私のだらしな日記

「更科日記」ならぬ、私の〝だらしな〟日記。(^^;)
日々のどーでもいい事を、だらだらと綴っていきます。

父と私の間には、大いなる誤解があるかもしれない

2021年10月10日 | 日々つつがなし

父の事、私、誤解していたかも…。

 
昨夜、妹から、なぜそんな話しになったのか分からなかったのだが、
 
弟達の結婚の時の顛末や、父が入院していた病院での父と嫁とのやり取りなどを、妹が訥々と語りはじめ、
 
よく訳がわからずに、嫌な気持ちしか湧いて来ず、
 
思わず、
やめて!
と叫んだものだったが…。
 
でも、このブログに、書いていくうちに、段々と当時の状況が思い出されて来て、
 
もしかして、私、父から見捨てられたかも…と思っていたけれど、そうではなく、
真実は違うのではないかと考えを改めて始めたのだ。
 
というのも、私は、その時の父と嫁さんとの会話の内容を聞いてはいないのだ。
 
なのに、父が私より嫁さんの方を選んだと思うのは、
早計ではないかと思ったのだ。
 
あの日、何が起きたのかというとー
 
病院でのカンファレンスがあり、私と弟夫婦と父の担当のケアマネさんが呼ばれていた。
 
私が、父を自宅へ引き取りたいと言った時、弟夫婦は驚いたようだったが、
何も言わなかった。
 
しかし、ドクターから、私の住んでいる町が、市内からは遠い事。
 
父の容体がそれほどよくはないので、いざとなったら、間に合わない可能性があるし、
父は透析もしていたので、近くの病院で(近くと言っても、車で20分はかかる)送迎をしてくれるかどうかも確認しなければならない、しなければ、私が送り迎えをしなければならない事などを告げられた。
 
私がすると言っても、普通の車では駄目で、介護タクシーが必要となってくる。
その場合、介護タクシーも、重態な人は断られる可能性もある、などケアマネさんから告げられた。
 
その時の父の容体は、寝たきりではあったものの、これから徐々にリハビリを行い、
車椅子へ移乗の訓練もするということで、私はあまり心配はしていなかった。
 
むしろ、家へ帰れば、身体機能が回復し、徐々に元にもどるのではないかくらいに考えていた。
 
介護タクシーが無理ならば、私が車椅子が載せられる車を買い、病院までの送り迎えをしよう、くらいに考えていた。
 
しかし、結局、私の家は遠いという理由で却下され、
代わりに、今、現在父と弟夫婦が住んでいる実家ならば市内なので、
大丈夫と言われたのだ。
 
そうなった時に、急に弟夫婦から、家では無理だという意見が出たのだ。
 
弟は、お盆に外泊くらいならという話だったが、嫁に関しては、
無理の一点張り。その理由が、父が透析をしているからというものだった。
 
ドクターは、今月からすぐにリハビリを始めると言ってくれていて、
弟がお盆に外泊を言った時点で、「遅い!」と言った。
 
その時で、6月だった。
外泊というのは、月に一度しか出来ないそうで、8月のお盆の時なんて、遅いと言うのだ。
父は、受け入れ態勢さえできていれば、すぐに帰して貰える状態だったのだ。
 
そのリハビリのために、今月から外泊を目標に、車椅子での散歩からはじめてみましょう、と
いう事になった。
 
それはもう有無を言わさぬことだった。
 
なので、弟夫婦も黙ってしまった。
 
私は、弟夫婦がどう出るか心配だったが、
とりあえず、ドクターには逆らえないようだったので、ほっとした。
 
でも、このまま、彼らが黙って父を受けいれる筈はなく、
おそらく、直前になって、断ってくるだろうとは考えていた。
 
けれど、とりあえず、父の退院計画が始動したことでホッとしていた。
 
出来れば、私のところで引き取りたかったが、それが叶わないのなら、
せめて、弟たちのところへ帰そう。
 
どうせ嫁さんは、文句を言って、父にきつく当たるだろうから、
私がその時には、泊りがけで介護しよう、そう考えていたのだ。
 
カンファが終わってから、ドクターから、父に会っていきませんか?と言われた。
コロナで面会もままならない時だったが、家族がそろっているので、父に特別に会わせてくれるという事だった。
 
