→[リステッソ・テンポ(アッレーグロ・ヴィーヴォと同速で)
(附点4分音符=4分音符)、C、(無調号)]
「白鳥の歌」の断片が再現されるのであるが、#18のときと異なるのは、
ヘ短だったのがハ短に替わってる点と、
「白鳥の歌」断片に合いの手を入れる形で金管群の
*♪●ミ<♯ファ<♯ソ・・<ラ>Nソ>Nファ>ミ*♪
が吹かれたのに対して、#24では
金管群の音階上昇&下降が先行してそれに導かれる形で、
「白鳥の歌」の断片が高中木管群によって吹かれる点、そして、
「白鳥の歌」の断片の終いが『ラ』という8分音符から
『ラー』という4分音符に替わってる点、である。
*♪ミーーー・・>ラ<シ<ド<レ|<ミーー>ド・・<ミーー>ド|
<ミーー>ラ・・<ド>ラ>ファ>ド|>『ラー』*♪(fff)
これが反復されると、
*♪ファーーー・・>ラ<シ<ド<ミ│
<ファーー>ド・・<ファーー>ド│
<ファーーー・・>ファ<ソ<♯ソ<シ│
<ファーー>シ・・<ファーー>シ│
<ファーーー・・>ファ<ソ<♭ラ<シ│
<ファーーー・・>ファ<ソ<♭ラ<ド│<ファ*♪
として、「d」音をバスにして、
*♪as<h<f・・<as、>h<f<as│<h、
>h<f<as・・<f、>as・<h<f│<asー、
>cー・・<dー<eー│<fー<gー・・<asー<bー│
<cー●●(>cー)・・cー●●(>cー)│
cー(>cー)・・cー(>cー)*♪
と進め、ヘ短の属和音から、
*♪ラーーー・・ーーーー│>ソーーー・・ーーーー│
>ファーーー・・>レーーー│>シーーー・・<ミーーー*♪
という「悲嘆のファンファーレ」が、
コルネット2管+トランペット2管の完全ユニゾン、次いで、
3管のトロボーンの完全ユニゾン、によって、
それぞれ反復して吹かれるのである。この、
トロボーンによる吹奏の間、4本のラッパに、
*♪●●・ラララ・・ラー・ラー│ラー・ーー・・●●・●●│
●●・<シシシ・・シー・シー│シー・ーー・・●●・●●*♪
(後半、トランペットは「シ」ではなく「ラ」のまま)
という「運命律動」をチャイコフスキーはかぶせるのである。これは、
*♪ソーソーソー・・ソーーー│>ミーー>レ・・>ドーーー*♪
という2幕の「フクロウの動機」のときにも
「運命律動」がトリ入れられてたことを思い出させるものである。さらに、
ピッコロ+オクターヴ下のvnプリーモに、
*♪ラー、ラー<シー・・<♯ドー<レー<♯レー│<ミー*♪
というヘ短を同主調のヘ長に置き換えて、
*♪ドー、ドー<レー・・<ミー<ファー<♯ファー│<ソー、
>ドー<レー・・<ミー<ファー<ソー│<♭ラー、
>レー<ミー・・<ファー<ソー<ラー│<シー、
>ソー<ラー・・<シー<レー>ソー*♪
という、じつにパッションあふれる3連を吹き弾かせ、
ズィークフリートの脳内の状態をよく表す
「長短調混沌の世界」を形成させてるのである。また、前後するが、
*♪ラーーー・・ーーーー│>ソーーー・・ーーーー│
>ファーーー・・【>レーーー】│>シーーー・・<ミーーー*♪
の箇所の和声は、
「f(<)a(<)c」→「f(<)a(<)c(<)es」
→「f(<)g(<)des」→【f(<)g(<)b(<)des】
→「f(<)g(<)e」→「f(<)g(<)c(<)e」
となってるのであるが、じつにドラマティックな響きが進行するのである。
【】内の箇所は、いわゆる【トリスタン和音】である。すなわち、
【「f=ラ」(<)「g=シ」(<)「b=レ」(<)「des=ファ」】
であり、「g=シ」が「旋律」部分である。終いは、
ズィークフリートおよびオデットが
トリスタンとイゾルデ同様にともに死をむかえる運命である、
という「前触れ」になってるのである。さて、
先ほどの「長短調混沌の世界」から「ヘ長」となって、
*♪【【ドー・レー・・ーー、<ミー│ミー・>レー・・ーー】】、<ミー│
ミー・>レー・・ーー、<ミー│ミー・>レー・・ーー、<ミー│
ミー・>レー・・<ミー、>レー│<ミー・>レー・・<ミー、>レー│
<ミー・>レー・・<ミー、>レー│<ミー・>レー・・<ミー、>レー│
<ミー・●●・・ミー・●●│ミー・●●・・ミー・●●│
ミー・●●・・ミー・●●│ミー・●●・・ミー・●●│
>>ドーーー・ーーーー│ドーーー・ドーーー│
ド(ヘ長主和音)ーーー・ーーーー(フェルマータ)*♪
と、1幕#9の「(実質)ロ長」終止に対して、
その最遠隔調「(実質)ヘ長」終止で3幕を閉じるのである。
巷ではこの箇所で加速するむきがもっぱらなようであるが、
「悲愴」3楽章を「プレスト加工」するむきと同趣味である。
【【】】内は【【3度昇って2度下がる】】という、
チータも365歩のマーチでスイセン寺する
【【パッション動機(バッハ「マタイ・パッション」冒頭)】】である。
強烈に劇的な音楽である。このように、
私のような凡人にも平易な音楽の中に、チャイコフスキーはニンゲンが
胸や目の奥から込み上げる感情をとらえるエッセンスを張り巡らしてるのである。
