眠い、眠いマリーさんで~す。
なんだか知らないけど、明日とあさっては、多分このブログも書かないから、今日のうちにまとめてくれって、もうおねんねしていたのに叩き起こされちゃったのよ。まったく人使いじゃないや、ケータイ使いの荒いおばはんで困るわ。
あの人ね、このごろ昔ながらの賛美歌とか聖歌がお気に入りなのよねえ。どっちかって言うとカトリック教会のグレゴリアン・チャントのほうじゃなくて、プロテスタントの賛美歌とか福音聖歌のほうなの。若いころのおなじみだった歌が多いからじゃないかしら。ウォークマンに入っている曲は正調の合唱賛美歌ばっかりでしょ、だからこのごろよくyoutubeで賛美歌を探してるの。でも、ほら業界は著作権だなんだかんだでうるさくなっちゃってるから、前にあったものもほとんど削除されちゃってるのよ。がっかりしてるけどしょうがないじゃないの。
賛美歌や聖歌となると、あの人は自分で歌うのは素人の合唱だけど、聞くのはちゃんと音程もしっかりしていて、声も美しい、なるべくなら歌い方も正統派の歌手の歌う独唱のものが好きなの。それで今、まあまあ、これならと思っているのは森山良子さんと本田路津子さんの歌っているものなの。クラシックを勉強した人の歌い方とはまた違うかもしれないけど、声の質が気に入ってるみたいよ。うちのおばはんの声ときたら、ひどいどら声だもん、やっぱりきれいなソプラノの声に憧れるのよね。
とにかくそういうお気に入りの歌を聴いていると、若いころの自分の信仰に戻ってちゃんと神様とおはなしできるんだって。ほんとかどうか知らないけど、四谷でのいやな思い出も消える程よい効果があるらしいのよね。聖歌隊だと生身の人間の集まりだから、どうも音程や声の質以外にも何かと不純なのよ。あんまりあの中で神様に心が向くとは言えないみたい。だけど、そちらはそちらでまた「兄弟姉妹愛枠」ってことで別にして、それ以外に心が神様に向いていく状況とか、言葉とか、音楽とかってあるじゃない。どちらかというとやっぱりそれは美が関係してるみたいなの。
ほら、霜山徳爾先生が、「美を通して真実へ」とかって、日本人の宗教性についておっしゃってなかったっけ? 美しい物に触れることで、さらに形而上的なものにまでこころが高められていく可能性って確かにあると思うわよ。最も何を美しいと感じるかは問題かもね。それでも素直な心で誰もが良いと思うものってそんなに違わないような気がするな。
そうそう、美しいものの効用って、人の心を素直にさせることもあるんじゃないの。神様の前に出るには心が素直になっていないと難しいみたいだもん。音楽、そして歌って、考えてみればなかなか面白いんだわさ。ほら、教会音楽、軍歌、国歌、音楽や歌って、なんだかすごい力があるのよねえ。だから神様と向き合うのを助ける音楽や歌もあるわけ。
うちのおばはんの場合、一緒に歌うより、聴きたいのよね。それがあの人のマイブームってわけよ。