それで、みんなでぞろぞろと父の病室へ向かうと、父は、私の顔を見ても喜ばず、
弟の顔を見ると、わずかに表情を動かした。
 
「やー(あんた)、久しぶりじゃがね」と。
 
それを見て、ドクターが、
 
「あれ?あれ?」と茶化したように言ったので、
私は嫌な気持ちになった。
 
普段、電話で話している私には、父は興味を持たず、
電話もせずほったらかしの弟には、反応したのだ。
 
だから、なんだか馬鹿にされた気分だった。
 
弟は父の好きな相撲の話をして、父を励ましていた。
そんな様子を見るにつけ、自分には付け入る隙がなく思った。
 
父はやっぱり、娘の私よりも、息子の方がいいのか?
話も合うし・・・?と自信がなくなってしまった。
 
しばらくすると、父が、
 
「○○、○○(嫁さんの名)はいないか?」と呼んだ。
 
すると、それまで、父の足元にいた嫁さんが嬉しそうに言った。
 
「お父さん、私はここですよ。あれ(弟のこと)とお姉さんがいるから私は遠慮していたんですよ」と喜々として言った。
 
その言い方もわざとらしくて、嫌みだなと感じた。
 
父は、弟の嫁を見ると、
「あんたに会いたかった」
と言った。


そして、私は、もうその時点で心が折れてしまった。
 
弟に限らず、父は、現在一緒に暮らしている、弟の嫁の方が
可愛いんだと思った。
 
だって、病室に入ってから、一度も私には目もくれず、
彼らにばかり話かけているのだもの・・・。
 
もう、ハートは傷だらけ・・・だった。
 
 
なので、父から目をそらし、側にいた弟に、父の携帯電話の事で話しかけた。
「この電話は壊れているんだから、新しいのにしてくれ」と。
 
この問題は、今までもずっと言っていた事だが、結局、弟は何もしてくれなかった。
もう言っても無駄だと思っていたけれど、父と嫁との会話を聞きたくなくて、
わざと弟と話をしていた。
 
時々、横眼で見ると、父が穏やかに、嫁に語り掛けていた。
二人の会話を聞いていた、担当の看護師さんが目尻に涙を浮かべて、
そっと拭っていた。
 
それを見ると、ますます私の気持ちは揺らいだ。
 
ああ、父はまた私を裏切って、嫁さんを持ち上げたのだな・・・と
そう思ったのだ。
 
結局、私はいつも空回り、ピエロの役回りだ・・・と打ちのめされた。
 
 
だから、私は正直なところ、この時の二人の会話は聞いてはいないのだ。
 
しかし、面会が終わって、私たち家族がエレベーターで階下へ降りる時、
担当の看護師さんが見送ってくれ、その時、私に向かって、深々とお辞儀をしたのだ。
 
私は、えっ!?と思った。
 
なんで私なんだろう・・・?
 
嫁にではないだろうか?
 
だって、父はおそらく、嫁がよくやってくれていると、言ったのだろうから・・・。
 
私はとんだ当て馬にされたのだろうから・・・。
 
けれど、今思い返しても、あの担当の看護師さんは、私の後ろにた嫁にではなく、私の目を見て、挨拶してくれたのだ。
 
それが不思議だった。
けれど、傷ついていた私は、その考えを否定した。
私ではないわ・・・と。
 
 
それから、私たちは、駐車場へ行き、父の処遇を話し合った。
 
私は、弟たちに頭を下げ、父が帰ってきたら、私も泊まって面倒を看るから、
一緒に介護をして欲しいと頼んだ。
 
二人は渋っていたけれど、その時は何も言わなかった。
 
そうして、その後、タイミング悪く、父と私がすべての行き違いで、
まったく会えなくなっているうちに、
 
父は転院となってしまった。
 
それが決まったのが、私が第一回目の父との対話の日で、その日、本当なら、
私は父の車椅子を押して、病院の外へ散歩へ出かける予定だったのだ。
 
それが、なんと、その日に、別の病院へ転院となってしまったのだ。
 
それが決まったのが、前日で、担当の看護師さんから、私の方へ直接、電話が来た。
 
ふつうは、キーパーソンの弟の所にしか、電話はいかないが、
どういう訳か、私のところにも連絡をしてくれたのだ。
 
・・・というか、私は実は、あの日以来、病院のスタッフたちが、妙に私には優しいことに気づいていたのだ。
 
どういう訳か私が行くと、皆親切にしてくれる。
優しく言葉をかけてくれてたり、下手をするとコロナなのに、父に会わせてくれたりしたのだ。←今、思い返すと、父に面会をさせてくれたのは、カンファ後ではなく、カンファ以前だった。
 
