☆shining DAYS☆

どんだけ痛いタイトルであろうと、
それはもう呪うしかない、当時の私を

マラソンとコスプレ、変わったなぁ、私

“ぼく”と生きる上でのモットー

2015年11月22日 21時50分28秒 | 日記
【笑われてもいい。でも、笑わせられたらいいよね】

こんばんは、トイレで踊る人です。

突然ですが、“ぼく”は

「“ぼく”がした事や言った事で、誰かが笑ってくれるなら、

 それだけで“ぼく”は生きている価値がある、と感じられる」


を、生きる上でのモットーとしています。

誰だって「自分が必要とされたい」と願うものである、という仮説に基づくなら、

自分の存在価値を確認できなければ、とても不安になることでしょう。

友達から?親から?恋人から?それとも、それ以外の誰かから?

自分自身でも「自分が必要とされ」ていることを信じることはできるでしょう。

でも、よほどの強靭な心がなければ、折れてしまうでしょう。

だって、誰かから「必要とされ」ていたって、疑心暗鬼に陥れば、

脆くも崩れ去ってしまうんですから。

とにかく、自分以外の誰かから「必要とされ」る必要があります。

多くの人がそうであったように、“ぼく”も物心ついた時から、

その難題をこなそうと、今まで約30年ほど闘ってきました。

そんな中で見つけたのが、冒頭のモットーです。

誰かが“ぼく”の事で笑ったり、話のタネにしてくれるならば、

それは、“ぼく”の存在価値と、“ぼく”は見なしています。

それがあるから、「“ぼく”は生きていていいんだなぁ」とも思います。

すごくネガティブに聞こえるかもしれません。

でも、その存在価値を得るために、“ぼく”はこれからも生きるんです。

誰かに笑ってほしいから、コスプレしたり、走ったり、絵を描くのでしょう。

きっと、きっと今はその存在価値という蝋燭の火が弱くなっているのでしょう。

だから、“ぼく”はその火を元に戻すために、これを再確認するし、

お気に入りのブルーハーツの曲を聞くんでしょう。

本当に歌詞の通りですね。


「ここは天国じゃないんだ

 かといって地獄でもない」


生き地獄とは思えないけど、泣きたくなるほどつらいこともある。

だけど、誰かに笑って欲しいから、“ぼく”は走ります。

走ります、メイド服で。

描きます、絵を。

つぶやきます、おもしろいことを。


できるだけ。

シャカリキになれば、きっとあなたは笑ってくれるかな。

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