チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ナスが来れば思い(っきり)出す」

2005年06月30日 16時17分10秒 | 倒錯の世界(嗜好の微調節と微ヒョウセツ
この記事は「倒錯の世界」のお話である。そのシュミのないかたには
まったく不向きである。読むかたはそれを充分にご承知のうえでどうぞ。


このツユが終わればいよいよ夏本番である。ところで、
昨今のAVには「中出し」という「ジャンル」があるらしい。
洋ピンと違って和物ではホンバンは「ラテックス附き」というのが普通だった、
そうである。そして、フィニッシュのときには女体から抜いてゴムをはずし、
顔や口内、腹などにブッカケてたのが常だったそうである。
いずれにしても「外出し」である。ところが、いまでは、
コンドームなしのナマホンバン・ナマ出汁、をウリにしたものが増えてきて、
「中出し」というジャンルまで形成したのだそうである。
小程度の換字検定が行われてる2ちゃんでは、「中田氏」と表記されてるらしい。
ともあれ、そのうちに、鼻孔に入れられたものを目から涙のように出す、
という珍芸をやってのけて白いギターを持ち帰るAV嬢も現れるにちがいない。
私の知人でSな性癖を持つ男が奴隷にしてる女性のひとりは、
ドMの人妻だということである。「中田氏」という言葉を囁かれ、
言わされ、書かされ、見せられただけで、感じてしまうそうである。しかも、
夏が来るとマゾの血が最高潮に達するというタイプらしい。が、
sommer(ゾマー)というよりはマゾである。それはともかく、
アナルファックで腸内に中田氏されるのが、もっとも昇りつめれることらしい。
「ご主人様のお茄子を、私めのお尻につらぬいて下さいませ」
「奥まで、できるだけ奥のほうまで、ご主人様っ!」
「お尻の締まりが悪い私めが万が一にでも途中で粗相してしまわないように、
どうぞ、横行結腸まで放ってくださいませっ!」
というような恥ずかしい言葉を次々と口から出すのだそうである。そして、
排出せず腸内に溜めたまま帰宅し、娘や夫の夕食の支度をするのだとか。いっぽう、
その男性にはコマしてる女性が何人もいるそうで、「位」をそれぞれに「与えてる」
という。プレイ道具としての序列ということである。プレイ内容を私に
ことこまかに自慢げに話すのであるが、この人妻がその序列の何番
めだか、はけっして教えてくれない。SM愛好者とはまことに不思議なものである。
私など、そんなふたりのお遊戯をそぉ~っと覗いてみることさえごめんである。

・「めだかの学校」(昭和20年)
♪ドー<レー・<ミーーミ|>レーレ>ド・レー○○
(|<ミー<ソー・<ラーーラ|>麺ーーー・ーーーー)♪
←屋台ラーメンのチャルメラ(関東大震災1923年頃から)
♪ド<レ|<ミ~~>レ>ド、ド<レ|<ミ>レ~>ド<レ~~~|~~♪

・「夏の思い出」(昭和24年)
♪○ミミ<ファ・<ソー>ファ>ミ|>レレレ<ミ・<ファーーー♪
←モーツァルト「(いわゆる)pfソナタ(k.331)」第1楽章主題、
変奏されたもののいくつかの丸写し。
・「同曲」
♪ミミミ<ソ・<シ>ラーー♪
←ラフマニノフ「12曲のロマンス(op.21)」第7曲
「ジヂェーシ・ハラショー(ここって、えぇとこやん)」冒頭、
♪○ジヂェーシ(ミ)<ハ(ソ)<ラ(シ)|<ショ(ラ)ーー♪
(この歌の歌詞:拙大意)
ここって、なんてステキなのかしら! ほら、あそこ!
小川が炎のように輝いて、湿原一面は水芭蕉の白い絨毯でおおわれてる。
遠い吾郎ちゃんのお空の雲まで白く染めてるわ。
ここには無粋な遊歩者なんて、おオゼいどころか一人もいないわ。
ただ、静寂がここを支配してるの。ここには、神様と私だけしかいない!
水芭蕉を浜の松の枝の代わりに引き結んでおくわ。もし、
運よく生きてれたら、また、ここに戻ってきて見つけるわ。必ず。

・「かわいいかくれんぼ」(昭和26年)
♪ソン<ドドンド|<レ○○○|<ミンミミンミ|<ソンソ>ミンミ|
>レンレレン>ド|<レ○○○♪
←「茶摘み」(明治45年尋常小学校唱歌)
律動・アーティキュレイションを変えてはあるが旋律線は丸写し。
♪○ソ<ド<レ|<ミンミミミ|<ソンソソ>ミ|
>レ>ド<レ○♪

・「雪の降る町を」(昭和28年)
♪ミーミンミ・<ファン>ミ<ラン<ド|>シーーー・ーーーー♪
←ショパン「幻想曲」冒頭3乃至4小節丸写し

・「小さい秋見つけた」(昭和30年)
♪ミーミ>レ>ドー<レー・<ミーミ>レ>ドー<レー|
<ミーミ>レ>ドー<レー・ミーミミミーーー♪
←「ベト5」主章主主題、vnプリーモと(同セコンド)のかけあい
♪○ミミ>レ|>ド(>ドド<レ|<ミ)<ミミ>レ|>ド(>ドド<レ|<ミ)♪

「心の窓に灯火を」(昭和34年)
♪ミー<ラー<シー|<ドド>シー>ラー|<ドド>シー>ラー|
>ファーーーー♪
←フォーレ「夢のあとに」
♪ミーー<ラーー<シーー|ドーー・ー>シ>ラ・<ド>シ>ラ|
ラーー・ーーー>ソーー♪

ヒトは悲しい、哀しいものですね。それでもカッコウたちは、
やらしく松が枝に憩う。人生ってふしぎなものですね、である。
(註)カッコウという鳥は他の鳥の巣に産卵し、自分では雛を育てないそうである。
チャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番は、
「松林で鳴いているのはカッコウではない」というタイトルではない。
いわんや椋鳥でもない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「イョラーンタ(序奏)」 | トップ | 「E線上の振動はアーリアな... »

コメントを投稿

倒錯の世界(嗜好の微調節と微ヒョウセツ」カテゴリの最新記事