こんなことはあまり大っぴらに言ってはいけないのだろうか? だがそうするといつまで経ってもらちがあかないままだし、まったく困るなあ。
今の四ツ谷の皆様方は1977年か8年ごろに起こった大変な誤解事件のことはご存知なのだろうか。見ているとどうもいまだに加藤一二三さんあたりは誤解情報に基づいてあれこれ余計なことをおっしゃっておいでなのでは。こちらは加藤さんにうらみも何も無いし、問題がはっきりしさえすればそれ以上当事者を責めようとも思っていないのでお間違いのないように。
関係者は私も含めてすっかり年をとってしまい、今更ごたごた言いたくはないのだけれど、この問題が全ての始まりだからやっぱりはっきりさせなくてはいけないのだと思うわけだ。とんでもない事件でも時が経って全体が見えてくるとそれさえも何の必要も無く起きたのではないのがわかってくるのだから。
当時の私はカトリックに改宗して間もない頃で、それまで親元を離れたことも無く、世間知らずの田舎者の女の子。ところが、観想修道会に入りたいという希望はあったものの、全然自分に自信がもてなくて悩んでいたので、良い指導司祭はいないものかと思っていたときにある方に出会って講座に行き始め、相談をお願いしたのだが、なぜか、その方は私を正しく見ることができなくて、それどころか自分を誘惑しに近づいてきたと思ってしまったらしいのです。それがすべてのはじまり。
こちらもまだ世の中のことも、人を見る目もさっぱりだったころで、なぜ向こうがこちらを近づけたがらないのか全然理解できず、ますます押したところ、それを見ていた当時の主任司祭の山本師がまた別の誤解をして、教会によくいる召しだしも何も関係なく修道生活にあこがれて司祭を困らせている女の子と思い込んですごく意地悪をなさるようになり、あっちからもこっちからも誤解されて逃げ場が無い大変な状況になってしまったわけです。教会には本当に司祭に色目を使って近づいていく女性もいるとは知りもしなかったころのことです。
で、誤解した方が誤解のままわたしを当時の上智の社会学の先生に相談に行くように紹介したので、そちらに行き事情を訴えるとその先生も困ってカリタスの家の相談に回したのでした。カリタスの家のほうとその先生と司祭で話し合ったはずなんですけどね。いつの間にか記録が消えているという奇怪なはなしになっています。
それはとにかく、こちらもこちらでどうしていいかわからず親類のソーシャルワーカーに相談に出かけたわけです。こちらの話を聞いて状況を知った親類は「今のあなたは誤解事件のショックで今まで築き上げてきた心の壁が壊れた状態にあって、危ない橋を渡りかけているところだし、一人で進むのは危険だから専門家の助けを借りたほうがいい」ということで、1年半くらい、心理の先生と週1度面接をしているうちに自分でも自分のまとまりがついてきて平常にもどったわけです。
その時に親類が、うまく橋を渡りきれれば(いつか年をとって)そのうちに、何があってもニコニコしているような人になるかもしれないといっていたのです。それはどういうことなのかとずっと心に残って考えていました。何があってもニコニコなんてできるわけないぞと思うのも本当です。しかし、ある時にノーリッジのジュリアンの言葉を思い出したのですよ。
全ては良し、全ては良し、その意味をずっと考えているうちに、むかし親類が言っていたことの意味もわかりました。人の目に映る今の善も悪もその全てを包み込む神のはからいの手に気がつくならば見えるものも違ってくるし、悪いことに出会ってもそれほど心配もしなくなるというのも確かです。
私の家はカトリックではないけれど、死んだ父の影響で小さい時からお正月といえば父の「門松や冥土の旅の一里塚」というはなしで始まるし、小さい頃から「三界の狂人は狂せるをしらず」どういう意味かわかるかとたびたび聞かされて育ったので、普通の世間のことはわからなくても、宗教的なことなら結構よくわかるほうじゃないかと思うのですが、なぜかわたしが自分を実際以上に大きく見せたがっているなどと思われると本当に困るのです。親もこんなでしたから普通の世間的なことはだめですが、宗教的なことなら強いのです。
そのへんを四ツ谷はわかっておいでなのでしょうか。どうも何か心配で相談する気がしないのですけど。どうなのでしょう?
※ 途中から文体が変わっているのは少し時間が空いたためで、お気になさらないように。