確かに主婦業というのは、退屈な仕事です。
退屈どころか、一所懸命にやろうとすればするほど、
精神的にもまいってしまう仕事です。
それは、ひとえに、無報酬だということ。
個人の努力に支えられているということが大きいからだと思います。
永遠のサービス業だと思います。
しかも少しの手も抜くことのできない・・・。
最近見た「熱さまシート」のCMでは、
主婦のお母さんが、熱さまシートを貼りながら、
ご飯を作っていました。(しかも笑顔で)
私などは休めばいいのなあ~と思いますが・・・。
(ちょっと恐いCMです・・・)
よく、主婦業は、自分の世話の延長なんだから、
つまり、ご飯を一人分作るのも二人分作るのも同じなんだから、
どこが仕事なんだ。そんなことで不満を言うな・・・などと
いう人が居ますが、それは違います。
自分の以外の人の食事を作るとなると、それはもう世話、
つまりは仕事になってしまうのです。
だって、一人だったなら、なんだっていいんですから。
(コンビニ弁当だって、カップ麺だって・・・)
それをわざわざ作るのなら、それはもう仕事と言えるでしょう。
最初は楽しくても、モチベーションを保てないこの仕事を、
もし能力がある人が続けなければいけないとすると、
それは苦行になってしまう事でしょう。
否、別に能力がなくったって、苦行でしょう。
不毛な仕事には変わりないのですから。
けれど、だからと言って、主婦業だけが、
この主婦達の虚しさを作っているのでしょうか・・・?
そして、果たして専門職に就く事ができたら、
この虚しさから解放されるのでしょうか?
私の母なども、専門職に就いていましたが、
ついぞ母から私は、仕事の面白さなど聞いたことがありませんでした。
(ちょうどこの本の書かれた年代の職業人です)
母の口から出てくる言葉は、
あ~しんどい、
あ~めんどくさい、
あ~やめたい、
なんで私ばかりが・・・
という、愚痴愚痴大行進でした。
そのうえ、仕事に全エネルギーを吸い取られてしまうので、
家に帰ってくると、廃人同然・・・。
子どもたちにご飯を作る事さえ出来ない状態でした。
そんな母が帰って来てから逃げ込める場所は、
自分の趣味の世界くらいでした。
母はよく食事を作る事もせず、
自分の趣味に没頭していました。
私はよく、そんなに辛いのなら、いっそ仕事を辞めて、
趣味の世界で生きればいいのになあ~と思っていましたが、
そうもいかなかったのでしょう。
私は職業人である母の側で、
一番被害を受けた人間なので
(つまりは幼い兄弟たちに、食事の世話を
しなければならなかった・・・)、
専門職に就きさえすれば、
全ての虚しさから解放されるなんていう
おめでたい考え方には賛同しかねるのです。
それにもし、母が大好きだった趣味の世界を
仕事にしていたら、
それはそれでまたストレスだったことでしょう。
否、もっと酷いことになっていたかもしれません。
今度は逃げ込める場がなくなるのですから・・・。
つまりは、主婦業にしろ、専門職にしろ、
虚しいことには変わりない。
何をしていも、人間というのは、
虚しさから逃れることはできないのかもしれないなあ・・・。
そんなことを考えていました。
つづく