それでは転じて自分はどうだったかと言われれば、とても上手くいっているとは言えません。
私は職業人である母がとても辛そうに生きていたので、自分はそんな人生は歩みたくないと思っていました。
私はそう、
生きる為の仕事ではなく、自分がやって充実するような仕事をしたいと考えていました。
つまり、自分の好きな事を仕事にしようと考えていたのです。
それに母のような慌ただしい生き方をしたくないというのもありました。
毎日忙しくしてキーキー言っているような生き方を…。
けれど結局は若い娘が自分の我を通す事はできずに、一旦短大を出たあと、私は親に勧められるまま、就職しました。
けれど、そこでは生きる意味を見いだせず、何かやってみたいと思い、思い切って仕事を辞めて上京する事にしました。
なんだか故郷には居場所がない気がしていました。
その頃の私は、第一の夢が破れ、喪失状態だったのです。
仕事はしたくない…けれど、どうしたらいいのかもわからない…。
自分が一体何をしたいのかもわからない…という状態になっていました。
生きる事はただ辛く、何の意味も見いだせませんでした。
意を決して上司に辞めると言った時、あぁ…これで全てが終わる…と思ったものでした。
日々の苦しみも、安定も…。
私は忘れていたのですが、その時の上司に私は後からこう言われました。
あの時、本当に驚いたのは、君が、
これからは自分のしたい事をしたいんです、
と言った事だったと。
たしかに、田舎の一OLがそんな事を言うなんて、なんだか不遜です。
それに好きな事を職業にするなんて、当時は今よりも寛大ではなかった気がします。
なるだけ他人よりもいい仕事を…。
いいというのは、
他人よりお金がたくさん入って、キツイ仕事ではなく、
楽して儲かり、ステータスもあるというような考え方だったと思います。
仕事に対して、生きる意味とか、好きか嫌いかなんて、そこまで求めていなかったように思われます。
だからこそ上司は、そんな事を言う私を不思議な気持ちで、そしてちょっぴり私の青さを懐かしい気持ちで眺めて居たのかもしれません。
けれどそんな大それた事を言った私は、実は恐る恐る、遠慮がちに、そしてやれるという気持ち半分、やれなかったらどうしようという不安半分でいたのだと思います。
そしてとりあえず私は、
自分の好きな事を職業にするという事にチャレンジを始めました。
そして…それを未だに延々とやっているという事なのです。
全く不毛な事に…。
私は職業人である母がとても辛そうに生きていたので、自分はそんな人生は歩みたくないと思っていました。
私はそう、
生きる為の仕事ではなく、自分がやって充実するような仕事をしたいと考えていました。
つまり、自分の好きな事を仕事にしようと考えていたのです。
それに母のような慌ただしい生き方をしたくないというのもありました。
毎日忙しくしてキーキー言っているような生き方を…。
けれど結局は若い娘が自分の我を通す事はできずに、一旦短大を出たあと、私は親に勧められるまま、就職しました。
けれど、そこでは生きる意味を見いだせず、何かやってみたいと思い、思い切って仕事を辞めて上京する事にしました。
なんだか故郷には居場所がない気がしていました。
その頃の私は、第一の夢が破れ、喪失状態だったのです。
仕事はしたくない…けれど、どうしたらいいのかもわからない…。
自分が一体何をしたいのかもわからない…という状態になっていました。
生きる事はただ辛く、何の意味も見いだせませんでした。
意を決して上司に辞めると言った時、あぁ…これで全てが終わる…と思ったものでした。
日々の苦しみも、安定も…。
私は忘れていたのですが、その時の上司に私は後からこう言われました。
あの時、本当に驚いたのは、君が、
これからは自分のしたい事をしたいんです、
と言った事だったと。
たしかに、田舎の一OLがそんな事を言うなんて、なんだか不遜です。
それに好きな事を職業にするなんて、当時は今よりも寛大ではなかった気がします。
なるだけ他人よりもいい仕事を…。
いいというのは、
他人よりお金がたくさん入って、キツイ仕事ではなく、
楽して儲かり、ステータスもあるというような考え方だったと思います。
仕事に対して、生きる意味とか、好きか嫌いかなんて、そこまで求めていなかったように思われます。
だからこそ上司は、そんな事を言う私を不思議な気持ちで、そしてちょっぴり私の青さを懐かしい気持ちで眺めて居たのかもしれません。
けれどそんな大それた事を言った私は、実は恐る恐る、遠慮がちに、そしてやれるという気持ち半分、やれなかったらどうしようという不安半分でいたのだと思います。
そしてとりあえず私は、
自分の好きな事を職業にするという事にチャレンジを始めました。
そして…それを未だに延々とやっているという事なのです。
全く不毛な事に…。