文章、上手なんだなぁ・・・と改めて思ってしまった。
自分はこれまで、読みやすければいいんだと思ってきたけれど、
だから、文章家になるつもりはさらさらなく、
シナリオ小説といくら揶揄されようが、一向にかまわなかった。
けれど、そうもいかなくなったのは、
二作目の「家出」を書いた時だ。
何度書いても突き返される。
文章がひどいと作品を受け取ってもらえなかったのだ。
それで、試行錯誤の上、出来上がるのに、七年もかかってしまった。
その間に、出版社まで潰れてしまった・・・。
本当に痛恨の極みだ。
けれど、そのお陰で、その七年のお陰で、死ぬほど直されたお陰で・・・
私は、文章に慎重にならざるおえなかったし、
まるっきり違う書き方になってしまったのだ。
なので、今更、もとのようなシナリオ文学を書けと言われても、
もう脳がそうなっちゃっているので、無理なのだ・・・。
ということに、今日も書きながら、気がついてしまった。
正直なところ、今の書き方がベストとは思えないし、
喋るように書きたいのに、どう考えても、
書く文章になってしまっている。
(当たり前か・・・。その反対は〝読む〟文章ね。文語体と言えば分かりやすいか)
昔のように、さらさらと書きたいのだけれど、
微に入り細に入り、しつこいくらい言い回しに気をつけたり、
文章をこねくり回すので、時間がかかってしょうがない。
けれど、ここで手を抜くと、編集者に突っ返される!というのが、
身に染みているので、気をつけざるおえないのだ。
で、読んでみると、意外にこれがいいのだ。
まあ、当たり前か。
読ませるように、登場人物たちの気持ちが読む人に伝わるように、
書いているのだから、そんなのは当然なんだけれど・・・。
でも、それと面白いかということは、別なのだ、とはいつも感じている。
よいタイミングの時に、ズバッと適切な言葉を書く、それを目指しているのだが、
上手くいっているのかは分からない・・・。
精進あるのみだと感じている。
けれど、身を引き締めなければいけないのは、慢心した時だ。
そこが自分の終わりだと覚悟している。
もっと、もっとうまくなりたい。
他の人のを読むと、「ホント、上手いなぁ~、この人、力抜いてこれだけ書けるんだ!?」と
舌を巻くこともしばしばだが・・・。私は違う。
もう、洗礼を受けた身としては、このまま突き進むしかないと思っている。
本当に芸事に上限はなしと言われるが、私も死ぬまでの間に、面白いものがどんどん書けたらなぁ・・・と、今、思っている。
☆それでは今日もよい一日を。