ギャラクシータブを単体で使っているときは思いもよらなかったことだが、パソコンとギャラクシータブを同期させて使うと、なんとパソコンでダウンロードした大容量の動画も、タブとパソコンが共有するらしいことがわかった。30ギガのマイクロSDカードで、動画を(タブでダウンロードしていては料金もかかるから、パソコンでダウンロードして、ファイルをタブに移して持ち歩いている)相当大量に入れたはずなのにいつまでたっても容量が変わらないのでよくよく観察してやっとわかった。
パソコン側とタブとで今、ファイルは共有しているし、情報も共有らしい。なんだかよくわからないが機械はどんどん進歩しているようだ。しかし、これは便利なのかどうか実はよくわからない。ケータイのマリーさんだけは単体で動いてくれるから、万一パソコンに異常があっても影響を受けないと思うが、タブは一緒におかしくなるのかもしれないと思う。何分、どうしてこうなるのかのメカニズムがよくわからない機械音痴のおばはんとしては、自分の能力を越えた状況にあせっている。
こちらはただ、お気に入りの番組を見直すことが出来るようにしたかっただけなのが、なんだかえらいこっちゃというしかない。まあ、いざとなったらタブのほうは全体の初期化で対応するしかなさそうだけど、当分もうこれ以上ファイルを入れないで使っていくつもり。
9月になって、状況はどうなっているかとご心配くださる方々もおいでかとは思うが、ここに来てちょっと立ち止まっているところだ。「相棒」の右京さんのせりふではないけれど、「真実というのは全てを明らかにして初めて真実と呼べます。事実が一部でも捻じ曲げられていたとしたら、僕にはそれを真実として受け入れることなど到底できません」、これは私の今の気持ちにぴったりなせりふだ。
父が死んで14年たったわけだが、父の死後、すぐにしたことは片道の旅費分のお金しかないのに、大阪まで出かけたのだ。大阪の教区長になっている、以前の責任者にオウムの件を話したかったのだ。しかし、あちらは会おうともせずに追い返してくれたから、大阪にいたあの3日か4日で、したことといえば、松浦司教様の叙階式に出たことと、お金がないので曽根崎警察署にいって、杉並警察署に連絡をとってもらい、後は昼間は大阪駅と周辺をうろつき、夜は曽根崎警察署の中に入れてもらって休んで、どこかの誰かさんが政治家に頼んだのも効いたのか、月曜日には福祉事務所からの連絡があって、新幹線で夕方には東京に戻ったあと、すぐに阿佐ヶ谷から逃げることにして大急ぎで引越し先を探し、今のアパートに移ったのだ。
今のSJにこの話の意味がわかる人がいるのだろうか。あのころ何がどうなっていたのか、今のSJでわかる人はいないのではないのか。なぜ大阪くんだりまでわざわざ出かけたのかどうせ全然何もわかっていないのだろう。事実が捻じ曲げられ、忘れ去られてしまって今、あの人たちに相談するといっても、何を相談すればよいのだろうと、思ってしまっているのだけど・・・大阪の教区長は断然尊敬しないぞ。曽根崎警察署には今も感謝している。
そして、今の住所に移ってもまたオウムが近くにきたからあわてて荻窪警察署の生活安全課に相談に行ったのだが、当時の担当者よ、覚えているか。こちらは忘れていないぞ。状況はあまり変わらなかったがなにぶん その後、杉並区の前区長になった人物が私の足を引っ張っていた人物と仲良くしていたのだからどうしようもない。今の区長はまともだろうと思うが、前はまったくひどかったのだ。どこかの政治家さんも逃げていましたなあ。偉いはずの人がダークサイドに落ちると関係者は本当に大変なのさ。
隠されてしまったこと、忘れられてしまったことがはっきりしない限り、本当は今の私がどうしてこのような状況になったのか、説明のしようがないのに。今後どうしたいかもそこが伝わらないのでは話にもならない気がする。
というわけで、以下は以前SNSの日記である程度事情のわかっている方たちに向けて書いたものの再掲。すこしだけ書き加えたがおおむね変わらない。
―ちょっと前から考えていたことを思い切って実行してみました。
やるとなれば、相当の恥さらしも覚悟しなくてはなりませんからさすがにかなり躊躇もしていたのですが、自分もこの秋で62歳。関係者たちは、80代、90代が殆どで、すでに鬼籍に入った方も多く、ここで手をつけないとこちらも手遅れになることは必須。
今の状況なら勝ち目のない勝負ではないと読めますし、どう転んでも悪い方向には行かないと思ったので実行してみました。自分のメインブログに今の状況とこれまでの経緯の大体を書いて出したわけです。(plalaの押入れのほうです)
ご心配なく、今のままでも何とかすれば何とかなっているのですが、私自身がこのままではいやなので、はっきりさせることにしたのです。黙ってひっこんだまま一生を終わってなるものかと思います。
証拠と証人なら、どこに出しても負けるわけのないものがあるので実行してみました。あとは、実際の法テラスの審議と、相手側との話し合い(秋になってからですね。)でどうなるかです。問題は教役者側のやらかした大変な悪が根にあるので、単なる借金の問題ですむわけがありません。その辺はすでに向こう側も多分おわかりになっています。もしかするとわかっていないかもしれないけど。
今の私が自分には全然向いていないと思う道を選ぶとすれば、自分でも納得できる理由付けはせいぜい『償い』のためとしか言い様がありません。今の時代には流行りませんけれど、自分の人生を厳律の修道院の壁の中に閉じ込めてもいいかなと思える理由があるとしたら、それは自分とほかの人たちが望んで、あるいは望まないのに犯してしまったろくでもない数々の失敗の『償い』に少しは役立つと思うからということでしょう。しかし、現実には坐骨神経痛に関節炎、緑内障を抱えた役立たずの60代のおばはんでは断られるかもね。
