利なし、側溝なし 表土で載り面は植物で覆う

これはまさにちょっと広めの登山道ではないですか(笑)。

鹿害を心配する人にはこの先人の言葉を。

「ヤマより大きなイノシシはいない」 

これは土地の持つ生産力以上に動物の繁殖力が勝つことはないという意味だそうです。
「地球より大きい人間はいない」ともいえそうですね。近年の人口爆発について。

つる性植物はみっともないので林業家の間では、山の手入れの敵とみなされているそうです。

でも「カズラが勝ったためしがない」 なのだそう。

二つとも心配はいらないよ、という話ですね。
 
■ 備忘録

《提唱されている森のグランドデザイン》
・自然林として残すべきところ:奥山、尾根、沢沿い、水源、急斜面
・尾根20mは実生の自然林へ
・沢沿い15mは渓畔林として実生の自然林へ
・植林は全体の1/3まで。谷に杉、中腹にヒノキ。

《豆知識集》
・鹿はアセビを食べない
・植林の木には直根がない
・雪解け水→フルボ酸 →植物プランクトンやサケの稚魚→河口では豊かな海(昆布、牡蛎)
・酸性雨対策には炭と灰
・放棄された谷地の棚田の石垣などにヤナギが侵入し、カブトムシ・クワガタが樹液に集まる
・込み入った森には飛来する虫は入りづらい
・野焼きで草原を維持することで虫や草原性の蝶の生息を維持できる
・ぼた山(炭鉱くずの山)にも日本では樹木が生える
・パイオニアツリー(ヤマナラシ、タラノキ、ヌルデ、カラスザンショウ、アカメガシ)
・松=貧栄養地に生える
・日本の里山の遷移: 草本類→トゲのあるツル性植物→陽樹2~3年→陰樹 (70年くらいで安定)
・嫌われ者のつる性植物: マント群落、日陰を作り、陰樹の成長を助ける、鳥や動物の住みか
 若い森のしるし
ヤマモモは治山植栽の代表種 肥料木??