関東へ帰る。
来年の3月に。
もうあそこでは住めないだろう。
今日、鹿児島の精神病院へ、転送して来た。
朝、バタバタと決まって、ドクターと一緒に飛行機で移動、そうして、病院へ転送してきた。
これから、息子とはスマホでの連絡は出来ない。
つまり、話をする事は出来ないのだ。
けれど、本人が退院したいと言えば、退院できるそうだ。
しかし、そうなるとまだ私の受け入れ体制が出来ていない。
私は息子の発達障害の特性を把握していないのだ。
そうして、どう対処すればいいのかも…。
それらを自分も勉強してからでないと、息子を受け入れる自信がない。
息子をこれまでずっと支えて来た。
けれど、これからは、大勢の人に助けて貰わなければならないだろう。
私自身も学ばなければ。
今日、担当医の先生によると、
大人の発達障害なんて、鹿児島にはまだ専門医がいないと言われた。
それこそ、関東ならたくさんいますよ、
東京帰ったらどうですか?
その方が、お母さんの病気の通院にも楽でしょう?と。
引っ越しをしなければならないとは、思っていたけれど、でも、お金も掛かるし、現実的ではないなぁと考え直していたところだった。
しかし、今日ドクターにもそう言われてしまって、覚悟ができた。
ちょうど3月なので、キリがいいし、それで向こうへ帰ろうと、決めたのだ。
関東での生活は、どうなるか分からない。何とか仕事をして、生活してゆかねばならないな。
息子と二人で暮らす家も借りなければならない。
問題山積みだ。
けれど、私の仕事の、締め切りが、3月なので、それが終わってから、引っ越ししようと思う。
ちょっと疲れた。
ご飯も食べずに移動、移動。
病院での説明、大量の同意書にサイン。
ドクター、看護師、経理の人との話しあい。
しかし、結局、ドクターが言うには、
本人の問題だと言われた。
プライドが高い人がそうなるんだと。
プライドを本人が捨てて、何とか世の中を生き抜いてやろうと、思わない限り、よくならないと。
そう言われた。
そして、いつまでもお母さんを頼っていちゃダメでしょと。
親はいつかは亡くなるのに、それが分からないと、と。
こういう子供は、親が亡くなると言うイメージが分からないんだと、ドクターに言われた。
そうか…と何となく、納得した。
と言うのも、私も常々、私は先に死ぬんだから、自分でやっていかなきゃ何ないんだよ、と口を酸っぱくして言っていたのに、どうも理解していないようだと思っていたからだ。
なので、今日、親が死ぬと言うことを、想像出来ないと言われて、腑に落ちたし、同時に、暗澹たる気持ちになってしまった。
こんな、基本的な事も、息子には分からなかったのかと。
これではどうやって生きていっていいのか、わからないではないか。
この子に生きる知恵や生きる手立てはあるのだろうか。今まで、こんなに深刻な事だとは思っていなかった事が、急に現実味を帯びて迫ってきた。
もう、限界かもしれない。
一生、不具の子を背負って生きていかなければならないのだろう。
私自身も、もう覚悟を決めなければならない。
うちの子は、よそのお子さんとは違うのだ。
とてもまともな生活が送れるとは思えない。
一つ一つ、これからのことを整理して、いかなければならないな。
でも、もう疲れた。
今日は早く寝て、明日また関東へ向かわなければならない。
しんどい…、しんどい…、ばかりで何も出来ない。
私の生き方のどこが、不味かったのだろう。
でも、私がすべて悪いのだろう。
ちゃんと働きもせず生きてきたから、こうなったのだろう。
人生を舐めていたから。
好きなことだけ、やりたい事だけやっていこうと思っていたから、バチが当たったのだ。
これからはちゃんと働いて、自分で稼いで生きていかなければならないな。
どうか、神様、私と息子を助けてください。
どうか、よろしくお願いします。
☆それでは今日も良い一日を。
感謝します。
すべては上手くいっている。