わけのわからないことを言っていると思われるかもしれませんが、わからなかったら読み飛ばしてくださいな。
パソコン側とタブとで今、ファイルは共有しているし、情報も共有らしい。なんだかよくわからないが機械はどんどん進歩しているようだ。しかし、これは便利なのかどうか実はよくわからない。ケータイのマリーさんだけは単体で動いてくれるから、万一パソコンに異常があっても影響を受けないと思うが、タブは一緒におかしくなるのかもしれないと思う。何分、どうしてこうなるのかのメカニズムがよくわからない機械音痴のおばはんとしては、自分の能力を越えた状況にあせっている。
こちらはただ、お気に入りの番組を見直すことが出来るようにしたかっただけなのが、なんだかえらいこっちゃというしかない。まあ、いざとなったらタブのほうは全体の初期化で対応するしかなさそうだけど、当分もうこれ以上ファイルを入れないで使っていくつもり。
9月になって、状況はどうなっているかとご心配くださる方々もおいでかとは思うが、ここに来てちょっと立ち止まっているところだ。「相棒」の右京さんのせりふではないけれど、「真実というのは全てを明らかにして初めて真実と呼べます。事実が一部でも捻じ曲げられていたとしたら、僕にはそれを真実として受け入れることなど到底できません」、これは私の今の気持ちにぴったりなせりふだ。
父が死んで14年たったわけだが、父の死後、すぐにしたことは片道の旅費分のお金しかないのに、大阪まで出かけたのだ。大阪の教区長になっている、以前の責任者にオウムの件を話したかったのだ。しかし、あちらは会おうともせずに追い返してくれたから、大阪にいたあの3日か4日で、したことといえば、松浦司教様の叙階式に出たことと、お金がないので曽根崎警察署にいって、杉並警察署に連絡をとってもらい、後は昼間は大阪駅と周辺をうろつき、夜は曽根崎警察署の中に入れてもらって休んで、どこかの誰かさんが政治家に頼んだのも効いたのか、月曜日には福祉事務所からの連絡があって、新幹線で夕方には東京に戻ったあと、すぐに阿佐ヶ谷から逃げることにして大急ぎで引越し先を探し、今のアパートに移ったのだ。
今のSJにこの話の意味がわかる人がいるのだろうか。あのころ何がどうなっていたのか、今のSJでわかる人はいないのではないのか。なぜ大阪くんだりまでわざわざ出かけたのかどうせ全然何もわかっていないのだろう。事実が捻じ曲げられ、忘れ去られてしまって今、あの人たちに相談するといっても、何を相談すればよいのだろうと、思ってしまっているのだけど・・・大阪の教区長は断然尊敬しないぞ。曽根崎警察署には今も感謝している。
そして、今の住所に移ってもまたオウムが近くにきたからあわてて荻窪警察署の生活安全課に相談に行ったのだが、当時の担当者よ、覚えているか。こちらは忘れていないぞ。状況はあまり変わらなかったがなにぶん その後、杉並区の前区長になった人物が私の足を引っ張っていた人物と仲良くしていたのだからどうしようもない。今の区長はまともだろうと思うが、前はまったくひどかったのだ。どこかの政治家さんも逃げていましたなあ。偉いはずの人がダークサイドに落ちると関係者は本当に大変なのさ。
隠されてしまったこと、忘れられてしまったことがはっきりしない限り、本当は今の私がどうしてこのような状況になったのか、説明のしようがないのに。今後どうしたいかもそこが伝わらないのでは話にもならない気がする。
というわけで、以下は以前SNSの日記である程度事情のわかっている方たちに向けて書いたものの再掲。すこしだけ書き加えたがおおむね変わらない。
―ちょっと前から考えていたことを思い切って実行してみました。
やるとなれば、相当の恥さらしも覚悟しなくてはなりませんからさすがにかなり躊躇もしていたのですが、自分もこの秋で62歳。関係者たちは、80代、90代が殆どで、すでに鬼籍に入った方も多く、ここで手をつけないとこちらも手遅れになることは必須。
今の状況なら勝ち目のない勝負ではないと読めますし、どう転んでも悪い方向には行かないと思ったので実行してみました。自分のメインブログに今の状況とこれまでの経緯の大体を書いて出したわけです。(plalaの押入れのほうです)
ご心配なく、今のままでも何とかすれば何とかなっているのですが、私自身がこのままではいやなので、はっきりさせることにしたのです。黙ってひっこんだまま一生を終わってなるものかと思います。
証拠と証人なら、どこに出しても負けるわけのないものがあるので実行してみました。あとは、実際の法テラスの審議と、相手側との話し合い(秋になってからですね。)でどうなるかです。問題は教役者側のやらかした大変な悪が根にあるので、単なる借金の問題ですむわけがありません。その辺はすでに向こう側も多分おわかりになっています。もしかするとわかっていないかもしれないけど。
今の私が自分には全然向いていないと思う道を選ぶとすれば、自分でも納得できる理由付けはせいぜい『償い』のためとしか言い様がありません。今の時代には流行りませんけれど、自分の人生を厳律の修道院の壁の中に閉じ込めてもいいかなと思える理由があるとしたら、それは自分とほかの人たちが望んで、あるいは望まないのに犯してしまったろくでもない数々の失敗の『償い』に少しは役立つと思うからということでしょう。しかし、現実には坐骨神経痛に関節炎、緑内障を抱えた役立たずの60代のおばはんでは断られるかもね。
わけのわからないことを言っていると思われるかもしれませんが、わからなかったら読み飛ばしてくださいな。