この投稿記事には大人のお話が含まれてますので、
その手のものを嫌悪なさるかたはお読みにならないでください。
某TV局の知り合いに、奥さんを他の男と肉体関係させて
その晩にその妻と燃え上がるセックスをする、という趣味の男性がいる。
他の男に寝取られた女房に萌エるのだそうである。その奥方は
一般的にいって魅力ある女性(歳は30台初頭)である。
彼女が喫煙者でさえなければ私もその相手になりたいくらいの美形である。ただし、
これがまたリストの娘コーズィマだったら、私はまっぴら御免である。一般には
ハンサムと言われてたその父親の顔からして私にはキモくてたまらない。ところが、
そのコーズィマはハンス・フォン・ビューローの夫人だったが
ヴァーグナーと不倫してその子を産む、というモテモテぶりだったようである。
いずれにせよ、ビューローは妻の不倫を是認してた、のだという。
寝取られることに快感を見出すのは屈折したサディズムである。だから、
「オヤジギャグ責め」で相手を瞬間冷凍し黙らせてしまう、
ボールギャグ要らずなプレイを得意技としてる変態オヤジとしては
理解できないことでもないが、私はハクチョウ同様に
決まった相手とだけ変態プレイ研鑽に勤しむタイプである。ともあれ、
くら音界でもうひとつ「寝取られ」といえば、
ローベルト・シューマンである。クラーラとブラームスには
肉体関係はなかった、また、クラーラにその気はなかった、ともされてるが、
晩年のシューマンはイトアハレである。ちなみに、
ビューローのpfの先生のひとりはクラーラの父である。いっぽう、
我らがベートホーフェンは「人妻」のアントーニア・ブレンターノと
「永遠の恋人」関係を持った。さて、
ベートーヴェンが「永遠の『アントーニア』」と現チェコの保養地で
会ってた頃に作曲してたのが「7番交響曲」である。
主章序部冒頭:
*♪【ドー・ーー・・>ソー・ーー│
>ミー・ーー・・<ラー・ーー│
>ソー・ーー】*♪
この作品は「イ長の交響曲」であるが、けっしてvn群のE線が
共振して、ブルブル・ザワザワという音を発することはない。そんな
狂信的な無根拠・無例な説を音楽の専門家がまことしやかに主張するのは
大罪である。それはともかく、
シューマンはこの作品に「ベートーヴェンの不倫愛」を感じ取ったのか、
その「3番交響曲(ライン)」を「イ長」の「対極調」である
「変ホ長」で書いた。この最初の6小節がヘミオラである主章を
聴いたり思い浮かべたりすると、じわじわと悲しい感情が
わきあがってせつなくいたたまれない気持ちになるものである。
主章冒頭:
*♪【ドーーー・>ソー│ーー・ソーー<ミ│
ミーーー・<ラー│ーー・>ソーー】>♯ファ│
>ソーーー・>レー│ーー・レーー<ミ│
<ファーーー・>ドー│>シーーー・<ファー│
>ミーーー・シー*♪
「ベト7」の♪【ド>ソ>ミ<ラ>ソ】♪を
♪【ド>ソ<ミ<ラ>ソ】♪にしただけである。MacのOS9ふうにいえば、
「ベートーヴェンの7.1番」である。ときに、これを
♪【ド>ソ>ミ<ファ<ソ】♪にしてしまったら、それは
♪【ハィー>サィ>おー<じ<さん】♪となり、
♪【ヘンー>な>おー<じ<さん】♪であり、
「ベト7東村山版」である。さて、
ブラームスの「1番交響曲」は、寝取られ男の
ハンス・フォン・ビューローによって「ベートーベンの10番」
と「敬意」を込めて呼ばれた、という。すでにこのブログでも扱ったとおり、
「ブラ1」は「先人」の「傑作」によるパッチワークである。
主章序部の冒頭のティンパニ使いは、横恋慕した
クラーラ・ヴィーク=シューマンの未完のpf協奏曲冒頭を模したものである。
主部対主題の♪ソ<ド<レ<ソ♪は、同じく「ハ短」の「ベト5」の
主章対主題の♪ソ<ド(>シ<ド)<レ(>ラ・ラ>)ソ♪である。
そのあとに出てくる副次主題♪『ド>シ>ラ・<ミーー』♪は
「ベト9」主章主部主主題群の
**♪ラーーー・ー<『ド>シ>ラ│<ミッ』>レッ・シッ<ミッ**♪
(つまりは「パガニーニの主題」ひいては「ヴィヴァルディの春の主題」)
である。
緩徐章主主題は「ベト6」主章主主題(つまりは「モツ41」)で、
終章主主題は「ベト9」の「歓喜の歌」である。いっぽう、
第3楽章は「変イ長」でクラリネットが、
**♪ソーーー・>ファー>ミー│<ファー>ミー・>レー<ミー│
<ファー>ミー・>レー<ミー│>レー>ドー・<レーーー│
ーーーー・ーーーー**♪
と始めるが、
