感謝を要求する事。
自分を虐めた相手にまで感謝しなければ、
浄化は終わらないと言う。
いつも思うけど、本当かな…と。
と言うのは、相手を許すだけでも、
相当人は心を揺さぶられる物だ。
それだけでもとても大変な作業なのだ。
疲弊する事なのだ。
これは、一度死んで、生まれ変わると言う、再生の作業なのだから。
生半可な事ではなし得ないのだ。
そのうえ、更に感謝まで要求されるのは、
もう限界を超えているのではないか?
私は許す事も、感謝する事も、その人次第と考えている。
その人が自然とそうなれば、それでいいのであって、それを〇〇でなければ、終わっていないと言うのは、違うのではないかと思うのだ。
あと、やはりそれは古い考え方だな?とも思っている。
これからの新時代は、もっとラフでフランクなのではないのだろうか?
感謝を要求するのは、昔の宗教者の態度につながる。
真実はもっと簡単。
これからは、もっと個人が大切にされる時代ではないのだろうか。
だから私は、他人の話は話半分に聞いていて、自分の感覚を信じようと思う。
他人の歩みより、自分の一歩の方が偉大なのだ。
自分で勝ち取った一歩の方が、はるかに価値があるのだから。
だから、もっと今回の偉業を褒めようと思う。
自分で自分を称えようと思う。
私はとにかく生き残った。
それだけでも素晴らしい事なのだから。
☆それでは今日も良い一日を。