2019/11/22、椎名林檎がミュージックステーションで『正しい街』を歌った。アルバムデビュー20年を祝うベスト盤が最近発売されたため。
この曲が発表されたのは1999年のデビューアルバム『無罪モラトリアム』の一曲目として。
番組ではドラムにBOBO、ギターにナンバーガールの田渕ひさ子、ベースにTOKIE、そしてヴォーカルとギターに椎名林檎という驚愕のラインナップのバンドで生演奏された。
この曲をMステでやると聞いてちょっと興味を持ったものの、それ以上のものはなかった。何年振りの演奏であるかも今の俺にとっては特に意味はない。
しかし実際に番組を見てみると、この曲を初めて聴いた20年前のこと、それからの20年の事が断片的に蘇り、感慨深いものがあった。
具体的には、99年、職場の寮に住む音楽好きの友達からこのアルバムを勧められて借りて、即買った事。
初聴きで良さがわかり、何回も繰り返し聴いても飽きないなど、ビートルズを初めて聴いて以来だったかもしれない、とんでもないアルバムと思った事。
それから程なく、初開催のライジングサンロックフェスティバル(16時間ライブとか、石狩ライブとか言われていたような)に、椎名林檎が最後の最後で追加出演すると聞いて、チケットを慌てて買った事。
初の生林檎に並々ならぬ期待を寄せ、それを遥かに超えるパフォーマンスであったこと。しかし追加出演のため持ち時間が短かったこともあり、一瞬で終わった感じだった事。
当日、林檎とすれ違ったが気づかなかった事(後日、やや変装気味の様子を雑誌でチェックし、あの時の!とわかった)。
この日は、昼間にナンバーガールを初めて見てこれまた、この後の自分を変えたくらいの大きな出来事だったが、長くなるので今回は書かない。
それから、無罪モラトリアムのベースやギター、キーボードをコピーしまくった事。他の曲も含め、このアルバムに夢中で全てのパートをコピーする勢いだった。正しい街のベースを弾かせたら俺の右に出るものはいないだろうくらい思っていた。
この頃、そんな人達が全国にたくさんいたであろう。自分もその中の一人でしかなかったのだが、何度かバンドをやってライブをやってベースを弾いた事や諸々を思い出した。初めて音を合わせた時の感動ったらなかった。
これが、11/22に久々にこの曲を聴いてもたらされた束の間の贈り物であった。
一方、先日発売されたピチカートファイヴのベスト。
こちらは音があまりに新しく、一切昔の事を思い出さなかった。
野宮真貴がヴォーカルの一般的に知られた時代のアルバムは解散後、一度リマスタリングされ再発されたが、それっきり、市場に出回っていない。
そもそも渋谷系は好きだったけど、ピチカートについてはレンタルでMD(笑)にダビングしたのを聴いていたのみだった。
数年前に手元に置きたくなった頃には入手できない事態になっていたのだ。友達が一時期ハマっていたが俺には元々大した思い出も思い入れもなかった。
とは言っても、聴き慣れた曲を久しぶりに聴くとこれが名曲名唱の連続。
『スウィート・ソウル・レビュー』、『東京は夜の七時』を聴いていると今は存在しない煌びやかな風景が浮かんでくる。そして今の時代を思うと、90年代はまだ未来に対して悲観的でなかったことを思わされた。
ベスト盤を聴き進めるにつれ、段々とくすんだ退廃や混沌が現れる。そして静謐さを感じる『東京は夜の七時』のアコースティックライブバージョンで終わる。
それにしても、このベストを聴き終わり、とても新鮮だし全く古くないので、解散からもう20年近く経っていたことには驚いた。
『東京は夜の七時』は椎名林檎が演出/音楽監督に名を連ねたリオオリンピック・パラリンピックの閉会式で使われたけど、来年の東京オリンピックが目前となったこのタイミングでまた浮上する事を願うばかり。そしてどれだけの人が音楽により思い起こされる記憶に浸るだろうか。
