私のだらしな日記

「更科日記」ならぬ、私の〝だらしな〟日記。(^^;)
日々のどーでもいい事を、だらだらと綴っていきます。

虚しさについて4

2010年01月07日 | 日々つつがなし

確かに主婦業というのは、退屈な仕事です。
退屈どころか、一所懸命にやろうとすればするほど、
精神的にもまいってしまう仕事です。

それは、ひとえに、無報酬だということ。
個人の努力に支えられているということが大きいからだと思います。

永遠のサービス業だと思います。
しかも少しの手も抜くことのできない・・・。

最近見た「熱さまシート」のCMでは、
主婦のお母さんが、熱さまシートを貼りながら、
ご飯を作っていました。(しかも笑顔で)

私などは休めばいいのなあ~と思いますが・・・。
(ちょっと恐いCMです・・・)

よく、主婦業は、自分の世話の延長なんだから、
つまり、ご飯を一人分作るのも二人分作るのも同じなんだから、
どこが仕事なんだ。そんなことで不満を言うな・・・などと
いう人が居ますが、それは違います。

自分の以外の人の食事を作るとなると、それはもう世話、
つまりは仕事になってしまうのです。
だって、一人だったなら、なんだっていいんですから。
(コンビニ弁当だって、カップ麺だって・・・)

それをわざわざ作るのなら、それはもう仕事と言えるでしょう。

最初は楽しくても、モチベーションを保てないこの仕事を、
もし能力がある人が続けなければいけないとすると、
それは苦行になってしまう事でしょう。

否、別に能力がなくったって、苦行でしょう。
不毛な仕事には変わりないのですから。


けれど、だからと言って、主婦業だけが、
この主婦達の虚しさを作っているのでしょうか・・・?


そして、果たして専門職に就く事ができたら、
この虚しさから解放されるのでしょうか?


私の母なども、専門職に就いていましたが、
ついぞ母から私は、仕事の面白さなど聞いたことがありませんでした。
(ちょうどこの本の書かれた年代の職業人です)

母の口から出てくる言葉は、

あ~しんどい、
あ~めんどくさい、
あ~やめたい、
なんで私ばかりが・・・

という、愚痴愚痴大行進でした。

そのうえ、仕事に全エネルギーを吸い取られてしまうので、
家に帰ってくると、廃人同然・・・。
子どもたちにご飯を作る事さえ出来ない状態でした。

そんな母が帰って来てから逃げ込める場所は、
自分の趣味の世界くらいでした。

母はよく食事を作る事もせず、
自分の趣味に没頭していました。

私はよく、そんなに辛いのなら、いっそ仕事を辞めて、
趣味の世界で生きればいいのになあ~と思っていましたが、
そうもいかなかったのでしょう。

私は職業人である母の側で、
一番被害を受けた人間なので
(つまりは幼い兄弟たちに、食事の世話を
しなければならなかった・・・)、
専門職に就きさえすれば、
全ての虚しさから解放されるなんていう
おめでたい考え方には賛同しかねるのです。

それにもし、母が大好きだった趣味の世界を
仕事にしていたら、
それはそれでまたストレスだったことでしょう。

否、もっと酷いことになっていたかもしれません。

今度は逃げ込める場がなくなるのですから・・・。

つまりは、主婦業にしろ、専門職にしろ、
虚しいことには変わりない。

何をしていも、人間というのは、
虚しさから逃れることはできないのかもしれないなあ・・・。

そんなことを考えていました。


つづく









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虚しさについて3

2010年01月06日 | 日々つつがなし
けれど読んで見ると(今ようやく半分きました…)、虚しさの原因は、


専門職に付けなかった事、
自分を成長させるチャンス、自分を高めるチャンスを避けた事による虚しさである

と書いてありました。


たしかに、大学を卒業しても仕事に就かず、そのまま主婦になったとしたら、なんだか狭い世界で、目の前の事だけに汲々とした生活を送り、自分を高めるなんて事は出来なかったでしょう。
でも本当にそうでしょうか?

私は少し疑問に思いました。


つづく
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虚しさについて2

2010年01月06日 | 日々つつがなし
私がこの本の存在を知った時、これだと思いました。

なぜなら私は、この半年あまり、どうしようもない虚しさに襲われていたからです。

払っても払っても消えない虚しさ…。

別に虚しさ自身に襲われる事はよくある事なのですが、
こうも長引くとは、どういう事だろう…と私は答えを探している最中でした。

漠然と今のこの生き方に問題があるのではないか?

何か上手くいかない要素があるのではないか?

とは思っていました。

思い付かない訳ではないけれど、それをほじくりかえして見つめるのが嫌でした。
もしよしんばそんな事をして、酷い目にあったりするのも嫌でした。

大体、そんな事する気力もありませんでした。

そんな気持ちでいたので、この本の存在を知った時、ここに何かヒントがあるような気がして、読んでみようと思ったのです。



つづく
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虚しさについて

2010年01月05日 | 日々つつがなし
今、ベティ・フリーダンの「新しい女性の創造」という本を読んでいます。

この本自体が1960年代に書かれたものなので、そんなに新しいものではないのだけれど、
なにか現在の日本の女性にも通ずる気がしています。

1960年代のアメリカの中産階級の女性達を襲った、得体の知れない虚しさ…。
生活にも困らない、やさしい夫やかわいい子どもが居るというのに、
彼女たちは、ベッドに寝るときにこうおもうのです。


これだけ…?
私の人生、これだけなの?と。

一見満ち足りた生活をしているようにみえる彼女たちを襲ったこの虚しさの正体とは…?と著者が探していくというものですが…


つづく
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私は

2010年01月03日 | 日々つつがなし
日々圧倒的な虚しさを抱えながら

生きている


けれど、そんな中でも、
時々は一瞬の幸福も訪れる。


私は日々、虚しさに囲まれながら、一瞬のささやかな幸福に癒されている。


これが案外、生きるという事なのかもしれない。






☆あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
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