(附点4分音符=4分音符)、C、(無調号)]
「白鳥の歌」の断片が再現されるのであるが、#18のときと異なるのは、
ヘ短だったのがハ短に替わってる点と、
「白鳥の歌」断片に合いの手を入れる形で金管群の
*♪●ミ<♯ファ<♯ソ・・<ラ>Nソ>Nファ>ミ*♪
が吹かれたのに対して、#24では
金管群の音階上昇&下降が先行してそれに導かれる形で、
「白鳥の歌」の断片が高中木管群によって吹かれる点、そして、
「白鳥の歌」の断片の終いが『ラ』という8分音符から
『ラー』という4分音符に替わってる点、である。
*♪ミーーー・・>ラ<シ<ド<レ|<ミーー>ド・・<ミーー>ド|
<ミーー>ラ・・<ド>ラ>ファ>ド|>『ラー』*♪(fff)
これが反復されると、
*♪ファーーー・・>ラ<シ<ド<ミ│
<ファーー>ド・・<ファーー>ド│
<ファーーー・・>ファ<ソ<♯ソ<シ│
<ファーー>シ・・<ファーー>シ│
<ファーーー・・>ファ<ソ<♭ラ<シ│
<ファーーー・・>ファ<ソ<♭ラ<ド│<ファ*♪
として、「d」音をバスにして、
*♪as<h<f・・<as、>h<f<as│<h、
>h<f<as・・<f、>as・<h<f│<asー、
>cー・・<dー<eー│<fー<gー・・<asー<bー│
<cー●●(>cー)・・cー●●(>cー)│
cー(>cー)・・cー(>cー)*♪
と進め、ヘ短の属和音から、
*♪ラーーー・・ーーーー│>ソーーー・・ーーーー│
>ファーーー・・>レーーー│>シーーー・・<ミーーー*♪
という「悲嘆のファンファーレ」が、
コルネット2管+トランペット2管の完全ユニゾン、次いで、
3管のトロボーンの完全ユニゾン、によって、
それぞれ反復して吹かれるのである。この、
トロボーンによる吹奏の間、4本のラッパに、
*♪●●・ラララ・・ラー・ラー│ラー・ーー・・●●・●●│
●●・<シシシ・・シー・シー│シー・ーー・・●●・●●*♪
(後半、トランペットは「シ」ではなく「ラ」のまま)
という「運命律動」をチャイコフスキーはかぶせるのである。これは、
*♪ソーソーソー・・ソーーー│>ミーー>レ・・>ドーーー*♪
という2幕の「フクロウの動機」のときにも
「運命律動」がトリ入れられてたことを思い出させるものである。さらに、
ピッコロ+オクターヴ下のvnプリーモに、
*♪ラー、ラー<シー・・<♯ドー<レー<♯レー│<ミー*♪
というヘ短を同主調のヘ長に置き換えて、
*♪ドー、ドー<レー・・<ミー<ファー<♯ファー│<ソー、
>ドー<レー・・<ミー<ファー<ソー│<♭ラー、
>レー<ミー・・<ファー<ソー<ラー│<シー、
>ソー<ラー・・<シー<レー>ソー*♪
という、じつにパッションあふれる3連を吹き弾かせ、
ズィークフリートの脳内の状態をよく表す
「長短調混沌の世界」を形成させてるのである。また、前後するが、
*♪ラーーー・・ーーーー│>ソーーー・・ーーーー│
>ファーーー・・【>レーーー】│>シーーー・・<ミーーー*♪
の箇所の和声は、
「f(<)a(<)c」→「f(<)a(<)c(<)es」
→「f(<)g(<)des」→【f(<)g(<)b(<)des】
→「f(<)g(<)e」→「f(<)g(<)c(<)e」
となってるのであるが、じつにドラマティックな響きが進行するのである。
【】内の箇所は、いわゆる【トリスタン和音】である。すなわち、
【「f=ラ」(<)「g=シ」(<)「b=レ」(<)「des=ファ」】
であり、「g=シ」が「旋律」部分である。終いは、
ズィークフリートおよびオデットが
トリスタンとイゾルデ同様にともに死をむかえる運命である、
という「前触れ」になってるのである。さて、
先ほどの「長短調混沌の世界」から「ヘ長」となって、
*♪【【ドー・レー・・ーー、<ミー│ミー・>レー・・ーー】】、<ミー│
ミー・>レー・・ーー、<ミー│ミー・>レー・・ーー、<ミー│
ミー・>レー・・<ミー、>レー│<ミー・>レー・・<ミー、>レー│
<ミー・>レー・・<ミー、>レー│<ミー・>レー・・<ミー、>レー│
<ミー・●●・・ミー・●●│ミー・●●・・ミー・●●│
ミー・●●・・ミー・●●│ミー・●●・・ミー・●●│
>>ドーーー・ーーーー│ドーーー・ドーーー│
ド(ヘ長主和音)ーーー・ーーーー(フェルマータ)*♪
と、1幕#9の「(実質)ロ長」終止に対して、
その最遠隔調「(実質)ヘ長」終止で3幕を閉じるのである。
巷ではこの箇所で加速するむきがもっぱらなようであるが、
「悲愴」3楽章を「プレスト加工」するむきと同趣味である。
【【】】内は【【3度昇って2度下がる】】という、
チータも365歩のマーチでスイセン寺する
【【パッション動機(バッハ「マタイ・パッション」冒頭)】】である。
強烈に劇的な音楽である。このように、
私のような凡人にも平易な音楽の中に、チャイコフスキーはニンゲンが
胸や目の奥から込み上げる感情をとらえるエッセンスを張り巡らしてるのである。
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