**♪<ミーーー・<♯ファー<ソー│
>♯ファー<ソー・<ラー>ソー│>♯ファー<ソー・<ラー>ソー│
<ラー<シー・>ラーーー│ーーーー・ーーーー**♪
と、実質「変ホ長」に単純転調する。すなわち、
**♪<ラーーー・<シー<ドー│
>シー<ドー・<レー>ドー│>シー<ドー・<レー>ドー│
<レー<ミー・>レーーー│ーーーー・ーーーー**♪
である。そして、オーボエ以外の木管群に
【ベト7冒頭】を【シュマ3冒頭】の「変ホ長」で吹かせるのである。
**♪<ミーー>レ・>ドーー>シ│>ラーー>ソ・>ファーー>ミ│
<レーー>ド・>シーー>ラ│>ソーー>ファ・>ミーー>レ│
<【ドーー>ソ・>ミーー<ラ│>ソーーー・ーーーー】<ラ│
>ソーーー・ーーーー<ラ│>ソーー>ミ・>ドーーー**♪
MacのOS9ふうにいえば、「ベートーヴェンの7.2番」である。
(偉業という意味での)「ベートーヴェンの10番」などではけっしてない。
合板にジョットやレオナルド・ダ・ヴィンチやラッファエッロなどの
名作の断片のいいとこどりが盛り込まれて描かれてたら、
そりゃ人気が出るというものである。ブラームスがそれを認めてたら、
あるいは、オマージュとしてつぎはいだと言明してたなら、
少しは違ったかもしれない。が、彼は「ベト6」「ベト9」に似てる、
と指摘されたとき皮肉まじりに毒づいたという。
ブラームスの「音楽」とはこの程度のものである。が、むしろ、
「悲しい歌(シャンソン・トリスト)」といえるかもしれない。
変ホ長のシャンソン……
♪*ソー>レ・レーー・・ーー、レ・<ミー<ファ│
<ソーー・ーーー・・ーー●*♪
ちなみに、この歌とチャイコフスキーの「弦四」終章が頭に残ってて、
それがごちゃまぜになって「自分の頭の中で作られた」
と錯覚してしまったのが「愛燦々」である。
*♪ド>ソ・●●・・ソ<ド・<レ<ミ│<ソー・ーー・・ーー・ーー*♪
意図を込めた音列の巧「イ置換」でも「一勧」でもない。ときに、
与謝野馨と安部譲二の声を聞き分けれない愚脳な私には、
神田紘爾という名の下のほうが「こうじ」とは読めても、
「神田」が「カンダ」なのか「コウダ」なのかはまったく判別できない。
その手のものを嫌悪なさるかたはお読みにならないでください。
某TV局の知り合いに、奥さんを他の男と肉体関係させて
その晩にその妻と燃え上がるセックスをする、という趣味の男性がいる。
他の男に寝取られた女房に萌エるのだそうである。その奥方は
一般的にいって魅力ある女性(歳は30台初頭)である。
彼女が喫煙者でさえなければ私もその相手になりたいくらいの美形である。ただし、
これがまたリストの娘コーズィマだったら、私はまっぴら御免である。一般には
ハンサムと言われてたその父親の顔からして私にはキモくてたまらない。ところが、
そのコーズィマはハンス・フォン・ビューローの夫人だったが
ヴァーグナーと不倫してその子を産む、というモテモテぶりだったようである。
いずれにせよ、ビューローは妻の不倫を是認してた、のだという。
寝取られることに快感を見出すのは屈折したサディズムである。だから、
「オヤジギャグ責め」で相手を瞬間冷凍し黙らせてしまう、
ボールギャグ要らずなプレイを得意技としてる変態オヤジとしては
理解できないことでもないが、私はハクチョウ同様に
決まった相手とだけ変態プレイ研鑽に勤しむタイプである。ともあれ、
くら音界でもうひとつ「寝取られ」といえば、
ローベルト・シューマンである。クラーラとブラームスには
肉体関係はなかった、また、クラーラにその気はなかった、ともされてるが、
晩年のシューマンはイトアハレである。ちなみに、
ビューローのpfの先生のひとりはクラーラの父である。いっぽう、
我らがベートホーフェンは「人妻」のアントーニア・ブレンターノと
「永遠の恋人」関係を持った。さて、
ベートーヴェンが「永遠の『アントーニア』」と現チェコの保養地で
会ってた頃に作曲してたのが「7番交響曲」である。
主章序部冒頭:
*♪【ドー・ーー・・>ソー・ーー│
>ミー・ーー・・<ラー・ーー│
>ソー・ーー】*♪
この作品は「イ長の交響曲」であるが、けっしてvn群のE線が
共振して、ブルブル・ザワザワという音を発することはない。そんな
狂信的な無根拠・無例な説を音楽の専門家がまことしやかに主張するのは
大罪である。それはともかく、
シューマンはこの作品に「ベートーヴェンの不倫愛」を感じ取ったのか、
