諸聖人の祝日、死者の日、使徒信条(使徒信教)の諸聖人の通功で簡単にまとまると思ったのだが、ちゃんと調べ始めたらなんと同じキリスト教でも教派によっていろいろな考え方があるのか。そういえば東方正教会と西のカトリック教会が分かれたのはその辺がまず問題だったわけだ。でもここはやはりカトリック教会の考え方でいきたいと思う。
と、大上段に振りかぶってみたものの、ここでふと遠い遠い昔の思い出がよみがえってきてしまった。話はズレてしまうが、はるかな昔、まだ小学生だったころの話、通っていた小学校は5分もかからない距離だったのだが、その小学校の脇の道をどんどん下に下りていくとそのころは一面の田んぼで、さらに先に行くと仲のよかった同級生の家があり、その近くに、十字架の並んだ狭い小さな墓地があったのを思い出す。
それがカトリック市川教会の墓地だったことを知ったのはカトリック信者になってからの話で、そのころはすでに墓地ももっと広くなっていたのだが、子供のころに見たころは本当に狭い小さな墓地だった。友達の家のすぐ近くだから遊びに行くたびにチラッと除いてみても、お寺さんのお墓のようなお線香のにおいも枯れかけた花もなく、石の十字架だけが印象的だったような記憶がある。
今思えばあの当時はまだ土葬だったのかな、今はすっかり改葬されたらしいけれど。考えてみるとカトリック教会になぜ違和感を感じなかったかといえば、子供のころに十字架のお墓を見慣れていて、法華経寺のおかげでお寺さんのほうのお墓も見慣れていて、両方とも子供心に生と死の問題を考えさせてくれることでは同じ役割を果たしていたからなのだと思う。
ということは、同じキリスト教で教理の違いがどうのこうのよりも、大切なのはそれよりも別のこと、諸聖人の祝日も死者の日も、11月が特に死者の月になっているのも、教会はこの季節、人間にとってはもっと大切なことを考えさせようとしているのだろう。
と、大上段に振りかぶってみたものの、ここでふと遠い遠い昔の思い出がよみがえってきてしまった。話はズレてしまうが、はるかな昔、まだ小学生だったころの話、通っていた小学校は5分もかからない距離だったのだが、その小学校の脇の道をどんどん下に下りていくとそのころは一面の田んぼで、さらに先に行くと仲のよかった同級生の家があり、その近くに、十字架の並んだ狭い小さな墓地があったのを思い出す。
それがカトリック市川教会の墓地だったことを知ったのはカトリック信者になってからの話で、そのころはすでに墓地ももっと広くなっていたのだが、子供のころに見たころは本当に狭い小さな墓地だった。友達の家のすぐ近くだから遊びに行くたびにチラッと除いてみても、お寺さんのお墓のようなお線香のにおいも枯れかけた花もなく、石の十字架だけが印象的だったような記憶がある。
今思えばあの当時はまだ土葬だったのかな、今はすっかり改葬されたらしいけれど。考えてみるとカトリック教会になぜ違和感を感じなかったかといえば、子供のころに十字架のお墓を見慣れていて、法華経寺のおかげでお寺さんのほうのお墓も見慣れていて、両方とも子供心に生と死の問題を考えさせてくれることでは同じ役割を果たしていたからなのだと思う。
ということは、同じキリスト教で教理の違いがどうのこうのよりも、大切なのはそれよりも別のこと、諸聖人の祝日も死者の日も、11月が特に死者の月になっているのも、教会はこの季節、人間にとってはもっと大切なことを考えさせようとしているのだろう。