余白恐怖症

2010-09-16 10:10:28 | Diary
デザインの分野では、海外のデザインは”余白を嫌う”ということは良く知られています。

例えば日本画の影響を受けたとされるイギリスのウイリアム・モリス、壁紙がステキですが、
一面の模様です。余白というのは、デザインされていない、とみなされる空間なんですよね。フランス人はそのあたりを良く理解してくれた
ようですが、一般には欧米デザインは余白を嫌います。

このことはお料理でも同じですよね。海外の人は盛り付けでも、皿が見えなくなるくらい
ギュウギュウに盛り付けてしまう。

日本では余白もステキさの一部。 会席など見てみると余裕を持って盛り付けられています。
ちんまり、と盛るのがおいしそうなんですよね。どかーん、としていると下品だとされています。
むかし母はお味噌汁には薬味を除いて2品しか入れないよう、教えてくれましたっけ。
それ以上盛るのは”お百姓さん風”。

同じように、会話でも、海外の人はものすごく良くしゃべります。 沈黙恐怖症、いうのは
良く指摘されることです。海外では黙っていると、”頭が悪い”と思われちゃうのです(汗)。

ま、海外と言っても、限られたアメリカ的な多国籍の国一般(歴史の浅い国、カナダ、オーストラリア)
だけですが。なので沈黙は金、は海外でもありです。ただアメリカ人は沈黙を恐れます。


この間、根津記念館に行って日本の美しさを実感しました。
日本の美しさは 「在ること」ではなく「ないこと」にある。
整頓、の美しさです。

子供の頃、明日の学校の準備をするのに鉛筆を削っていて、なんともいえないスッキリとした感覚を覚えていました。 その感じと似ています。にぎやかなのもいいけれど、ストン、とした、静けさを感じる美は
日本ならではです。こうした美しさは日常生活から失われてしまいましたが、相変わらず見直されつつあります。なかなか取り入れるのは大変なようですが。

私が最近思うには、スケジュールを予定で一杯にしないと不安になる、 これも余白恐怖症の一種ではないかと?

この余白恐怖症は、きっと西洋化で輸入されちゃったんでしょうね。残念なことですが。常にアタフタしていることが良いことになって
しまった・・・。

私は、幸福のひとつの形は、”時間デザイン”にあると思います。
時間も余白がないと、肝心のお料理や対象物も光ってきません。
そして、余白がどれくらい必要か?それも個々人が自分の人生というお皿に好きなように盛れる、そういう自由が本当は生きる喜び
なんではないかと思うのです。

時間デザイン術には色々な本が出ていますが、テクニックが細かすぎて
手帳術など、企画のほうに時間がかかりすぎてしまうものが多く
実際は実用的ではありません。

時間デザインに関するかぎり、覚えておくことはたった3つです。

■ 区切られた時間は濃い

余白時間はそれ自体何の成果もあげませんから、”無駄”と断罪されがちですが、悲しいことですね。
余白時間は無駄ではないです。 余白がないと、何かしている時間が輝かないからです。

1)時を区切る
時間を有効に使うためには、時間を区切ることです。そう、白い画用紙に○を書くように、一時間の
中に15分を区切れば、その15分はかなり濃い時間になります。

2)空間を区切る
今日は勉強する、となれば、時間だけでなく空間も区切って、
勉強道具しか置かないデスクを作ります。これで区切られた時間は
いき始めます。

3)余白を強制的に作る技。 
それは瞑想です。5分の余白(瞑想)でも効果が上がります。
あるいはカンタンな繰り返しでしかない何がしかの習慣を作ることです。適当に済ませている歯磨きも一旦区切ってプロセス化し習慣化すると同じような余白時間として使えます。

今日も明日も校庭を掃いていた校長先生・・・掃いても掃かなくても変わりは無いのに
それをするのはきっと、その区切られた時間が余白を意味ある余白にしてくれるからだったのでしょう・・・


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