その「3番交響曲(ライン)」を「イ長」の「対極調」である
「変ホ長」で書いた。この最初の6小節がヘミオラである主章を
聴いたり思い浮かべたりすると、じわじわと悲しい感情が
わきあがってせつなくいたたまれない気持ちになるものである。
主章冒頭:
*♪【ドーーー・>ソー│ーー・ソーー<ミ│
ミーーー・<ラー│ーー・>ソーー】>♯ファ│
>ソーーー・>レー│ーー・レーー<ミ│
<ファーーー・>ドー│>シーーー・<ファー│
>ミーーー・シー*♪
「ベト7」の♪【ド>ソ>ミ<ラ>ソ】♪を
♪【ド>ソ<ミ<ラ>ソ】♪にしただけである。MacのOS9ふうにいえば、
「ベートーヴェンの7.1番」である。ときに、これを
♪【ド>ソ>ミ<ファ<ソ】♪にしてしまったら、それは
♪【ハィー>サィ>おー<じ<さん】♪となり、
♪【ヘンー>な>おー<じ<さん】♪であり、
「ベト7東村山版」である。さて、
ブラームスの「1番交響曲」は、寝取られ男の
ハンス・フォン・ビューローによって「ベートーベンの10番」
と「敬意」を込めて呼ばれた、という。すでにこのブログでも扱ったとおり、
「ブラ1」は「先人」の「傑作」によるパッチワークである。
主章序部の冒頭のティンパニ使いは、横恋慕した
クラーラ・ヴィーク=シューマンの未完のpf協奏曲冒頭を模したものである。
主部対主題の♪ソ<ド<レ<ソ♪は、同じく「ハ短」の「ベト5」の
主章対主題の♪ソ<ド(>シ<ド)<レ(>ラ・ラ>)ソ♪である。
そのあとに出てくる副次主題♪『ド>シ>ラ・<ミーー』♪は
「ベト9」主章主部主主題群の
**♪ラーーー・ー<『ド>シ>ラ│<ミッ』>レッ・シッ<ミッ**♪
(つまりは「パガニーニの主題」ひいては「ヴィヴァルディの春の主題」)
である。
緩徐章主主題は「ベト6」主章主主題(つまりは「モツ41」)で、
終章主主題は「ベト9」の「歓喜の歌」である。いっぽう、
第3楽章は「変イ長」でクラリネットが、
**♪ソーーー・>ファー>ミー│<ファー>ミー・>レー<ミー│
<ファー>ミー・>レー<ミー│>レー>ドー・<レーーー│
ーーーー・ーーーー**♪
と始めるが、
**♪<ミーーー・<♯ファー<ソー│
>♯ファー<ソー・<ラー>ソー│>♯ファー<ソー・<ラー>ソー│
<ラー<シー・>ラーーー│ーーーー・ーーーー**♪
と、実質「変ホ長」に単純転調する。すなわち、
**♪<ラーーー・<シー<ドー│
>シー<ドー・<レー>ドー│>シー<ドー・<レー>ドー│
<レー<ミー・>レーーー│ーーーー・ーーーー**♪
である。そして、オーボエ以外の木管群に
【ベト7冒頭】を【シュマ3冒頭】の「変ホ長」で吹かせるのである。
**♪<ミーー>レ・>ドーー>シ│>ラーー>ソ・>ファーー>ミ│
<レーー>ド・>シーー>ラ│>ソーー>ファ・>ミーー>レ│
<【ドーー>ソ・>ミーー<ラ│>ソーーー・ーーーー】<ラ│
>ソーーー・ーーーー<ラ│>ソーー>ミ・>ドーーー**♪
MacのOS9ふうにいえば、「ベートーヴェンの7.2番」である。
(偉業という意味での)「ベートーヴェンの10番」などではけっしてない。
合板にジョットやレオナルド・ダ・ヴィンチやラッファエッロなどの
名作の断片のいいとこどりが盛り込まれて描かれてたら、
そりゃ人気が出るというものである。ブラームスがそれを認めてたら、
あるいは、オマージュとしてつぎはいだと言明してたなら、
少しは違ったかもしれない。が、彼は「ベト6」「ベト9」に似てる、
と指摘されたとき皮肉まじりに毒づいたという。
ブラームスの「音楽」とはこの程度のものである。が、むしろ、
「悲しい歌(シャンソン・トリスト)」といえるかもしれない。
変ホ長のシャンソン……
♪*ソー>レ・レーー・・ーー、レ・<ミー<ファ│
<ソーー・ーーー・・ーー●*♪
ちなみに、この歌とチャイコフスキーの「弦四」終章が頭に残ってて、
それがごちゃまぜになって「自分の頭の中で作られた」
と錯覚してしまったのが「愛燦々」である。
*♪ド>ソ・●●・・ソ<ド・<レ<ミ│<ソー・ーー・・ーー・ーー*♪
意図を込めた音列の巧「イ置換」でも「一勧」でもない。ときに、
与謝野馨と安部譲二の声を聞き分けれない愚脳な私には、
神田紘爾という名の下のほうが「こうじ」とは読めても、
「神田」が「カンダ」なのか「コウダ」なのかはまったく判別できない。
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