 
そうして、担当の看護師さんから電話があったのだ。
 
「弟さんから聞きましたか?」心配そうな声だった。
 
「あ?ええ、聞きました」
 
「本当は、明日、散歩の日でしたのに・・・」
 
「そうですね・・・。残念です」
 
私は、沈む電話先の看護師さんを励ますように、わざと明るく言ったのだった。
 
何でもないという風に・・・。
 
それから、翌日、転院するときも、お礼の品をナースステーションへ持って行った時にも、まるっきり、初めて会う看護師さんが、
 
「○○の娘です」と言うと、
 
「ああ・・・」と言って、立ち上がり、私の肩を抱いてくれ、
「まあまあ、こんなにしたら、大変でしょうに」
 
と言ってくれたのだった。
 
私は、あまりのことに、驚いたけれど・・・。
 
その時は単純に、私にはみんな親切なんだなあ・・・と思ったものだけれど・・・。
(弟夫婦にはなぜか冷たかったが・・・)
 
 
でも、やっぱり、それはおかしいよね?
 
今、落ち着いて考えて見ると。
 
 
妹がわざわざ電話して、あの日の事を言ってきたり、
私にあの日の事を思い出させようとしたのも、
そういうことだよね。
 
 
あの日、父は嫁に、あんたが一番、と言ったのではないのだ。
 
父が言ったのは、私の事だ。
 
父は私に引き取られたいとおそらく言ったのだと思う。
 
だから、今までありがとう、でも、自分は姉ちゃん(私の事)の所に
行くから・・・と言ったのではないだろうか。
 
自分はもう長くはないだろうから・・・と。
 
でなければ話のつじつまが合わない。
 
もし、父が嫁に、「あんたが一番」と言ったのなら、
その後、嫁はおそらく、どや顔で私にマウントをとって来ただろう。
 
しかし、あの日は、彼女は私にマウントをとって来なかったのだ。
 
珍しく・・・。
 
だから、あの日、父は嫁を持ち上げなかったのだ。
 
 
そういう事なのだろう・・・と思った。
 
 
父の事で、私が深く悩み、傷ついていたので、そうではないと、
父が、妹の口を使って、あの日の誤解を解こうとしたのだろう。
 
 
そうして、私の気持ちはぶれて、ここ数日は辛い思いをしていた。
 
けれど、あの時のことをちゃんと検証しようと向き合ったら、
別の事実が見えてきたのだ。
 
 
ああ・・・お父さん、ごめん!
ごめんね、私が間違っていたわ。
 
お父さんは、私の所へちゃんと来ようとしていたのね。
 
でも、私はそれを叶えてあげることができなかったのだ・・・!!
 
仕方なかったとしても、それでも、真実を私がちゃんと受け止めていたら、
こんな結果にはならなかったのに・・・
 
と、今は後悔だけが残っている・・・。
 
 
今朝、夢を見た。
 
私の尊敬するお習字の先生が出てきた。
 
先生を名指しして、一緒に来てもらおうとしたら、
先生が怒っていた。
 
私が驚いて、訳を聞くと、
 
「だって、私はサインを送っていたじゃない?
あれなんか(ご家族のこと)は、私のことをちゃんと面倒みてくれんかったよ。
あれなんかは私を囲い込みはしたけれど、何もしてくれないよ」
 
と言ったのだった。
 
ショックで目が覚めたけれど・・・
 
あれは、先生の姿を借りた、父だっただろうと思った。
 
父がちゃんと、私に四十九日をして欲しい・・・と言っているのだ。
 
 
そう思った。
 
 
今、私は真実を知って、愕然としている。
 
そうして、疲れてもいる・・・。
 
なんと不毛な戦いだったのだろう。
 
私と父は。
 
お互いにちゃんと愛し合っていたのに・・・。
信頼し合っていたのに・・・。
 
なんて馬鹿なことをしていたのだろう・・・。
 
 
でも、もう、迷いません。
 
私は、きちんと父の供養を執り行います。
 
私がちゃんとして、あの世に送り出します。
 
そうします、
そうなりました。
 
有難うございました。
 
 
本当に馬鹿な娘でごめんなさい・・・。
 
そうして、お父さん、有難う。
 
今まで、育ててくれてありがとう。
 
お父さん、大好きだよ。
 
愛しています。
 
本当に、有難うございました。
 
あなたの存在に、感謝しています。
 
有難う。
 
お父さん。
 
 
 
 
☆それでは今日もよい一日を。
 
 
PS もう、文句は言わないよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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父への怒りが止まりません

