も、やはりこの元号は良くない。
見る度に、嫌な気持ちにさせられる。
まずパンチがない。勢いがない。
小さくまとまる、内向きになる、
というイメージがする。
他の元号と比べても、一つだけ違和感がある。
これは大問題だと思う。
万葉集から取るのはいいとしても、
なぜこの言葉だったのかが謎だ。
他にも言葉はたくさんあるだろうに。
センスを疑う。
昨夜、ニュースを見ていたら、ダウン症の書家の方が、
これをでかでかと書いていらした。
逆側からみていたら、初めて、いいと感じたが、
正面からみて、驚いた。
令の真ん中の棒が、
一本だけ、力強く伸びていたのだ。
まるで、一本足の唐傘お化けみたいに・・・。
すごく不安な気持ちになった。
ヤバイと思った。
これは、一本足でしか支えられないという意味。
どこからの支援もなく、一人で立たなけばいけないという意味、
だと感じました。
自立という意味ではなく、支えがなくて、どこからか押されたら、
すぐに倒れてしまうような脆弱な感じがしました。
マズいなあ・・・と思いました。
天皇は日本の国体を表すものです。
そして日本という国のトップにおわします方。
全てはトップで決まるのです。
国においてもそうです。
トップがふらふらだと、日本国民も、日本という国も、
脆弱になってしまいます。
これは困ったことになったと・・・昨夜から、
気鬱になっています。
でも、反対にこの名が、新天皇に与えられたのも、
必然だったのかなという気もしました。
正直なところ、この元号が皇太子さまに合うどうかは分かりませんが、
新天皇が、オーラをまったく感じさせないことは、
皆さまも薄々気がついていらっしゃるのではないですか?
確かに、お小さい頃の皇太子さまは、額から鼻に抜けるような、
まばゆいばかりの光が放たれていました。
私は、この方より年下ですが、テレビで拝見したときなどには、
いつも、その光にひれ伏したい気持になっていましたよ。
畏れ多いと思っていました。
そして、さすが、天皇家の御子だと思っていました。
皇太子さまは違うなあ・・・と感じていました。
見るのが怖いくらいでしたよ。
眩しくて。
ところが、長じるにつれ、その輝きは徐々に失われ、
いまでは、まったく何も感じさせないお方になってしまわれました。
本当にどうしたことでしょう。
私が子供の頃に見たお方とは、
まるで別人のようになってしまわれましたよ。
この方を天皇としていただくには、私は抵抗がありますが、
でも、お代替わりということなので、仕方がないのですが、
それでも、今はただ、この時代が速やかに収束してくれることを願うばかりです。
はじまる前から、終わって欲しいとはこれいかに?と
思いますが、今は、本当にそんな気持ちです。
正直なところ、不安ばかりが込み上げてきます。
これはもう理性で抑えられるものではないのです。
頭の範疇で考えられることではないと思っています。
ものすごい拒否感です。
それと、今書いていて、思ったのは、
新皇后になられる雅子さまのことです。
皆さま、ご存知だと思いますが、雅子さまは、
長年病気で、なかなか公務もままならないお方です。
それも表しているのかな?と。
つまり、皇后が不在。
一人で背負って立つ。立たなければいけない天皇、ということなのかな?
とも思いました。
日本という国のはじまりは、
イザナギ、イザナミの夫婦で作った国なのです。
それが、実質、皇后が不在となると・・・
推して知るべし。
そりゃ、国体がグラグラしますわな。
ああ・・・ため息しか出てこないなぁ~、今は。
巷では元号いらないという意見も出ていますが、
元号はその時代を象徴するものなので、残した方が
いいとは思いますが、
私はもうこの令和という文字は出来るだけ使わないように
しようと思っています。
(あんまり使うと、世の中に、このイメージが定着してしまうから)
どうか明るい時代が来て欲しいと思います。
平成はきらびやかな文字のイメージですが、
正直、災害ばかりでした。
文字の反対のことがどうも起こるようなので、
この漢字のイメージ自体が悪い、「令和」も、
時代的には逆に、穏やかであればいいとは思いますが、
どうかな・・・?
どうも、この字は、現皇太子さまをイメージしたもの、
表したような気がします。
うわ・・・大変な事になってしまった・・・というのが、
私の忌憚なき感想です。
☆それでは今日もよい一日を。
*やっぱり今、眺めても、「令」の字は、グラグラしている。
一人公務が続くようですね。
やれやれ・・・。