高天原(たかあまのはら)に神留坐(かむづまりま)す神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)の命以(みことも)ちて皇御祖神伊邪諾(すめみおやかむいざなぎ)の尊(みこと)筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちはな)の 小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に禊祓(みそぎはら)ひ給(たも)ふ時(とき)に生(な)りませる祓戸(はらいど)の大神等(おほかみたち)諸々枉事罪穢(もろもろまがことつみけがれ)を祓(はら)ひ給(たま)へ清(きよ)め賜(たま)へと申(まお)す事(こと)の由(よし)を天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)八百萬(やおよろず)の神等共(かみたちとも)に天(あめ)の 斑駒(ふちこま)の耳振立(みみふりたて)て聞(き)こし食(め)せと恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まお)す
「秋祭り」雑感 石川光男(武町/寄居)
秋祭りと言えば山車(だし)です。山車についての歴史をたどってみます。
山車の原型は山鉾で、嘉吉元年(1441年)疫病が蔓延していた京都で、疾病邪悪を払う長刀(なぎなた)を乗せた鉾が造られた事を始まりとしています。秩父夜祭りの山車は今から300年ほど前に造られたとされ、川越の山車は文化文政時代(1803~1830年)の初期に造られたとされています。寄居町の山車はいつ頃登場したか明記されたものは有りませんが、文政時代(1818~1830年)の初期に登場したと推定されます。ここで、寄居秋祭りの起源について見てみます。現在の秋祭りは宗像神社の祭礼とされていますが、元は聖天宮の祭礼でした。
宗像神社は、大宝元年(701年)に宗像大社(福岡県)より、荒川の氾濫を鎮めるために宗像大社の分霊を祀ったと伝えられております。一方の聖天宮は弘仁10年(819年)当地を訪れた弘法大師が象ヶ鼻に至り、この地を霊地として聖天像を彫り祀った事に由来すると伝えられています。この象ヶ鼻の聖天宮の祠堂(しどう)を上宮と呼び、宗像神社を下宮を呼び神仏混淆の下で栄えて参りました。
江戸期の寄居の最大のお祭りは鎮守聖天宮の秋祭りで、聖天宮は藤田一円12ヶ村の総鎮守と言われ賑わいをきわめていたと伝えられています。文政3年(1820年)の記録には秋大祭の最中11月16日(旧暦)に山車の通行の邪魔で有るとして、寄居村の者が末野村の畑べりに植えてある桑の木128本を不法に切り倒し農作物を踏み荒らしたとして、評定所に訴えられた事件が記録されています。また、文久元年(1861年)には皇女和宮下向のため中仙道近在の農民は「助郷の制」で夫役が課せられ動員され、財政が疲弊したため秋祭りを取り止めたとの記録が残っております。
明治維新を迎え、祭政一致をスローガンに廃仏毀釈運動が起こり、神仏分離政策が行われ、宗像神社と聖天宮は分離し、聖天宮は象ケ鼻の地から宗像神社の別当寺あった極楽寺境内に移され聖天堂として祀られ現在に至りました。
当時の秋祭りは、12月13日~16日の4日間行われておりましたが、昭和53年に日程が11月2~4日に変更され、平成になり11月2~3日に変更され、さらに平成18年から11月第一日曜日とその前日の土曜日に行われるようになりました。
山車に話しを戻します。武町の山車は大変古く、山車の初期の原型を残しています。江戸中期の山車は、中央に柱を立てた一本柱構造で、その先端部は羽子板形でその上に露盤を乗せています。本町・中町の山車は時代が下り中央に柱が無く、周囲を6本の柱で支えられた構造となっております。また、山車の露盤の下の六方幕には聖天様のシンボルである二股大根が描かれている武町の山車は特に有名です。当初の山車は現在と異なり、前輪が無く二輪で、山車の前後に梶棒がつき、それぞれの梶棒に人が取りつき、山車の前後の安定を尽力していましたが、大正末期には山車の前方に車輪をつけ、三輪で走行するようになりました。また、宮本・常木の笠鉾以外には、山車の上部に山車人形を乗せていましたが、大正時代に入り山車人形は電線の普及により掲載不能となり御蔵入になったと言われています。これが平成16年頃から各町で山車人形が復活させる機運が起こり、山車人形の復活を見た訳です。因みに武町の山車人形は山王様のお使いの野猿です。まだまだ秋祭りについて色々とありますが、この辺で筆を置きます。
雪洞に 揺れる提灯 御明かりに
鉦笛太鼓 心浮き立つ
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【氏神】戸谷 学君によれば、氏神には以下の類型がある。1.地域社会の氏神 2.一家の氏神 3.屋敷の氏神
【地域社会の氏神】━ 氏子区域内のすべての住民が「氏子」として祭礼に奉仕・参加するもので、地縁氏神という。氏子の代表者は氏子総代と称し、神社の祭礼などにおいては中心となります。(とや まなぶ)
【産土(うぶすな)神・鎮守神】も、現在では氏神とほぼ同じ意味で使われている。(とや まなぶ)
【産土神】生まれた土地の神のこと。その人の一生を守護する神とされます。産土と表記するように「生まれた土地」に由来する神です・・・他の地域に転居すると、転居先の神様の氏子となりますが、産土神は転居と無関係で、生涯変わることはありません。(とや まなぶ・寄居生まれ)
【産土の神様】わが国は都会はもとよりいかなる山間僻地といえども、必ず鎮守様すなわち、産土(うぶすな)の神が鎮まりいます産土神社または氏神様がある。これはちょうど現界における区役所のようなもので、人間社会における冠婚葬祭はもとより、出産等に至るまで産土の神様が担当されている。
【産土の神様】昔から子が生まれるや、必ずお宮詣りにいく習慣があるが、これはこどもを授けてくださった神様にお礼詣りをするのである。夫婦も同じに神様の思し召しによって結ばれた妻であり、夫であるのを、人間が勝手にどうこういうことは神様に対してはなはだ無礼となるのではないか。