2021年10月10日 | 日々つつがなし
昨夜、妹と話していると、
父が転院する時の話になりました。

あの時、私が父に毎日のように電話をして、
活性化させていたのに、
転院前の面会で、父は、弟の嫁を呼び、

あんたに会いたかった…と静かに語りかけ、

何事か話し、側にいた看護師さんが涙ぐんでいた
と言うエピソードを、

妹から言われ、
怒りが湧いてきました。

私にとっては、
父を退院させず、
金だけ取ってのうのうとしている
弟の嫁は、敵だったし、悪の枢軸だったのに、
その敵に対し、娘の私よりも、愛情をかける父に、

しかも、みんなのいる前で、
そんなパフォーマンスをする父に、
心底幻滅したし、呆れたし、
普段から嫁を非難している私に対する当て付けだと
感じました。

つまり、父は実の娘である私よりも、
たかだか四年同居したくらいの嫁のことを信用したのです。

その事で、本当に傷ついたし、
がっかりさせられました。

私は、弟夫婦から、父を救い出したかったのですが、
それ以来、父の裏切りに心が折れ、
以前のように父を愛する事が出来なくなりました。

もう、どうでもいいやと、言う気持ちになったのです。

それでも、父が亡くなるまでの間、父を家へ戻そうと
努力はしましたが、それも叶いませんでした。


私はその事で、深く傷つき、悔しさや虚しさをかんじていましたが、
もう相続のこともすっぱり諦めて、これからは自由に生きていこうと
思っていた矢先に、妹から、忘れていたそんなエピソードの事を言われ、

怒りが再び込み上げてきて、どうにも感情を抑える事が出来ませんでした。

妹がその場にいたのではなく、私が見た光景を後で妹に言って、
自分ですら忘れていたその事を改めて言われたのです。


妹が、どう言う意図でその話を蒸し返してきたのかが分かりませんが、
私が触れて欲しくない、痛い部分を刺激されてしまいました。


実は、父の四十九日を、私が取り行って欲しいと、メッセージが来たのですが、
私の中では、本当に私がやっていいのか?

父はそんな事を望んでいないのではないか?と迷う部分が多いにありました。

私自身も、未だに、弟夫婦に遠慮している所があるのです。

あちらは、ちゃんとお坊さんを呼んでやると言っているのに、
私がやってもいいのかと。

その上、嫁との親密な光景を思いだされて、
父への不満が爆発してしまいました。

あいつらがやると言っているんだから、あいつらにやって貰えば
いいじゃない?

お父さんの大好きな嫁さんにやって貰えばいいじゃない!

なんで私に頼むのよ、と。


すると、

ちゃんとやって貰わんば、天国に行けん

と言われました。


上へ行けずに、賽の河原でウロウロする事になると。

そのイメージが見えてきました。

あ〜…と思いました。

そう言う事か。

おそらく
彼等は、型式的にはやるでしょうが、そこには心が伴っていないのです。
死者を弔う気持ちがない。

しかも、唯一頼れる私も参加しないとなると、上へ行けないと。

どうやら、四十九日には、心のこもった供養をしないと成仏できないと言う意味が込められているようです。

父も思えば可哀想な人です。

大事に思って、なんでも許してきた弟夫婦からは、蔑ろにされ、
今また、四十九日すら、きちんと弔って貰えないのではと、
心配しているのです。

きちんとやって貰わなければ、成仏出来ないから、深刻です。

そう言う事かと思いました。


たしかに彼等は、父が死んでから、墓参りに来た形跡がありません。
いつ行っても、私が生けた花が飾ってあるだけです。

でも、昨夜から、怒りに火がついた私には、
そんな事しったこっちゃないんです。

あと、3回くらい死んでお詫びせえ!

とも思うし、弟夫婦と一緒になって、私を傷つけた事も許せないし、
家系を壊し、嫁に乗っ取らせた罪も重いのです。

正直、父のやった事は大罪なのです。

普通だったら、恥ずかしくて、
私になぞ頼みに来れないはずです。

弟たちと一緒になって、私を虐めたのですから。


昨夜から、悔しくて、父への怒りが止まらない私ですが、
まだ、四十九日までには日があるし、

私が供養するかどうかは、ゆっくり考えようかと思います。

別に私がしなくてもいいだろうに?


ここまで傷つけられたのに、
私に頼むのは、正直言って、お門違いですよ、お父さん。

あなたの大好きなあいつらに頼むのが、筋です。




☆それでは今日も良い一日を。




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