写真の配置が上下逆になってしまい、いきなり顔を出してごめんなさい。これはテレジアホールでご奉仕中の奥様方です。
今日の四ツ谷の昼ミサの後、庭に出たら久しぶりの知人にばったり出会った。ガラルダ師の金曜日の聖書研究会のメンバーの方で、当方と同年代の奥様だ。このあいだも上野毛教会に行ったとき、この方のお友達の奥様で、同じく金曜会に来ていらっしゃった方に声をかけられてしばらくおしゃべりしたばかりだ。
同じ聖書研究会に何年もいてお互いに顔なじみだった方々も、さらに年月が経つとさすがにそれぞれの事情でもうイースターやクリスマスの頃くらいしか集まらないし、日曜日のミサもそれぞれの所属教会に行くから、たまにしか会わなくなっている。会ってもお互いに近況を聞くくらいなものだが、やはり昔からの知り合いの顔を見るとなんとなく安心する。これは不思議なものだ。
みんな同年代だが、知っている間柄だと彼女たちの少女の頃から変わらないままの面もわかるから、おばはん同士なのに何の気取りもてらいもなく自分を出せるせいだろうか、別れても彼女たちのために心のどこかで祈ってしまう。
その後、聖三木図書館に行く前に今日は水曜ティー・サロンのある日だから、冷たいものを一杯いただきにテレジア・ホールに寄ると、こちらにはもっともっと昔からの知り合いの奥様が、お茶を出すためのお手伝いをしておいでだった。この方はホイヴェルス神父さまの時代に、まだ少女だった頃から四ツ谷の教会にいる方で、ご主人とお二人とも、いつも教会のために働いておいでだ。
こういう方の姿を見ると、いろいろあるけどあまり教会に文句を言うのはやめておこうと思えてくる。教会を作っているのは結局人間なのだなあ、とつくづく思う。そういえば、今日庭で司祭や知人と話していた時、横にいた人物、なんだか見覚えがあるのだが、あの方、今は何をしておいでなのだろう、いや何を書いておいでなのだろう。昔はこの教会にはカトリックの有名人もずいぶんいらっしゃったのだけど、今はなんだか鳴かず飛ばずの感。そうでもないのだろうか。
本当は下の写真を上におくはずだったのですがうまく直せないのでこのままにしておきます。