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海軍主計大尉小泉信吉の一生を振り返って~小泉信三~

2019-06-27 19:13:24 | 人生

大正7年1月17日に生まれ、
昭和17年10月22日に戦死した
海軍主計大尉小泉信吉。
25歳であった。
極めて性格温良だったという。
慶應義塾の塾長小泉信三の一人息子である。
出生時、父は31歳、母は24歳であり、
のち、2人の妹が生まれた。

今回は、父信三の著書「海軍主計大尉小泉信吉」にまとめられた、
信三による、信吉の「こうであったろう」人生を、摘記しておきたい。

……

信吉の一生は、平凡な一生であった。
彼は平凡な家庭に生まれ、平穏無事に成長した。父も祖父も伯父叔父も従弟も学んだ同じ学校に入り、小学、中学、大学と一貫してそこで教育せられ、卒業して志望した銀行に採用せられ、図らずも少年の日の夢であった海軍士官となって第一線に戦った。
無事も無事、平たん極まる道を歩んだ男であって、最後の戦死そのことが彼の生涯の恐らく唯一つの事件であったろう。
彼に如何なる特徴があったか。親の私にはほとんど語ることができない。ただ父母同胞親戚友人を愛し、その人々に愛せられ、少しばかり学問を好み、同じく少しばかり絵画音楽を愛し、子どもの時から海洋、船舶、海軍に関する異常の憧憬をいだいたというだけの青年であった。
若し常の世に生きたら、彼は日々銀行の勤務につとめ、余暇をもって読書し、できれば著述し、妻を娶り、父となり、運が良ければ順当に昇進して老境に入るという一生を送ったであろう。
その信吉と言う男が、南太平洋上に敵弾に中って艦橋に倒れるとは、実に思いもかけぬことであった。
信吉が生まれた大正7年は、西暦1918年で、5年にわたる第1次世界大戦の終息した年である。
当時、この幼児の成長の暁に再び世界の対戦が起こり、この幼児そのものもこの大戦に死ぬであろうとは、何人も予想しなかったことであろう。その信吉自身が小時の夢に開戦に死ぬことを空想したというのは、今となってみれば不思議な暗合であった。
(以下略)

……

戦争によって愛児を奪われた老学者の回想には、胸を打つものがある。















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