20世紀末に入れ替わるようにデビュー、解散した2組について書きましたが、このような浅からぬ縁があったことも知りました。
この曲が発表されたのは1999年のデビューアルバム『無罪モラトリアム』の一曲目として。
番組ではドラムにBOBO、ギターにナンバーガールの田渕ひさ子、ベースにTOKIE、そしてヴォーカルとギターに椎名林檎という驚愕のラインナップのバンドで生演奏された。
この曲をMステでやると聞いてちょっと興味を持ったものの、それ以上のものはなかった。何年振りの演奏であるかも今の俺にとっては特に意味はない。
しかし実際に番組を見てみると、この曲を初めて聴いた20年前のこと、それからの20年の事が断片的に蘇り、感慨深いものがあった。
具体的には、99年、職場の寮に住む音楽好きの友達からこのアルバムを勧められて借りて、即買った事。
初聴きで良さがわかり、何回も繰り返し聴いても飽きないなど、ビートルズを初めて聴いて以来だったかもしれない、とんでもないアルバムと思った事。
それから程なく、初開催のライジングサンロックフェスティバル(16時間ライブとか、石狩ライブとか言われていたような)に、椎名林檎が最後の最後で追加出演すると聞いて、チケットを慌てて買った事。
初の生林檎に並々ならぬ期待を寄せ、それを遥かに超えるパフォーマンスであったこと。しかし追加出演のため持ち時間が短かったこともあり、一瞬で終わった感じだった事。
当日、林檎とすれ違ったが気づかなかった事(後日、やや変装気味の様子を雑誌でチェックし、あの時の!とわかった)。
この日は、昼間にナンバーガールを初めて見てこれまた、この後の自分を変えたくらいの大きな出来事だったが、長くなるので今回は書かない。
それから、無罪モラトリアムのベースやギター、キーボードをコピーしまくった事。他の曲も含め、このアルバムに夢中で全てのパートをコピーする勢いだった。正しい街のベースを弾かせたら俺の右に出るものはいないだろうくらい思っていた。
この頃、そんな人達が全国にたくさんいたであろう。自分もその中の一人でしかなかったのだが、何度かバンドをやってライブをやってベースを弾いた事や諸々を思い出した。初めて音を合わせた時の感動ったらなかった。
これが、11/22に久々にこの曲を聴いてもたらされた束の間の贈り物であった。
一方、先日発売されたピチカートファイヴのベスト。
こちらは音があまりに新しく、一切昔の事を思い出さなかった。
野宮真貴がヴォーカルの一般的に知られた時代のアルバムは解散後、一度リマスタリングされ再発されたが、それっきり、市場に出回っていない。
そもそも渋谷系は好きだったけど、ピチカートについてはレンタルでMD(笑)にダビングしたのを聴いていたのみだった。
数年前に手元に置きたくなった頃には入手できない事態になっていたのだ。友達が一時期ハマっていたが俺には元々大した思い出も思い入れもなかった。
とは言っても、聴き慣れた曲を久しぶりに聴くとこれが名曲名唱の連続。
『スウィート・ソウル・レビュー』、『東京は夜の七時』を聴いていると今は存在しない煌びやかな風景が浮かんでくる。そして今の時代を思うと、90年代はまだ未来に対して悲観的でなかったことを思わされた。
ベスト盤を聴き進めるにつれ、段々とくすんだ退廃や混沌が現れる。そして静謐さを感じる『東京は夜の七時』のアコースティックライブバージョンで終わる。
それにしても、このベストを聴き終わり、とても新鮮だし全く古くないので、解散からもう20年近く経っていたことには驚いた。
『東京は夜の七時』は椎名林檎が演出/音楽監督に名を連ねたリオオリンピック・パラリンピックの閉会式で使われたけど、来年の東京オリンピックが目前となったこのタイミングでまた浮上する事を願うばかり。そしてどれだけの人が音楽により思い起こされる記憶に浸るだろうか。
20世紀末に入れ替わるようにデビュー、解散した2組について書きましたが、このような浅からぬ縁があったことも知りました。