2022年4月6日
どこの誰か知らないが、声の感じだと幼稚園児くらいかな?
ず~と『嫌や』と泣き叫んでいる。
それに対してお母さんとお婆ちゃんらしき声が聞こえ、泣き叫んでいる子供をなだめているのだろう。
相当頑固な子供のようだ。
私はただ泣き叫んでいる子どもの声と、お母さんとお婆ちゃんの声を聞きながら分析中だ。
幼稚園児くらいの子だと、ボキャブラリーが少ないから上手く表現できないのだろうと思われる。
子どもの訴えを上手く聞き取れない大人も正直苛々しちゃうよね。
まして、我が子だったら余計に苛立ちがきつくなり、度が過ぎると手が出ちゃうことだってあるかもしれない。
子どもの泣き声って、身体は小さいけど遠くまで聞こえるよね?
全身で泣くよね?
人目を気にせずにさ。
ある意味羨ましい気もするんだよね。
大人になるとそんな風にはいかないじゃん。
年齢を重ねる毎に、行動に【遠慮】というものがついてくるように思うの。
人目も気にするし、泣くときも大声を張り上げて「うわ~ん」と泣けないじゃん。
どちらかというと声を出来るだけ出さないようにして「しくしく・・・」って感じにならない?
これって、私だけなのかな?
そんな風に思ったのだ。
実は、願い事って、子どものような心を持っている方が叶いやすいと言われている。
余計な思考が入らない方が良い。
素直な方が良い。
大人になると、色んな経験に基づいて分析したりするから『本当は○○が出来れば良いんだけど、そんなの無理よね?』と思ったりする。
思い込みが邪魔をして、本当の気持ちから段々離れてしまうわけだ。
だから当然願い事は叶わないという結果になる。
今、私はお姑さんの事で毎日お祈りをしている。
『絶対に治る』と信じて、余計な思考を入れず、Instagramの方にもUPさせて貰ったんだけど、薬師観音様をお呼びしてお取り次ぎをさせて貰っている。
ただ、神様ルールとしてその人に見合ったことしか動くことが出来ない。
もっと良いように行動したくても出来ないのである。
如何に、日頃の行いが反映するか・・・って事なんだよね。
お姑さんは、本当に今まで家族のことに時間を費やし行動されてきた。
結婚してから、お舅さんの御両親を看取るまで懸命に行動されていたようだ。
そして、自分の御両親の介護をして看取り、お舅さんも看取った。
その良い行いはきっと反映されると思う。
なかなか出来るものでは無い。
その素晴らしさは、きっと神様もお分かりだろう。
私のすることは、あくまでもお取り次ぎだ。
神様は、身体が無い。
だから、私の身体を使って動かれるのである。
その許可を貰うのに時間がかかる。
私自身の魂分野で整っていないとお取り次ぎは出来ない。
なので、毎日メンタルを整えるのが一番苦労する。
これも私にとって修行だと思うので、良い機会を頂いていると思っているところだ。
今日も、お姑さんが入院している病院へ足を運んで着替えを看護士さんに渡してきた。
看護士さんに様子を聞かせて貰ったのだが、4月3日から熱も出ていないそうだ。
それだけでも一歩前進しているなぁ~と思って、安心して帰宅した。
『きっと良くなる』
『大丈夫・大丈夫・大丈夫』
毎日呟いているときっと願いは叶うはず。
潜在意識の書き換え作業中である。
最低21日間かかるが、良い方向へ向かうことだけを考えて取り組みたい。
そろそろ晩御飯を作ろうかと思う。
それまでに更新したかったのだ。
今日も、長文を読んでくれて有難う。
良い報告が出来る様にしたいな。