秩父郡小鹿野町の小鹿野路地STが今度の日曜日*6/6に開催されます。
【ろじスタSTは、路地をテーマにしたワークショップ事業。】
昨日の路地の多い町 ─ 寄居 ─ 江戸時代の人の「落し物」は、たくさんの方にご購読いただいたようでうれしく思います。ありがとうございました。
落し物の「寛永通宝」はまだいいのです。アチコチ掘ると(ここ掘れワンワンじゃなくて)コークスの屑がやたらと出てくるものですから、昔この地で商いをしていた方は「鍛冶屋」さんじゃないのかなぁなんて想像してしまうのです。江戸時代の商都「寄居」・・・ふくらむなあ。
話しはちょっと下って、初代のおじいさんが「武蔵屋」という荒物店からのれん割けしていただいて、大正十四年(1925年)初めて店を持ったのが寄居町寄居974番地、角屋という元うどん屋さんの前。戦後の昭和二十二年に、現在地にあった大正時代の土地・建物を買い受けて「大谷荒物店」が今に続いている。
勝手に想像しています。
すでに20年ほど前の話ですが、男衾のある土建屋さんに配達に行った時のことです。その家のおじいちゃんが「オレも若い頃はなぁ、寄居の町で馬車を牽いていたよ。大谷さんちにも荷物をずいぶん運んだなあ。」・・・と。土間を見渡せばカマドがありました。「まだカマドなんだ」と思わず言葉を飲み込みましたが、この家は、煮炊きはこのかまどでやっていたようです(20年ほど前の話しです・・・念のため)。
馬といえば、【蹄鉄】にその他の馬具も必要でした。蹄鉄付は鍛冶屋さんの仕事。寄居町には何軒もの鍛冶屋さんがあったようです。今でも茅町の杉本鉄工さんにはコークス(?)にフイゴの付いた「床」と呼ばれる鍛冶道具が残っています。いや、たまには火が入って使っているかもしれません。
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