☆shining DAYS☆

どんだけ痛いタイトルであろうと、
それはもう呪うしかない、当時の私を

マラソンとコスプレ、変わったなぁ、私

"ぼく"と華岡青洲

2015年10月12日 20時02分18秒 | 日記
こんばんは、来月のハーフマラソンに向けて15㎞走破しました。

トイレで踊る人です。


【不惜身命をもって完成された麻酔薬】

明日、10月13日は麻酔の日です。

これは、江戸時代の文化元年、旧暦10月13日(今の暦では11月14日)に、

華岡青洲(江戸時代の外科医)が世界で初めて全身麻酔手術を成功させたことが由来です。

華岡青洲をご存知の方は、そう多くはないのでしょうか。


華岡青洲は紀伊国(現在の和歌山県)で、医者の息子として生まれました。

22歳の時に京都へ出向き、医学を学び、25歳の時に帰郷しました。

その頃の青洲は「患者の手術の痛みを和らげることはできないか」と、麻酔薬の開発に励みます。

そして、6種類の薬草を調合した麻酔薬を開発し、動物実験までこぎつけます。

しかし、人体実験の段階で行き詰ります。開発できたとはいえ、人命に関わるため、おいそれと試すわけにはいきません。

その時、母:於継と妻:加恵が「実験台になります」という申し出を青洲にします。

青洲は断るものの、二人の熱意に動かされ、二人に麻酔薬を投与します。

その甲斐あってか、全身麻酔薬「通仙散」が完成します。

しかし、麻酔薬の実験のために、母:於継は他界し、妻:加恵の両目は失明してしまったのでした。

そして、青洲44歳の時、藍屋 勘(あいや かん)という60歳の老女に対して、

全身麻酔薬「通仙散」を用いて、乳がん摘出手術を成功させます。

その後、青洲は門下生育成のために「春林軒」を建て、優秀な医者の育成に尽力しました。

1835年、青洲は76歳でこの世を去ります。


「患者の手術の痛みを和らげることはできないか」という、医者としての使命と思いを懸けて開発した麻酔薬。

その代償は、母の死と妻の失明という大きいものでした。

しかし、青洲とともに「病に苦しむ人々を救いたい」という熱意を持っていたからこそ、

二人は麻酔薬の実験台を願い出たのでしょう。

青洲、於継、加恵の不惜身命の決意が、世界で初めての麻酔手術を成功させたのだ、と“ぼく”は思っています。



発展の始まりはいつも、並々ならぬ人々の思いなのでしょう。


それでは、本日はこの辺で。

っしまい。

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